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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
27
:
独歩
:2002/04/27(土) 06:34
26 顕正居士さん:
本門正意顯壽長遠。長遠永異故用比之。實相雖在迹門辨竟。今須辨同故今但取實相同邊。長壽祗是證體之用未是親證實相體也。
というのは、実相は迹門に現れるけれど、それは本門の長寿と同じことである。この長寿とは釈尊が成仏を得ることによって得た寿命が甚だ長遠であると言った意味に解してよろしいのでしょうか。
しかし、これは久遠実成以降の寿命の長遠を宣べるのであって、菩薩道、さらには久遠已前の元初、あるいは当初(そのかみ)について、論ずるところではないと思うのです。
以下の点は顕正居士さんの書き込みから、やや離れるのですが、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數。」という今猶未盡復倍上數を、恰も菩薩に懸けて解釈する傾向があるように思えます。故に菩薩道を釈尊が成仏以降も行っているという解釈が敷衍されます。
あまり、論じられませんが、法華経には実は大きなコンセプトがあって、それは何かというと成仏によってもたらされる寿命ということであり、取り分け、久遠実成という成仏は最高の成仏であって計り知れない寿命をもたらしたという点です。成仏の功徳が寿命であることは、たとえば常不軽菩薩に「其罪畢已。臨命終時。得聞此經。六根清淨。神通力故。増益壽命。」と記される如くです。
つまり上記の今猶未盡復倍上數は菩薩道に懸かるのではなくて、菩薩道(因行)によって得た成仏(果徳)、それによって成じた寿命の長遠なることは、久遠已来五百塵点劫の寿命を経てきたけれど、いまだまったく尽きることはなく、今後の寿命は、さらにその長さに倍するものであるというだと思うわけです。つまり、菩薩道が問題にされているのではなくて、成仏とその結果もたらされた寿命の長遠が問題にされています。故に寿量品と題されるのであろうと拝するわけです。
釈尊の教化は菩薩の一環であるという点は依然として残るものの、むしろ重点は成仏以降の寿命の長遠にあると思えます。その成仏の功徳と寿命の長遠を宣べることに主眼がある寿量品の説法を支える地涌菩薩は、当然、それを裏付けるためであって、なのに初発心を菩薩道に遡る所以は法華経に説相と一致しません。
伝統的な三身解釈、また、発展的に派生する久遠元初当初、自受用報身如来という考えと聖人の無始古仏からすると、どうしても、顕正居士さんが仰る如き点を現代の日蓮教学は認めざるを得なくなるのかもしれませんが、私は納得がいきません。所以は、つまり、法華経の説相と一致しないからです。止観勝法華劣の如き、いわば釈勝経劣は愚なりと思うのです。
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