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(続) 大石寺の歴史
29
:
川蝉
:2002/04/13(土) 16:12
とんちきちゃさん、独歩さん横から失礼します。
興師は曼荼羅本尊の前に祖像を安置していたのでは。
私自身、供物を具えるときには、心情的には「お祖師さま、どうぞ」と云う気持ちですね。
興師は宗祖に御給仕・報恩の気持ちが強く、常に照覧されていると云う意識を持っていたのでしょう。
そこで、ご消息状に「法華聖人の見参に」とか「聖人御影の見参に入れまいらせ候」等との言葉を、自然と書かれたのでしょうね。
宗祖を本仏とし本尊と考えて、そうした言葉を書かれたと云うわけではないと思います。
「与由比氏書」(宗全第二巻188頁)
にある「仏聖人」の意味するところを、
とんちきちゃさんは、「仏(日蓮)聖人」の意と思うとのことですが、興師が宗祖を本仏とし本尊としていたと云う考えからの読み方ですね。
独歩さんの、「「仏(釈尊)聖人(御影)の御前」に供養を捧げたという表現なのであって、仏は当然、釈尊を指すものでしょう。」との解釈のほうが、独歩さんが28に挙げた『原殿御返事』や『佐渡法華講衆御返事』の文により真意に近いと思います。
道師の「日興上人御伝草案」に
「日蓮聖人云はく本地は寂光地涌大士上行菩薩・・
本門教主は久遠実成・・
法を云えば・・南無妙法蓮華経なり。
弘通を申せば後五百歳中末法一万年の導師なり(略抄)」
(宗全第二巻253頁)
とあって、仏宝は釈尊、法宝は妙法五字、僧宝は宗祖としています。
この仏法僧の配当の考えから云っても、興師が宗祖を本仏とし本尊としていたとは云えないでしょうね。
ですから「仏(日蓮)聖人」の意と見るのは如何と思います。
さらに別な読み方も考えられるのではと思います。
「与由比氏書」のはお盆の供養料としての供物に対する礼状ですね。
「この程は仏の御施餓鬼絶え候処に」
とありますね。興師の用語を調べたわけでないので、確信を持って云えないですが、この「仏」とは故人(精霊)を指しているようにも思えます。釈尊や宗祖には施餓鬼供養など必要ないわけですから。
とすると、前にある「仏聖人の御座候座に」とは、「供養の対象である故人と宗祖とが影現されている法座に」と云う意味にも取れるかなと思うのです。
ただし、この文の後の「盆の謝日十五日寮迚候堂有り」の意味が不明なのと、興師が故人(精霊)を「仏」と表現することがあったかどうか分からないし、故人(精霊)を聖人の前に置く言葉も変かな?と思うので、確信のある解釈ではありません。
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