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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について
2024
:
ワラシナ
:2008/02/21(木) 11:42:53
雑誌「福田」・衝撃の一行
前回この話題を書いた時肝心な事を省いた。それが標題。
「福田」発刊の意図は表向き形木本尊不正疑惑の提出だったが、これに派生した正本堂安置の板御本尊様偽作論への反撃にもあった。「肝心な事」とは、反福田勢力側から飛び出した「宗門は(板御本尊の真偽について)自信がないんだ」との発言を指す。
「福田」後半の記事はこの発言打消しに躍起になった反論であった。
ところでその衝撃の発言にはいつ、どこで、誰が、どういう理由でそう言ったのか、根拠が全く欠けていた。それを埋め合わせる為に反福田勢力側が繰り出したものこそ河辺メモだった(と推測した)。
2025
:
外陣
:2008/02/21(木) 17:32:58
※応接の順序が逆になることお許しください。
問答迷人さん
これは独歩さんにも尋ねるつもりですが、貴方は三大秘法を否定するわけではな
いのでしょう?
日寛上人や日有上人、また日淳上人や日亨上人までも批判の対象になさっておら
れるのでしょうか?
挙げた御尊師がたは皆様、大石寺の戒壇大御本尊を拝せよと仰せになられていま
すよね。本尊に迷ってはならぬと口をそろえて仰せです。
時として癖のお強い管長がお出になることもありましょうが、また信者の代表に
も大変迷惑なお人も出現することもあるのがこの六道世界です。
であるからこそそのような人間まるだしの人の言動に迷わされないで正宗の原点
を守りたまえと口酸っぱく仰せなのではないですか。
そもそも信じられない管長、でたらめな管長と思われるならばその人たちのヒソ
ヒソ話の内容なんでしょう。河辺メモとかその他も。鑑定やらなんやらも。
それは信じてその内容だけに乗っかるってのはちと調子がよくないですか。
金だかなんだかの宗門内の動乱に乗じて、あることないことまで邪推して曲解し
て、しまいにとうとう御本尊まで権能もないのに勝手に作ってしまうに至っては
池田さん方と同じじゃありませんか。それ絶対変ですよ。何様かと。
2017につきましては
口伝というより唯授一人相承ということです。もちろん六老等しく大徳であり、
直弟子であることは間違いないでしょうが、相承にも総別があることはご存じの
通りであり、別付属として興尊お一人に宗祖がお授けになったものがある。
それはなにも大聖人ばかりではなくお調べになればいくつものそうした事例はあ
りますよね。例せば釈迦牟尼だって誰でも彼でもに最重要の法門を授けたわけで
はないのと一緒でしょう。他の弟子にとっては嫉妬がムラムラだったかもしれま
せんが。その方々が寄せては返す波の如くに定期的に法門流布の邪魔をしかけて
くる、というのが当家の歴史に明らかです。
で、その御相承、御相伝こそがそうは簡単に門外には露出させないのではと。
釈迦御在世の時からすでに学び損ないや一知半解の弟子群がいたであろうし、そ
れは宗開両祖の時にもいたので一種警戒なさっておいでであったと想像します。
ましてや大聖人が自らを末法の佛である、などと声高に云おうものならそれは大
変なことになりましょうから。当時鎌倉と石山では相当の温度差があるわけで、
智解深妙・死身弘法・行戒堅固・智徳絶倫の誉れ高き日興開山聖人のみに別付属
されたその内容を知るすべもないわけです、頭に来るものもそれは出るでしょう
な。しかたがない大聖人の御佛智ゆえですから。
つまり三秘に関しても特別なご配慮で御相伝なすったわけです。本尊抄にしても
開目抄にしても本来は「一読したらしまっておけ」「やたらに浅薄なものに話す
なよ」といった超スペシャルな御妙判ではなかったかと推察します。
まあこれは大石寺興門流であれば周知のことでしょう。
ちょっと昔は我々衆生には御書御妙判だって読むことは難しかったわけで、最近
でしょ、ズブの素人でもこうして法門法義の勉強が独習できるようになったのは。
小生が云わんとしているのは、その御相伝のなかには大御本尊の取り回し
(ちと不敬な言い回しか)について、他のあずかり知らぬものもあるのかなぁ、
そうだとすれば親の心子知らずで安直に偽だ本物だと騒ぎ立てるのはどうかと。
気障な演説になってしまったようですが、とにかくも正法誹謗は怖いと思うので
す。
※文体が見苦しく、喧嘩腰にお感じになったら堪忍してください。
※勝手ながら仕事の都合で、あとは夜に御免下さい。
2026
:
問答迷人
:2008/02/21(木) 18:20:32
外陣さん
>貴方は三大秘法を否定するわけではないのでしょう?
