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(続) 大石寺の歴史
34
:
川蝉
:2002/04/13(土) 20:55
30 独歩 さんへ。
「本尊抄」においては、大曼荼羅を仏像として表現すれば、一尊四士像であると日蓮宗の宗学者たちが指摘しています。
本化妙宗でも一尊四士像は大曼荼羅の妙略であり、仏像として表現する場合は一尊四士像であると云う見解です。
仏智を表する中央題目は釈尊の証悟であるから、釈尊像の内容とし、本仏であることを表する為に四菩薩を脇士にすれば、仏法僧の三を具えた本尊であるとしています。
顕本の中川日史師は、一尊四士像は法宝が欠けるので、一塔両尊四士像の方が三宝具足するので良い、としていたと思います。
中川日史師は大曼荼羅の肝要部分(中心)は三宝尊であるとしています。
また、本尊抄によれば、大曼荼羅全体をもって釈尊の証悟(身・土)が表されていると云えますね。
形は文字で現しているので法本尊と理解する人達もいますが、単純なる法本尊ではなく、三宝を体としています。
私などは、大曼荼羅を拝するときには、霊山虚空会のままの諸尊が影現している想像しながら拝します。
中央題目も単なる法でなく、成仏せしめてくれる釈尊の慈悲の結晶であり、題目に即して釈尊が影現していると想像します。
私の所は、大曼荼羅とその前に祖像を安置していますが、仏祖三宝を拝していると云う実感です。
興師の心情を私が如き者の気持ちで推し量るのはどうかと思いますが、興師が、大曼荼羅本尊の前に祖像を奉安する御宝前を拝していたとしても、「仏・聖人」と観じられていたであろうと推測できると思います。
>聖人在世は常に釈迦立像一体仏を随身され、・・その聖人の往古
>を偲ぶ御影であれば、曼荼羅・仏像・御影の順位に安置をなし、
>さらに、そこに三宝義を拝することは、少しも不自然ではないこ
>とになります。
その通りと思います。
日蓮宗では中山法華経寺に宗祖当時の一尊四士像が残っています。宗祖の直弟子や信徒が本尊としていた一尊四士像や釈尊像は他に残っているものが無いようですね。
>大石寺にあっても同様で興師の筆で確認できる「持仏堂」の仏と
>は、当時はまさに仏像を指したのであり、その仏像の後ろに懸け
>られたのが曼荼羅であったのであろうと思えるわけです。
「持仏堂」と有るのですか。興師が、造立するなら四菩薩を添えなければいけないと云っていますし(仏像形式造立反対ではなかった)、充分推測は出来ますね。
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