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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
20
:
川蝉
:2002/04/26(金) 16:55
19 独歩さんへ。
横から失礼します。
>しかし、先に「最初発心は釈尊が菩提心をはじめて発された」と
>いう以上は、この時点では釈尊は因行の菩薩となりませんか。菩
>薩に縁して初発心とする修多羅も明証をお聞きしたいのです。
本尊抄に二カ所ある「釈尊の初発心の弟子」と云う句について、浅井円道師が「観心本尊抄・仏典講座38)に於いて、
<釈尊が初めて発心されたとき以来の弟子の意味とともに、初発心以来ただ釈尊だけを師と仰いできた弟子の意である>(214頁)と注記しています。
「観心本尊抄」第十八問に有る「或いは初発心時」の注記には、
<華厳経の「初発心の時、便ち正覚を成ず」の文を天台は円教菩薩の成仏の例として、諸所に引用する。ただしいまは爾前円教の例とす。初発心とは十住の初めの初発心住(別教の初地)を指す。>
と注記しています。
初住の菩薩に関しては「玄義釈籖第十・九右」に、法華玄義本文を説明し、
<本地の真因初住より已の来た遠く今日乃至未来大小の衆機を鑑がむ>
と有ります。
この釈籖の文を「私記」が
<初住すでに三世了達を得る。あに衆生の根機を知らざるべけんや。衆生は即ち是れ下位なるが故なり。謂く此の人まさに来世に於いて我が化に預かるべしと知るなり>
と注記しています。
「釈籖講義」には、是に関連して
<本地の真因 住に入れば深く性徳の底に徹し 広く修徳の辺を窮めて 世世番番の種熟脱を一念の中に了するが故なり>
と注記しています。
天台教学では、菩薩も初住位になると衆生教化の能力が十分具わるとしています。
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