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(続) 大石寺の歴史

120犀角独歩:2002/09/11(水) 10:32

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私は過去には『家庭内宗教戦争』1冊を読んだだけであったので、怨念のエネルギーでここまでやってきたと見えてしまうのですね。

寺報に今東光のことを書いた、住職に「猊下を誹謗した人だ。その部分を切り取れ」と言われ、寺報の1部1部から切り取り作業をしているうちに怒りがこみ上げてきた、そして、法華講を離れた、そんな彼の怨念のエネルギーがようやく冷めてきたものの、しかし、奈辺で燻っていると思えてしまいます。つまり、そのような自分の怨念を肯定化するために集めに集めた資料をまとめたのが一連の出版かと。

美濃さんは奥さんが信者であったから引っ張られてやるようになり、ついには自尊心が傷付けられるような事件を経て怨念をもってやめていったのでしょうね。ひととき、奥さんへの愛情から石山信仰の“真似事”みたいなことをしたけれど、本心ではなかったのだろうと思えるわけです。

私は石山・学会の家に生まれて、日蓮・日興で育ってきました。石山の批判はするけれど、いまでもあの場所は懐かしい。思い出せる石山住職は達師と顕師だけ。2人に恨みと言うより、懐かしさが先行します。山も懐かしい。

私の石山批判は、かつて絶対であると思っていた自分の親父を、長じて、客観眼を得て見たら、間違いも多い一人の人間で、そのあとを継ぐ自分は親父の過ちごと相続しなければならない、間違った点は素直に謝り・是正を心がけるしかなかった、絶対であると思っていた親が、絶対でないとわかっても、でも親に対する憧憬と思いは残った――そんな親父に対する思いと日蓮・日興・石山に対する思いはどこか共通しています。

私の石山批判は、一種の自己否定であるけれど、美濃さんのそれは確実な他者否定なのですね。基本的なコンセプトの違いがあると思いました。


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