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(続) 大石寺の歴史
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犀角独歩
:2002/09/11(水) 07:33
以前、どなたかに私の記している内容は美濃周人さんと類似しているという指摘を受けておりました。そんなこともあって、この度、篤志の方が、私にその美濃さんの『日蓮正宗創価学会 謎の大暗黒史』を下さりました。
一瞥して、「この人と私が同意見!?」と、がっかり。
扱っている資料、提示した資料に重複はあるけれど、これはかなり違うという印象でした。
違っているところは、多々ありますが、一番の違いは美濃さんは二箇相承を大石寺文書のように扱っているけれど、私は二箇相承は北山文書であると思っている点。また百六箇抄についても同様で、私はこれを要山資料と思っています。
あと、この本を一瞥して思ったのは美濃さんという方は、たとえば富士宗学要集をすべて読み尽くし、その中から歴史を読みとったのであろうか?という疑問が残りました。自分で読んで出した結論と言うより、石山批判として、既に切り出されている資料・解説をわかりやすい言葉で書きまとめたのが、この本ではないのかと思った次第。まあ、外れていたら、美濃さんごめんなさい…会ったこともありませんけれど(笑)
実際、文中はジョージ左京氏と安永弁哲師の孫引きが大半を占めていました。
余談ですが、安永師の石山歴代管長批判の文章は『大石寺の正体』から引用していたけれど、初出は、むしろ『板本尊偽作論』のほうが先ではないのかと私は思います。また、この批判に対しては達師が精道師の名乗りの頃、宗務院として、この批判に答えているわけで、この点を何ら紹介しないで、悪口をそのまま、記すというのはどうかと思いました。
殊に恭師の葬式は焼けこげた腸(はらわた)だけみたいな悪口を鵜呑みにして、そのまま紹介する点は、私は「人間の善意を記す」本としては甚だ不可であるとも思いました。
しかし、美濃さんの記すことと、私が言うこと、そんなに似ていますか、突き当たった資料から考えて、やや類似した点がある程度ではないでしょうか。根本的な歴史の読み、教義の読み方がまるで違っています。第一、私は人の本を簡単に解説して、一冊本を書いてしまおうなんて乱暴なことはしませんよ。また、人のまとめた本を読んで、さも自分で考えたような素振りなんかしません。
いただいた本を読み、違いを確認できました。有り難うございました。
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