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(続) 大石寺の歴史
55
:
独歩
:2002/04/14(日) 17:55
とんちきちゃんさん:
お忙しいところ、書き込みご苦労さんです(笑)
> 日蓮本仏論…末法の主師親の辺から論証するべき
要は、これも日蓮本仏論者が用意した理屈であるわけでしょう。そもそも主師親具備をもって本仏とするという説明は、どんな根拠に基づくのしょうか。
この場合、主師親をもって三徳などと称するようですが、そもその三徳とは法身・般若・解脱をいうのです。主師親が三徳であるという根拠はなんでしょうか。また、それが三徳であり、本仏の条件であるという根拠はなんでしょうか。
因みに「主師親」は天台初期資料61篇中で主師親は『涅槃經疏』純陀品に一度出てくるだけですが、もちろん、三徳の意味では取り扱われいません。
仮に聖人が自ら一切衆生の主師親の自覚を吐露されたからといって、それが本仏を己証を示すとは言い難いでしょう。
> 一尊四士は、御書の四菩薩造立抄の影響が大なるものだと思います。
この書は真蹟を存しないので注意を要すると思います。
> 富木日常の仏像に対する執着からの機情の見だと思われます。
こういう論の展開事態、曼荼羅正意論者の勝手な感情でしょう。
45に記したとおり、聖人自体、仏像を賞賛しているわけですから、成り立たない議論です。
また、興師も弘安元年ごろまで四十九院の供奉僧であったわけで、とならば、その院内の尊像に礼拝給仕していたことは否定の仕様がありません。
> 曼荼羅本尊が開山上人よって多数書写され、御筆止め御本尊を拝したときに曼荼羅正意だと思いました。
開山の曼荼羅を拝し、心を動かされた御信心はもとより否定しません。しかし、それが直ちに曼荼羅正意の証拠とはならないでしょう。
ただし、興師は晩年、曼荼羅正意に傾いていったという時間的な変遷はあったろうとは思います。
> 御書の権実相対判のタームの部分においては、釈尊の仏像を本尊にする事を一時認めたりしていると思います。権教よりも実教を進める為の一時の容認と思われます。
これまた、曼荼羅正意論でよく語られるところですが、本尊抄における、本尊とは「本門本尊教主釈尊」「寿量仏」「仏像」、ここに本門本尊という限り権実判の限りではなく本迹判に心がかかっているのではないでしょうか。
また、「権教よりも実教を進める為の一時の容認」と書かれるけれど、先に挙げた日眼女の仏像像立讃嘆は弘安2年と最晩年のことです。まったく、一時のことで本懐を終えられたわけではないでしょう。
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