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(続) 大石寺の歴史

67川蝉:2002/04/23(火) 13:43
二度開宗説について

「清澄寺大衆中」は平賀本録内では「三月」になっているようですが、小川泰堂居士の「高祖遺文録」は、身延所蔵の御書にも対校したと云われています。「清澄寺大衆中」も御真蹟と対校して、小川泰堂居士が「四月」に改めた可能性大と推せられます。

国柱会編「類纂遺文集」では、四月の「四」が二を縦に並べてあります。小川泰堂居士の自筆の「高祖遺文録」最後の定本の原稿に依っているので、真蹟も、二を縦に並べていた可能性大です。

前にも申しましたが、
身延進師の「日蓮聖人御弘通次第」も、宗学全書の読みに誤りがないかどうか、具眼の士に正本を調べてもらいたいものですね。

日道師の「御伝土代」も編者が「正本富士大石寺に在り、今之に依る」とありますが、確実に正本か、読み違いでないか、同じく具眼の士に調べて貰いたいですね。

昭和定本の『御義口伝』は、清水梁山師校訂平楽寺版を元にしたようです。下段に諸本対校が注記されていますが、『御義口伝』は大阪妙徳寺本、元亀本(堀日享師蔵)、京都要法寺版、金沢妙覚寺本と対校されているようです。
下段注記によると、妙徳寺本のみ三月となっているようです。
京都要法寺版、金沢妙覚寺本が三月としていると云う注記はありません。

日顕師は、「要法寺版、金沢妙覚寺本も三月としている」との事ですが、両本があれば確かめたいところですね。

しかし、いずれにしても『御義口伝』は第一資料と出来ませんね。

四月と有る文献も三月とある文献も、「申しはじめて」(御難事・清澄寺大衆中)「仰せ出でられ」(身延進師)「唱ひはじめ」(道師)と、いずれも初めてとあります。
「初め」は最初という事ですから、開宗説法が二度あったとは仮定しにくいと思われます。

また、道師は
「三月二十八日・・その日きよすみ寺をひんひつ(擯出)せられ給いおわんぬ」(御伝土代)
と、記していますので、もし、三月開宗説法とすると、四月にはすでに清澄を追われてしまっていることになり、再度の開宗説法は不可能です。開宗説法二回説は無理がありますね。

真蹟御書に四月と有る以上、三月とあるのは真蹟・正本の読み違い、或いは書写時の間違いと推測するのが妥当のように思えます。


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