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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

18川蝉:2002/04/25(木) 17:22
「日大直兼問答」について。

「日大直兼問答」を再度読んでみましたが、日大も直兼にも、日蓮本仏論的思想は無いように思えます。

日大の「日尊上人仰云」の、「久成釈迦造立有無の事」に、
「日興上人が<末法は濁乱であるから、木像では、崇敬供養に差し障りあるので、広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置しておくべきだ>と云われていた。大聖人の御代に二カ所に木像を造立された。予が門弟は上行等の四菩薩を相添えた久成の釈迦の略本尊を、資縁に随って造立すべきである(取意)」(宗全第二巻・419頁)
と日尊上人が語っていたとあります。

「日大直兼問答」にも、
日大が直兼に「宝塔の内の釈迦多宝、上行等の四菩薩の脇士、薬王等の四菩薩、分身諸仏の造立 之有るべきや」と尋ねると、
直兼が「之有るべし云々」と賛意を述べたと有ります。(423頁)

また日大の「去去年本門釈迦造立云々、印契は教主脇士等合掌を皆造立す云々如何」
と尋ねると、直兼が十指堅実合掌尤も道理に叶うなり」と答えています。(431頁)

この問答によると、日大は脇士を添えた釈尊像をすでに造立していてようですね。

日大や直兼に日蓮本仏思想があったら釈尊像を造立したり、またそれに賛意を示すことは無かったと思われます。

直兼が「天台大師の法華相承には二つあって、一は、霊山にて薬王菩薩として相伝を受けた、これは本地の時の相伝の事である。二には、中国にて多宝塔中大牟尼尊より直授の相承である。そもそも日蓮の本地における相承は如何沙汰しているのか?」
と問うと、

日大が「上行菩薩の再誕としている。涌出品にも上行等云々とあり、神力品に付属を承けているし天台や妙楽の釈にも分明である」と答え、
直兼が「それは霊山付属の本地上行菩薩としてのことであろう。本師の本地此の如くあるべからず。(日蓮の相承はそれだけではないであろう)」とさらに質問し、

日大が「子細があって云うことは出来ない。観心本尊抄等に明鏡があるが、国主が帰依した時には、はっきり示すことができよう」
と答え、

直兼が「日蓮は妙悟の時、直に多宝塔中の大牟尼尊より末法相応の法門を相承している。この霊山に於ける相承は本地のことである。もう一度、清澄山開悟の時に、多宝塔中大牟尼尊に直に値玉へり」と云うと、
日大が「我が宗では霊山付属を先ず表として述べ、直授の義をば広宣流布の時に披露することになっている」
と答えています。
以上の問答は、宗全430頁三行〜431頁七行の問答の要旨です。

この両者の相承観から見ても、両者には日寛のような日蓮本仏論は伺えないように思えます。


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