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(続) 大石寺の歴史

59問答迷人:2002/04/15(月) 20:03

独歩さん
川蝉さん

横レス失礼いたします。

「主師親の三徳」について述べられた真蹟御書を検索してみましたら、川蝉さんが提示されたとおりでした。一方、法身解脱般若の三徳について述べられた真蹟御書を探してみました。以下に列挙してみます。

「法身解脱般若の三徳」の用例

始聞仏乗義(1207頁)
答ふ、生死とは我等が苦果の依身なり。所謂五陰(おん)・十二入・十八界なり。煩悩とは見思(けんじ)・塵沙(じんじゃ)・無明(むみょう)の三惑なり。結業とは五逆・十悪・四重等なり。法身とは法身如来、般若とは報身如来、解脱とは応身如来なり。我等衆生無始曠劫(むしこうごう)より已来此の三道を具足し、今法華経に値(あ)ひて三道即三徳となるなり。

竜樹菩薩、妙法の妙の一字を釈して「譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云。毒と云ふは何物ぞ、我等が煩悩・業・苦の三道なり。薬とは何物ぞ、法身・般若・解脱なり。「能以毒為薬」とは何物ぞ、三道を変じて三徳と為すのみ
 
妙楽云はく「若し三道即ち是三徳と信ぜば尚能く二死の河を度(わた)る。況んや三界をや」云云。末代の凡夫此の法門を聞かば、唯我一人のみ成仏するに非ず、父母も又即身成仏せん。此第一の孝養なり。病の身たるの故に委細ならず。又々申すべし。

秀句十勝抄(1324頁)
大唐(だいとう)新羅(しらぎ)諸宗義匠(ぎしょう)依憑天台義集一巻前入唐習業沙門最澄撰「大唐南岳の真言宗沙門一行、天台の三徳に同じて数息(すそく)三諦の義あり。其の毘廬遮那経の疏第七の下に云はく、三落叉(らくしゃ)とは是数なり。数は是世間なり。出世の落叉は是見なり。三相とは謂はく字と印と本尊となり。随って其の一を取るに一合の相是なり。字と印と尊と等しく、身と語と心と等しきをば実相を見ると名づく。乃至能く持誦せしむとは、浄ければ一切の罪をして除かしむ。若し浄からざれば更に一月(いちげつ)等しく前の如くするなり。所説の念誦の数とは上の文に牒するなり。此の法則に異なるべからざるなり。是の故に耳をして聞かしめ、息出づる時は字出で、入る時は字入り、息に随って出入せしむるなり。今謂はく、天台の誦経は是円頓の数息なりとは是此の意なり○猶天台の法身・般若・解脱の義の如し」云云。

これら、二通、四箇所の用例を見てみると、三道と対比させて述べられているか(始聞仏乗義の三用例)、あるいは、法身、解脱、般若の名目を挙げて「三徳」を述べられています(秀句十勝抄)。今、下山抄について検討してみると、三道との対比や、法身、解脱、般若の名目を示すことなく、「三徳」とお示しであり、しかも、「三徳を備える」との語法は、「法門可被申様之事」の語法と一致していますから、やはり、ここは「法身解脱般若の三徳」ではなく、「主師親の三徳」と読むべきではないかと私は思います。如何でしょうか。


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