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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
36
:
顕正居士
:2002/04/28(日) 09:50
舎利弗阿毘曇論の
「云何が菩薩人。若し人三十二相を成就し、他聞に從はず、他教を受けず、
他説を請はず、他法を聽かず、自思、自覺、自觀し、一切法に於て知見無礙なり、
當に自力自在、豪尊勝貴自在を得、當に知見無上正覺を得、當に如來の十力、
四無所畏を成就し、大慈を成就し、法輪を轉ず、是を菩薩人と名く」(大正蔵二八巻)
では「自思、自覺、自觀」を菩薩の要件とする。釈尊の弟子は釈尊の教説に従い、
多くが阿羅漢果を得たと伝えるが、釈尊自身は何の原因により現等覚されたのか。
これが菩薩思想の起源であって、「菩薩」の語は西暦前2世紀以前に成立していた。
「仏は声聞中に能王として生じ、仏はまた菩薩より生ず」(入中論)
大乗仏教は声聞でなく、菩薩を目標とするから、釈尊のみの称号であった「菩薩」は
広範には菩提心を発した衆生すべての意義にも用いられ、既に多数の高位の菩薩
が活動中であるとの神話を形成し、中には現等覚された菩薩もあるに違いないゆえ
他方仏信仰も構成されます。さらに後代には「菩薩」は利生のために敢て現等覚を
とらない永劫の活動者であるとの思想も生まれます。
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