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(続) 大石寺の歴史
57
:
独歩
:2002/04/14(日) 19:58
56 川蝉さん:
ご指摘有り難うございます。
『下山御消息』に「抑(そもそも)釈尊は我等がためには賢父たる上、明師なり聖主なり。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼(ぶつげん)を以て」の“三徳”を、川蝉さんは、やはり、先の主・師・親に係るとお考えですか。そうですか。実は、この点に私は慎重なのです。
真蹟中、聖人が「三徳」を使われるのは、この下山抄のみですね。
私は、ここを「一身に法身・般若・解脱の三徳を備へ給へる仏」であると言ってきました。
理由は55に記したとおり、主師親をもって三徳に配する義を他に知らないからです。また、川蝉さんが引かれている所にもありますが、後では三徳と記さず「三の故」となっています。
あと、
自讃には似たれども本文に任せて申す。“余”は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使ひなり。経に云はく「即ち如来の使なり」と。又云はく「眼目なり」と。又云はく「日月なり」と。
ですが、これは日蓮聖人を指すのでしょうか。そもそもこの御消息の署名は「僧 日永」であって聖人ではありません。ご承知のとおり、聖人が代筆をしたものです。つまり、署名が日永であれば、“余”とは日永を指すことにならないでしょうか。
(もっとも文脈からは、余は聖人を指すとしか思えませんが)
また、この書はかの有名な一節「教主釈尊より大事なる行者」とも記されるのであって、なかなか微妙なないようをはらんでいようとは思います。
さらに興師選定の十大部に一書に数えられますが、この十大部が本当に興師の選定か否か、川蝉さんはどのようのご見解をお持ちでしょうか。
下山抄はたしかに真蹟を存するものの、それ所在は29箇所にも分断される点、やや慎重になるところはあります。ただ、若宮法師、重須澄師の古写本を残す以上、その考証は尽くされているのかもしれません。
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