真跡遺文に「三つの秘法」と述べられています。日蓮聖人の教えと拝しています。
>日寛上人や日有上人、また日淳上人や日亨上人までも批判の対象になさっておられるのでしょうか?
少なくとも、寛師に対しては批判的に見ています。
>正宗の原点
これは何を指しておられるのでしょうか。戒壇本尊ですか。
>しまいにとうとう御本尊まで権能もないのに勝手に作ってしまうに至っては
池田さん方と同じじゃありませんか。それ絶対変ですよ。何様かと。
これは意味不明です。誰が何時勝手に本尊を作ったのですか。
>口伝というより唯授一人相承ということです。
日興師に唯授一人相承が有ったというなら、それは何か根拠が有るのでしょうか。承りたいと存じます。
>相承にも総別があることはご存じの通りであり、
存知上げません。証拠をお持ちならお示し下さい。
>で、その御相承、御相伝こそがそうは簡単に門外には露出させないのではと。
別付属等と言われるのであれば、先ず証拠をお示し下さい。議論はそれからです。
>小生が云わんとしているのは、その御相伝のなかには大御本尊の取り回し
(ちと不敬な言い回しか)について、他のあずかり知らぬものもあるのかなぁ、
そうだとすれば親の心子知らずで安直に偽だ本物だと騒ぎ立てるのはどうかと。
日達師は、「相伝と言っても、みんな日亨師が表に出してしまわれた。相伝箱の中身は、既に皆が知っている書物なんだよ」(取意)と当時の法華講の三浦教学部長に語られたと聞いています。そんな神秘主義は通用しないと思っています。
外陣さんは、大石寺のアナウンスをそのまま信じておられるようですが、いずれも根拠薄弱だと思います。言わば大石寺の勝手な作り話。日興上人の末流というのもおこがましい姿が今の大石寺の教学だと僕は考えています。動かぬ証拠を以って、論陣を張ってください。期待しております。
2027
:
犀角独歩
:2008/02/21(木) 19:18:42
> 管長、でたらめな管長と思われるならばその人たちのヒソヒソ話の内容なんでしょう。河辺メモとかその他も。鑑定やらなんやらも。それは信じてその内容だけに乗っかるってのはちと調子がよくないですか。
だれがその内容を信じたのですか?
