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(続) 大石寺の歴史

112犀角独歩:2002/08/01(木) 13:01

重ねて問答名人さん:

戒壇之曼荼羅というのは達師の説法で「半丸太である」ということでした。
ところが一般的には「板曼荼羅」と、こう称されるわけですね。

精師の頃までは御影堂に安置され、特に内拝なんていう方法は採られていなかったという達師説法もあったわけで、まあ、そうなのであろうと私も思っています。そうなると、御影堂で拝された方は正面から見て「おや、板に刻まれているんだ」とびっくりして帰る、それが伝聞されて、「板だ」と言うことで板曼荼羅と他山が言うようになったとこんな流れなのかと思っていました。

ただ、この類推は一つ何点が宝冊の什宝の記載です。

一、本門戒壇の板大漫茶羅 一幅
…末代不朽の為に楠の板に書く厚さ二寸二分竪四尺七寸五分横二
尺一寸五分なり

量師によるとされるこの記述は、まず板に直接書いたこと、その厚さが「二寸二分」であることが明記されています。量師は石山48世ですから、当然、戒壇之曼荼羅を元に、こう記述したと思うのです。

まあ、確かに宝冊をして亨師は注して「量師の正本を見ず…此書は先師も曽て怪奇の書と貶せられた」という本で、その資料性は如何ばかりか疑うところもあるのですが、やはり、一般的には「厚さ二寸二分」の楠板と理解されています。

しかし、実際は半丸太であるという、この食い違いは、どのようなところから来ていると思われますか。


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