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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
42
:
独歩
:2002/04/28(日) 14:04
川蝉さん:
やはり、「本有」の問題となるのでしょうね。
少し、教学論から離れますが、私は法華経というのは初期大乗経典で、成立した頃、また、毘盧遮那(法身)、いわば無始の元初仏という思想背景はなかったのではないのかと考えています。法華経の製作者は無始ということは考えても、実際に仏に成る修行(菩薩道)と実際に常道した時(久遠五百塵点)ということをそれを非数であれなんで、規程せずにはおれなかったのであろうと思います。その際に寿量も非数であれ、表現上は有限ですね。ですから、久遠実成の釈尊は法華経で読む限り、有始有終である点は否めないと思います。
けれど、その後、元初仏思想が勃興してきます。時に法華論者は有始久遠仏を無始久遠仏、さらに無始無終と再構成せざるを得なくなった、そんな展開を私は初期天台文献に読み取るのです。まあ、ここで、この点を論じても始まりませんが、結局のところ、本有について言い出すと、天台前に遡らざるを得なくなります。裾野が広がりすぎて、日蓮教義からの当掲示板の主旨からはみ出すので、この辺にしたいと思います。しかし、天台教理と華厳・真言の関係などはたぶん面白いテーマなのであろうと思います。残念ながら、勉強不足ですが。
引用いただいた山川師の説明はわかりますが、高橋師の言うところは、私の嫌いな(笑)『当体義抄』の説明は、ちょっと頷けません。まあ、解釈として読むのは微笑ましいですが。
> お願い。引文はなるべく訓読でお願いします。それから巻数も添えて頂きたいです。漢文苦手なので。
済みません。私は天台の釈など訓読本をもっていません。ですから、すべて漢文でしか読んでいないのです。第一、延べ書きはそれ自体に思想反映があるので、あまり信用していません。しかし、判読が困難なものなどにはなるべく(勝手な)訓解を付すようにします、定型文化された訓読文は知りませんので。もっとも川蝉さんが「漢文が苦手」と仰るのは、他のスレッドでテーマになっている謙遜以外の何物でもないと拝察申し上げます。とともに、他のロムの方々へのご配慮であろうと。
あと、Libraさんにもよく言っていたのですが、そもそも宗派を背負う学者の研究は参考にすることはあるにせよ、基本的には読むのは退屈であると思っています。ですから、私は原典最優先で、原典に文献的・思想的に遡源できないものは、宗派や学説の都合と決めつける嫌な性格の持ち主です(笑)
まあ、そんな我侭者ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
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