信じないからこそ、創価学会は阿部さんを攻撃したのでしょう。わたしは、阿部さんが、この内容を言っていないと言い張ったからこそ、それを信ぜず、その検証をしたわけです。話に乗ったのではなく、逆です。図形の字画判定とは、少し違いますが、同じく文字の鑑別を行った。つまり追検証です。その結果、河辺メモに書かれていることは、ほぼ合っていることを図形として証明したわけです。違うというのであれば、図形をもってその相違を外陣さんは、挙げるだけで十分です。
石山に本尊相伝など、そもそもなかったことは、こちらの掲示板で、れんさん、独学徒さんをはじめとする皆さんの分析で既にはっきりしています。
かいつまんで記せば、もし、そうした相伝があれば、日興已来早瀬さんに至るまで、同じように本尊を書いてしかりです。ところがそうはなっていない。上古のものとされる本尊相伝とも違った書き方になっている。経年変化があるということです。つまり相伝は時代時代で書き換えられ、継ぎ足され、変わっていった。ということは、その相伝自体、日蓮日興にまるで遡源できないということです。
外陣さんの言葉を借りれば、歴代同士のひそひそ話=口伝・相伝は、変化していると言うことです。
御本尊七箇相承「日蓮在御判と嫡々代々と書くべし」(石山本尊のどこにも「嫡々代々」とはどこにも書かれていません)
もう一つ。三師塔という話がありましたが、いったい、どこまで時代を遡れるのでしょうか。後代に成立したものではないでしょうか。そもそも石山は三師の唯受一人血脈相承を言いながら、日蓮の遺骨は偽物、日興の正墓は隣の北山にあり、日目の正墓すらありません。この三師の墓も遺骨もなく、それを補填するために考案されたのが、三師塔でしょう。こんなものが一体、何の証拠になるというのでしょうか。
五人所破抄「一、 身延の群徒猥りに疑難して云はく、富山の重科は専ら当所の離散に有り。縦ひ地頭非例を致すとも先師の遺跡を忍ぶべきに、既に御墓に参詣せず、争でか向背の過罪を遁れんや云云。
日興が云はく、此の段�H倒の至極なり、言語に及ばずと雖も未聞の輩に仰せて毒鼓の縁を結ばん。夫身延興隆の元由は聖人御座の尊貴に依り、地頭発心の根源は日興教化の力用に非ずや。然るを今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見先の僻案を起こし、師弟有無の新義を構へて理非顕然の諍論を致す。誠に是葉を取って其の根を乾かし、流れを酌んで未だ源を知らざる故か。何に況んや慈覚智証は即ち伝教入室の付弟、叡山住持の祖匠なり。若宮八幡は亦百王鎮護の大神、日域朝廷の本主なり。然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て、先聖は慈覚を指して本師違背の仁と称す。若し御廟を守るを正と為さば円仁所破の段頗る高祖の謬誤なり。非例を致して過無くんば、其の国棄捨の誓ひ都て垂迹の不覚か。料り知んぬ、悪鬼外道の災ひを作し宗廟社稷の処を辞す、善神聖人の居は即ち正直正法の頂なり。抑身延一沢の余流未だ法水の清濁を分かたず、強ひて御廟の参否を論ずるは汝等将に砕身の舎利を信ぜんとす。何ぞ法華の持者と号せんや、迷暗尤も甚し。之に准じて知るべし。」(この時点で、砕骨=灰骨は身延に、そして否定していました)
2028
:
犀角独歩
:2008/02/21(木) 19:31:08
ワラシナさん
『福田』、懐かしい名前ですね。
わたしのメディアデビュー(といえるかどうか?)は、南条白山に送った手紙を無断で週刊誌に載せられたのは最初でした。
学会の特別御形木本尊水増し制作と、その頒布で得た利益の話。この学会会館から「下付」された本尊をばらしてみたら、中は新聞紙を使ったお粗末な作りを写真入りで週刊誌に摘発したのもこの頃でした。ところが、この話をうやむやにして「ない」と断定したのは、阿部さんでしたね。その前後でしたか、池田さんが法華講総講頭に返り咲いたのは。
この一連の騒動が『河辺メモ』と1本の意図で繋がっていたというご指摘をたいへんに興味深く拝読しました。
2029
:
れん
:2008/02/21(木) 19:36:48
横レス失礼します。
