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『河辺メモ』について
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:
愚鈍凡夫
:2003/11/27(木) 20:08
ハードディスクで「御肉牙」を検索したら、出てきました。
1952(昭和27)年5月10日 戸田会長、聖教新聞第2面に。
『御生骨は弘安二年、大聖人様御年五十八歳の折、身延において日興上人(あるいは日目上人)にたまわられたものであり、本堂において生きたお骨として崇め奉り、広宣流布される時まで生きておられれるとの事であり、水晶の塔にお包みし、木製円形の宝樹に入れ、更に真鍮のお厨子に入れ、桐箱に納め、常時御宝蔵の長持に安置申し上げておかれるとの由、宗務総監細井尊師より承る。
会長戸田先生より拝観の御感想を伺う。
「日開上人様の御代のころ、三分位御歯が出、真珠のように光っていたと承る。その後日恭上人の御時には御肉が倍位にふえ、後年牧口先生が拝観せられた時は極くわづかであったとの事である。今回は広宣流布の曙近きを信じて拝観申し上げた。」』
等とある。
1956(昭和31)年1月31日 戸田会長、本部幹部会で、
「このお肉は、しだいにふえて、歯を包んでいる。私が最初に拝んだ時は六百五十年遠忌の時であります。その時には、このくらい、マッチ棒の先ぐらい、お歯が出ていたが、他の部分はほとんど包んでいた。次の機会には私は行かれず、先代の牧口先生が行かれたが『まだ包まってはいないが、上のほうにイボのようなものが出ていたよ』と言われた。ところが、七百年祭の時、拝んだが、歯はすっかり包まっていたのです。ただ、裏のほうの歯が見えていた。裏はまだ包まれていなかった。今度はどうなったかわかりませんが、これがですね、ガラスの中に入れてあり、それを金で作った宝塔の中に入れ、それをまた箱の中に入れ、それを、もう一つの箱の中に入れ、長びつの中に入れてある。なにも御飯などあげるわけではないのですが……。たしかに生きている。まことに不思議である」
等と、〃御肉牙〃について語る。
1956(昭和31)年4月1日 戸田会長、仙台支部旗返還授与式で
「日蓮大聖人御在世の時に歯を抜いた。その抜いた歯の下のほうに肉がちょっぴりついておった。ところが、この肉が七百年のあいだに、だんだんだんだんふえて、ちょうど、まさに歯を包まんとしている。これは説明つきますか。しかも脈打っているのですよ。汗をかいているのですよ。生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか」
と、〃御肉牙〃について語る。
1956(昭和31)年4月20日〜
大石寺参詣者に〃御肉牙〃の拝観を許す。
「扨此脚本尊御認めあって中老和泉公日法師に彫刻を仰付られ其褒賞として有職を彫刻阿闍梨日法と下し置かれ且永存の爲め特に楠板を選み給ふたものと伝はつてある。又楠板の一端を以て一体三寸の御尊体を彫刻し大聖人御剃髪を化灰し薄墨の衣白五條の袈裟に彩色し尊覧に備へ奉る。大聖人是を左りの御手の上に据へさせられ莞爾と笑を含ませ給ひ「我姿によく似たり」と印下し玉ふと日興師以來石山にては之を最初仏と唱へ伝ふ(仮名書御伝記に造り初御影富士の大石寺にありと記せり)。又石山に大聖人御灰骨もあり。又由緒深き御肉牙(御生骨と唱へ居れり)もある。これは道本子供の時より永年間に其機会の折々拝観したが拝観毎に形ち大を増し然も大正十三年春拝観した時は其御形ちは上記の如くで×印の様な瘤肉が増加して有つて肉に血管が顕れ其薄紅色の肉中に菌蒔絵を施しあるものゝ如くであつた。」(「弘安二年大曼茶羅と日興師 附 大船大日本丸」 P29〜30)
ご参考までに。 (^_^)v
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