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(続) 大石寺の歴史
36
:
独歩
:2002/04/13(土) 21:58
川蝉さん:
> 興師…(仏像形式造立反対ではなかった)、充分推測は出来ますね。
この点については、私は富士門流の言い分をそのままにしても(ここは富士門流の掲示板なのでその点から考えるわけですが)、たった二つの仮定で簡単に説明できると思っています。
仮定1 もし朗師が釈迦立像を持ち去らなかったとしたら
仮定2 もし波木井円師が終生、興師の弟子であり続けたとしたら
という二つの仮定です。
朗師が釈迦立像を持ち去らず、波木井円師と興師がずっとうまくいっていれば、聖人の遺言のとおり、釈迦立像は、いまでも聖人の墓所の横に立っており、そして、身延は興師が二祖ということになったでしょう。とすると、聖人の教えを忠実に継いだ興師とその門弟は墓所と仏像を守り続けたことになったでしょう。
つまり、墓であれどこであれ、“興師の寺には仏像があり続けた”ことになったわけですね。否定の仕様もない点です。
いずれにしても川蝉さんがおっしゃるとおり、本尊において三宝を拝することは常道でしょう。当然のことであろうかと存じます。
ただ、私は個人的に曼荼羅一体に三宝義を拝することは是としても、その形式において、美を尽くしているようには思えないわけです。つまり、本尊(釈尊)と脇士(四菩薩)、そして法(妙法蓮華経)の関係が、仏像で一塔二尊四師、あるいは一尊四士とするような整然とした配列を示していないということです。ですから、曼荼羅一幅に御影を安置するだけでは、聖人の御立の三宝は必ずしも尽くしきれない、仏像の像立は必要であったろうと思うわけです。
しかし、仏・脇士をもって教説を表現することが可能であったように、曼荼羅をもって仏を表現することもまた、可能ではあろうかと存じます。案外、曼荼羅正意論の展開は、そんな点に対する“気づき”に由来するのではないかと思えます。
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