外陣さん、はじめまして。外陣さんの投稿を拝読させて頂きましたが、敢えて感想を言いますと、「信者さんの希望的観測」というものでした。
別付属の法躰・本門戒壇本尊なる造語が石山文献に顕れるのは日蓮正宗歴代法主全書などをひもときますと十四世日主の「雑録」が初めてですね。それ以前の歴代にはこの“別付属の法躰”“本門戒壇本尊”なる造語を述べた石山歴代住持は一人もいません。
中世の日興門流の文献を読みますと、いわゆる富士山本門寺本堂に安置する漫荼羅とされていたのは、重須に所蔵されていた本門寺大堂本尊という漫荼羅でした。しかし、これは天正年間に北山と西山の紛争の中で二箇相承等の北山文献とともに紛失しました。で、この北山の本門寺大堂本尊が紛失した直後に、日主が「雑録」を書いて本門戒壇本尊ということを言いだしたわけです。ということは、石山の初代お板を作ったのは、私の感触では大石寺十四世住持の日主が限りなくクロであろうと言うことになります。
異説には石山の初代お板を作ったのは九世日有という説もありますが、この説の根拠とされる「重須日浄記」が不明であることと、小泉久遠寺と大石寺の問答を記した“大石寺久遠寺問答事”に文明十四年九月七日の大石寺本尊堂における小泉久遠寺衆(この時、重須日浄も同席)と石山衆との問答を記していますが、この時代にあれば石山本尊堂に安置されていた筈の石山のお板のことには一切触れていないので、この時代ではまだ石山のお板は成立してなかったと見てよいでしょうね。
2030
:
一字三礼
:2008/02/21(木) 21:53:56
臨時さん。
あなたは、挨拶もなし、横レスの断りもなしで話に割り込んでくる人なのですね。
〉伊藤瑞叡師の日蓮仏法に対する現代的な課題に関しては、私とは異なる知見でもあり。ここで申し上げることは控えさせていただきます。
ご自分で伊東さんに言及しておいて、これでは内容がさっぱりわかりません。何が言いたいのですか。
私の質問に答えてください。
①その方は、法華経に対するどういった知識をお持ちなのですか。
②「日蓮仏法に対する大変現代的な課題」を具体的に示してください。
③あなたは、日蓮門下全ての僧俗と面談することが可能であるとお考えなのですか。
〉日蓮正宗の御僧侶の中でも花野充道師や昔お会いした藁科菅道(字が異なっているかもしれません)師は私から見ると優れたお方とお見受けしております。
具体的にどう優れているのかを教えてください。
私の経験を記します。
以前、日蓮宗の坊さん達と立正大の教授との日蓮宗のスローガンである「立正安国・お題目結縁運動」について話をしたことがありました。
この運動は、宗門を挙げてお題目の精神である‘但行礼拝’を社会運動の基幹として展開するものであるとのことでした。
私は‘但行礼拝’は、法華経の中で重要な概念ではないし、日蓮聖人も重視していない、と論拠を挙げて意見を言いました。
その意見の内容を以下に記します。
‘但行礼拝‘は、不軽品に出てくる有名な言葉ですが、この句は、「妙法蓮華経」にのみ、「正法華経」や「梵本法華経」では同様の意味を持つ言葉は出てきません。鳩摩羅什が付け加えた可能性がある言葉のひとつです。
完本の中央アジア系法華経テキストが見つかれば、あるいは‘但行礼拝’の句が見つかるかもしれません。それでもこの一句が、法華経の中では必ずしも必須ではない、ということを覆すほどのことはないでしょう。
‘但行礼拝’とは、自性清浄である‘仏性’を礼拝する、いわゆる「仏性論」の考え方です。しかし、法華経は、‘仏種’を植えることによって‘種・熟・脱’という経過をたどり成道する「仏種論」で成り立つ経典です。
‘但行礼拝’が独り歩きをし、「仏性論」が全面に出てきますと、法華経全体のテーマに反することになります。
また、日蓮自身、真筆御書で一度も‘但行礼拝’に言及しておりません。題目を‘二十四字’と同義とすることはあっても、‘但行礼拝’と同義とすることは一度もありませんでした。
常不軽菩薩の行を日蓮宗では‘但行礼拝’は「仏性論」と捉えていて、日蓮は‘二十四字’の菩薩の行う逆縁の授記、「仏種論」と考えていた。
この大きな違いがスローガンを考えた日蓮宗の坊さん達に理解できなかったようです。
上記の説明をした後で、「法華経にも、日蓮聖人の法門とも違うから、このスローガンを取り下げたらどうか」と提案しましたが、答えを濁されてしまいました。
