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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

28独歩:2002/04/27(土) 07:40

20 再び川蝉さん:

「初発心」というのは釈尊の因位に懸かるものでしょうか。
仰るところは初菩提心の意の如くに使われているようにお見受けしますが、どうもこの点は合点が行きません。本尊抄の初発心の用例のほか、『法華取要抄』では

舎利弗・目蓮等 自鹿苑已来初発心弟子也

と言います。どうも私は初発心を能化に懸けて解釈するのは納得がいかないのです。

また、注記に言う点は、すなわち『維摩經玄疏』の

五分證眞實即者。從初發心得無生忍至金剛頂四十一地皆名分證。所以者何。如華嚴經云。初發心時便成正覺。了達諸法眞實之性。所有慧身不由他悟。此是分證眞實即也。乃至十地等覺皆是分證。但有深淺之殊故有諸地階級也。

を言うのでしょうが、「正覺」の覚とは覚(さと)りであって、菩薩によせてはいまだ覚とはいえないと思うわけです。本覚臭いというか、仏・菩薩を同等の如くに扱い、菩薩に覚ありとするはは正しいこととは思えません。

また『法華玄義釋籤』の

自本地眞因初住已來。遠鑒今日乃至未來大小衆機。故云本行菩薩道時所成壽命今猶未盡。豈今日迹中草座木樹方鑒今日大小機耶。

は、取要抄の文と同じく、始成正覚の比較と論じられるところであって、成仏とそれ已前の菩薩道の関係を論ずるものではないと思いますが、いかがでしょうか。

以上から、引用されるところから

> 天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わる

という結論が導かれる理由がわかりません。私の理解不足に由来すると思えますが、やや説明を加えていただけませんでしょうか。


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