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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

38独歩:2002/04/28(日) 12:21

顕正居士さん:

日蓮本仏論の見直しという視点において、日蓮・天台・法華経という3軸から、さらに大乗教典成立史、さらにバックボーンとなった菩薩思想の発生と定着、異教の影響、たとえばバクティ、太陽信仰と救世主思想(ミトラ)などまで、話を広げると、もはや「仏と菩薩が同等に解される」などという論点、もっと言えば、寛師説の日蓮本仏論などの価値を論ずると裾野が広がりすぎてしまう気がします。

けれど、仰るとおり、菩薩思想はまったく後天的な思想運動なのであって、初期仏教にこの考えは見られないでしょう。時期の特定は種々議論はあろうかと思われますが、西暦前550年ごろに入滅したシャキャムニ、その教えを継承しようとした教団は、当初、文字・形像で仏法を表現することに卑下していました。しかし、仏滅100年ごろ、文字によって教典を作成する動向が現れ、平行するかのようにギリシャ彫刻の影響を受けて、ガンダーラ、マトゥーラなどで同じ信仰的に仏像の彫刻が始まります。また、ミトラ教の太陽信仰と救世主思想の影響を受けて、はじめに救世主思想が仏教に生まれ、ミトラは仏教でマイトレーヤ(弥勒)信仰として、菩薩思想の萌芽を見るのでしょうか。ミトラは西洋にも伝播し、ミシュラン(救世主)信仰として、キリスト教などの基体をなしたのであろうと言われ、さらにキリスト教から阿弥陀信仰が生じたとも言います。ここに久遠仏信仰の基礎が出来上がり、太陽信仰に基づく故に光によって形容され、さらに太陽が宇宙の中心と見なされたごとく、すべて元初であるという毘盧遮那信仰(法身)を形成するに到るのでしょう。また、バカバットギータに見られるバクティ(誠信)がインドを席捲し、これらが多分、大乗起信論などの形成する基礎を構成していったのでしょうか。(かなり乱暴なガイダンスですが)

菩薩は仰るとおり、当初は釈尊のジャータカとして語られ、釈尊そのものを指すものであり、また、仏像の造立というそれまでのタブーを犯す段階で、仏像でありながら、菩薩像として像立されるなど、その分別が難しい時期もあります。その後、菩薩は釈尊を指すばかりではなくて、救世主思想を体する救道者のテーゼとなっていったのでしょう。

法華経の成立は西暦前100年から西暦100年ごろの時期とされ、久遠仏思想と菩薩思想、さらに教典塔崇拝信仰という新たな展開をもって構成されていったものであり、当然、そこにはバクティの影響を看取されるのでしょう。しかし、法華経における菩薩思想は、いわゆる仏菩薩を等価として配置されたものであるというより、後期の菩薩思想の展開と見るほうが至当でしょう。法華経信仰者に菩薩の道を歩ませることを目的にしたものなのでしょうが、久遠に菩薩の道を歩み、ついに成仏を得て、無量長遠の寿命を得た仏に従う求道者の理想的なモデルとして描かれる本因を菩薩とする本果の仏と、その理想を追求する求道者モデルの菩薩は同一視してしまっては、混乱を来すと、私は思うわけです。

ですから、仏・菩薩の厳格な分別(差別)は必要であろうかと思います。しかし、それを教理的に整理し、かつて菩薩道によって成仏した釈尊、これから菩薩道をして仏に作る衆生、あるいは記【サ/別】を受けて未来成仏を約束される求道者を一括して総合的に理論整理しようとすれば、それはたしかに十界互具などという論理的な構成は意味をもちます。

ただ、ここのところ、問題にされていたのは、寛師の日蓮本仏思想が至当であるという顕正居士さんの発題から、さらに地涌菩薩の初発心を釈尊の成仏已前菩薩道の段階とするのか、成仏後、最初の弟子とするのかという議論なのであって、上述する如く仏教思想の展開をここに持ち込むと、なおさら煩雑になってしまわないかと思うわけです。


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