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『河辺メモ』について

17犀角独歩:2003/01/08(水) 08:51

ここは河辺メモのスレッドですが、ちょっとだけ。

犬歯1本の先を残して肉が包み込んでいるというのが言われていることですね。
成長談を聞いたのは、私も学会からでした。戸田さんの記述が残っています。

「今度の4月20日から、お山においても、御肉牙(おにくげ)の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。日蓮大聖人様御在世の時に歯を抜いた。その抜いた歯の下のほうに肉がちょっぴりついておった。ところが、この肉が七百年のあいだに、だんだんだんだんふえて、ちょうど、まさに歯を包まんとしている。これは説明つきますか。しかも脈打っているのですよ、汗かいているのですよ、生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。
身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います。(昭和31年4月1日・仙台支部旗返還授与式・仙台市公会堂)」

ところで、御生骨は元来、「肉付(附)の歯」と言われていたようで、その記述が現れるのは精師『富士門家中見聞抄目録(家中見聞中)』です。

「御牙歯脱け落つ聖人此歯を以て日目に授けて曰く我に似り問答能くせよとてたまはりける御肉付きの御歯と申すは是なり、(此の御歯当山霊宝随一なり広宣流布の日光を放ちたまふべしと云へり)」

この記述に基づくように量師『富士大石寺明細誌』に

「一、日蓮聖人肉附の御歯一枚
又御生骨と称す、蓮祖の存日生歯を抜き血脈相承の証明と為て之れを日興に賜ひ事の広布の時に至らば光明を放つべきなり云云、日興より日目に相伝し代々附法の時之れを譲り与ふ、一代に於て只一度代替蟲払の尅之を開封し奉り拝見に入れしむ常途之れを開かず」

とあります。精師の草は明暦3年(1657)、量師の記は文政6年(1823)のことです。つまり蓮祖滅後367年も経ってから言い出されたことであったわけです。ただし、この時点で、肉が「成長」していると言った記述は見られず、単に広宣流布に光を放つ(もっとすごいか)というものでした。

ところで抜歯を受けるという話は、石山に始まるものではなく、元来、昭門に言われていたもののように思えます。昭師『遺跡之事』に

「一、聖人御歯二粒ハ御存生之時親リ聖人之御手自リ賜フ所也」

とあります。文保元年(1317)の日付となっているので、この書が昭師の真筆であれば、聖滅36年の書ということになります。(その実否は確認していません)同師は元亨3年(1323)103歳で寂したといいます。案外、この昭門の話をモチーフにして出来上がったのが石山・御生骨話なのであろうかと思えます。

昭師の伝は素朴でありそうな話と感じますが、精師の話は荒唐無稽。大事な点は精師は肉付歯(御肉牙)を戒壇之漫荼羅・造初御影・生御影とセットで石山の霊宝、換言すれば、自山宣揚の“目玉”としている点です。戒壇之漫荼羅の記述も、この精師に始まるのです。なお、目師相伝・広宣流布に放光伝説は容易に広布目師再来説とつながっている点も指摘できます。


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