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(続) 大石寺の歴史
45
:
独歩
:2002/04/14(日) 12:28
とんちきちゃんさん:
言葉は軽めに、しかし、実はなかなかの論客と拝しました(笑)
> 無作三身思想が証真以前の成立であるとすれば日蓮大聖人に無作三身思想があっても不思議ではなく、無作三身の用語より御書の真偽問題を論ずるのは、できなくなるのあります
仮に無作三身を聖人が知っていたら、という仮定に基づいても、私は違う論点を持っています。知っていたのであれば、なおさら、なぜその点が真蹟に確認できないのかということです。つまり、聖人はこの説を斥けていたのではないのかという類推が成り立つであろうということになります。
故に無作三身から真偽問題が論じられないことにはならないでしょう。
> 日蓮大聖人の時代に中古天台本覚思想があり清澄寺が東密系の寺院であり過去に日蓮大聖人が虚空菩薩求聞持法などの修業や不動愛染感見記や八舌の鑰の口伝や過去ログより密教、中古天台本覚思想の影響を受け、さらに天台の六即義を超えた名字即但心唱題を主張されたのでは、ないのかなと思っています
この分析は、当然、言われていることであって考証の価値は充分にあると思います。中古天台本覚思想と聖人の接点、今後、追及すべきテーマであろうかと思います。
けれど、だからといって、日蓮が「私が本仏」と言ったことにならない点が重要でしょう(笑)
> 先師宝前、聖人に申上、法華聖人の御宝前、法主聖人の御宝前、御経日蓮聖人などが開山上人が御供養を供えた事が書いていますが釈迦仏の御宝前や釈迦仏にまいらせなどは、ありませんが御経日蓮聖人は、あります。
この事情は実に簡単なことであって、興師は御影堂の建立をもって重須に移っていらっしゃる。つまり、重須は生御影安置の聖地と言う位置付けなのであって、そこを守る興師への供養という前提であれば、当然、返礼は上述のような表現になることでしょう。
しかし、だからといって興師が聖人を本仏と見なしていたという証拠にはなりません。
> 宗祖在世の一尊四士が現在では、中山法華経寺(富木日常)にしか見当たらないのに宗祖の曼荼羅本尊は、百二十数幅も現存するのは、曼荼羅正意を裏付ける
これは論点が少し混乱していませんか。一尊四士は興師の説なのであって、他門はたとえば釈迦一体仏立像等をもって本尊造立に充てるわけで、日蓮門下における造像はその例に事欠きません。また、弘安2年の真蹟『日眼女釈迦仏供養事』には
三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女…今日眼女は今生の祈りのやう(様)なれども、教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし。二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとをぼ(思)しめすべし。
と賞嘆されるのであり、また聖人が生涯一体仏を随身されてお出であったことも周知の事実でしょう。
聖人ご自身が積極的に仏像を造立されなかったことが曼荼羅正意であったとするのは短絡ではないでしょうか。
聖人は曼荼羅図示、弟子檀那はその意を受けて仏本尊を造立するという、言わば役割分担がそこにあったのであろうと私は拝察しています。
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