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(続) 大石寺の歴史

10川蝉:2002/04/11(木) 16:51
2 問答迷人 さんへ。

文字通り読めば、
日本国を始め世界中が同帰した時には、日目が戒壇のある本門寺の座主になって、日本と世界中の寺の半分を管理しなさい。あとの半分の寺院は、その他の人が責任を持ち管理するようにしなさい。
と云う意味ですね。

「分配の取り決めの様だ」と、感じる人は、意地悪く読み過ぎではないかなと思います。

元徳二年は、日目師は72歳、興師は86歳ぐらいですね。
両師の入滅は1,3年後だそうですね。
すでに相当老年であった日目師の生存中に、日本をはじめ世界の国々が妙法に帰依する高い可能性があると、興師が考えていたことになるが、そんな誇大妄想的な事など興師が考える筈はない。
で、この文章は興師のものとは思えない。

第一条は理想実現の時を仮定して云ったものであると弁明しても、日目師生存中には現実的に実現不可能な事などを譲り状に記する必要などまったく無いはず。

「弘安八年より元徳二年に至る五十年の間」
とあるが、実際は四十五年間である。

譲り状であるのに、「十一月十日」とあるだけで年が記されていない。本文が何時書かれても例えば二三年後にでも、年月日と署名印が記された時点で、正式な文書としての価値が生じるものである。
元徳二年説、元徳四年三月説(要法寺日辰師の祖師伝には、書写したとき「元徳四年三月 日興在判」と有ったとしている)

このように、譲り状であるのに、年月日がしっかり記されてない。
等とうの理由から、信憑性はきわめて疑わしいと云う見解が出されてします。


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