したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

(続) 大石寺の歴史

100犀角独歩:2002/07/29(月) 11:33

宮本さん:

> 享師が、おっしゃたのでしたら、本当なのかもしれませんね。

これはあくまで未確認情報ですから、本当とは言えませんね。
ただ、学会がなんで戒壇紙幅曼荼羅があるなどと言い出したかは、実に謎です。

> ただ、楠木の板で、裏側は半丸太、今と違い表面を高精度の水平で
> 鉋(初期だとちょうなでしょうか)で削ることは、難しいでしょう

みんな、そのように思ってしまうんですね。
私はこの鉋を使って大材を削るところを見たことがありますが、それこそ紙よりも薄い鉋屑が切れることもなく空に舞う見事な切れ味でした。

第一、聖徳太子の時代から日本は世界に誇る木造建築を造る技術があったのです。それが目で見てわかるほどごつごつにしか削れていないなどということはないでしょう。

また、仮に板曼荼羅が鎌倉期のものであっても、上に漆を塗り重ねれば、下地も整えるわけですから均一の平板にすることは難しいことでないはずです。

正面は以上のようなことで、論じられてきている鉋については、この正面ではなく、半丸太側の切削についてのことであろうと私は判断しています。

> 製作過程で紙幅のものを貼って,いったん上側をはがし、一方を保存し、
> 後、謹刻、後は、金箔、漆の重ね塗りってことかもしれしれません。

この想像は実際の制作とは全く違うでしょうね。
紙幅を板に改めるとき、紙幅の曼荼羅の上に薄く透けた浸透度のない和紙を起き、筆で輪郭を取って彫刻用の下書きを造るのでしょう。その下書きを板に貼り、彫るのです。

それに板に改めたものはあくまで第二転なのであって、いわば影本です。ですから、正本である紙幅曼荼羅が保存されていたのであれば、間違いなく虫払その他の保存は心がけられるでしょうし、なにより、正本に読経唱題供養をなさないなどということは、考えられないのです。

これはしかし、印刷曼荼羅と写真製版で造られた複製でしか、曼荼羅を制作できない創価学会に感覚的に理解できないかもしれません。もちろん、宮本さんが、ということではありません。

> おそらく、何回か、てなおししているでしょうから、その都度、
> 保存状態を考えて、いろいろとやったのかもしれませんね。

近年では正本堂へ遷座するとき、赤沢朝陽がお色直し(修繕)を行ったことは周知の事実です。

その際、聖教新聞社のHカメラマンが詳細に撮影したとのことでした。
実際の話かどうかわかりませんが、離間後、八王子牧口記念館に入れる曼荼羅は、この写真を元に戒壇之曼荼羅のレプリカを入れる計画があったとのことですが、会員の動揺を考慮して取りやめになったと聞いています。

余談ですが、牧口展、戸田展などで展示される学会重宝なるものも、そのほとんどがレプリカだそうです。

もっとも会員に配られる池田氏の直筆と云われる色紙も、その創作グループがあって書いているとのことですし、執筆も大作ならぬ、代作。

話はずれてしまいますが、このような体質の創価学会がいう「紙幅の戒壇の本尊」という話の信憑性は薄弱であると思うわけです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板