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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

22顕正居士:2002/04/26(金) 18:32
>> 最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された、久遠の元初であります。
>>上行菩薩は この時の第一番の弟子であると云えます。
>いったい、如何なることから、このようなことが言えるのでしょうか。
>法華経にこの根拠を求められるのでしょうか。

「法華経」は般若経典の空と六波羅蜜の関係を表裏にし、般若空の上で菩薩行を
煥発し、バクティ思想の摂取において高揚し、及び(後に)呪文の功徳をもって補強
した経典であると考えます。天台、日蓮の煩瑣の議論は「法華経」の預かり知らぬ
ことではありますが、「我本行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數」とあるから、
永劫の六波羅蜜の報因酬果により、五百塵点劫のそのかみに第一番の成道を唱え
たことは明らかであり、

1-久遠実成の仏が菩薩行無くして成道したとは云われていない。
2-ゆえに久遠実成の仏が菩提心を発された時を、「久遠元初」(因行のはじめ)と
いい、久遠実成(五百塵点当初)よりおおいに以前であります。
3-但し、久遠の菩薩が自受用身を証得するのは第一番の成道の時であります。
この際に「開迹顕本」があったか否かが疑問ですが、「台宗二百題」は「新成の如来に
顕本無し」と判じています。


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