このような遣り取りを、何度も経験しているので、日蓮宗に人なしと私は考えるのです。
2031
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:33:34
犀角独歩さん
自己の都合による事情…とはあくまで小生の立場から見た見解であります。
石山根檀家の古い信者さんのなかには”蓮祖の姿を描くだけで大罰があたる”
などと申して、土俗的非科学的ではあっても、なんとも純真な信仰姿勢で信行た
ゆまず生き抜いておられる爺婆もおいででしょう。そんな人々が万一にでも御サ
イトのビジュアルを目にでもしようものなら悶絶ものです。
そんな見地から見ますれば、巷にこの人ありと云われる碩学であっても、一個人
が石山僧俗皆が大切にしている本尊を写真とは云え、ズタズタに弄くりまわした
無惨な御相貌を、公共の場所に晒して批判の糧とする、商業出版する。
これがサイト設計者の都合、事情でなくてなんでしょうや。
イスラム人のムハンマド似顔絵じゃないんですから。
も少し暴言をお許し願えれば、創価学会での責任あるお立場の経験、日蓮正宗で
も重要なお仕事をなさった経験、敬服いたします。貴重なご経験を敬います。
しかしながらそうしたポストにいた方であるからこそ、随分と酷いことをなさる
なと思ったのです。泥臭い手口だなと思ったのです。スマートじゃない。
川澄さんだってそこまでやらなかったし、その他の方々だって一宿一飯の恩義
ということを忘れることなく、私憤一歩手前で刀を納めているのでは。
弁哲さんらをも超えた過去に例を見ない愚行と感じてます。
取り返しのつかぬことは控えていただきたいし、どうしてもやるという高い志で
あるなら、石山前に持ち込んで御隠尊猊下と対決して欲しいです。
そういう意味でした。
2032
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:34:51
2031から続きです。
>この点について、まず、わたしは「日蓮正宗」の宗門を正しい組織にしていこう
などという意図はまったくありません。集団犯罪組織という認識です。解体して
当然という認識です。
そしてこの言葉を頂きました。
糺すとかなんとかではなく三秘も畑の猊下も堀上人もなにもかも嫌になったんで
すね。それでは最後には興尊すらもお捨てになるのですか…。
浅学非才の小生では独歩さんの辿られていく道を理解するのが難しいです。
勝手に勘違いの小生をお嗤いください。もう少しマシな応接ができるように修行
しますので。
>反対にお聞きしますが、本尊から文字を取るとき、薄紙をあてて書き写します。
この行為はまさにレイヤでしょう。こうした作る板本尊の製造過程は本尊を踏み
つけることになりますか。
少なくとも興門流では権能のあるお方以外は許されない行為と認識してます。
考えても見てください、世界中のみんながそうして偽本尊を量産していったら…
ピースマークじゃあるまいに、勘弁してくださいよ。
>「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由諸方に其の聞
こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分に於ては、在家出家の中
に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩
に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」
あなたが拝む本尊はこう批判される形木のものではないですか。
仰るとおりまさにそのことで悩みになやんでいます。
宗創問題等数知れない現状を仏罰と読めば、そのあたりに何か原因があるのでは
ないかと勝手推測してるのですが…。
2033
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:36:00
2032から続きです。
>あなたは他人の背は見えても、自分が背は見えていない。
では、どうして見えないのか、その真実の相を映す鏡、たとえば、わたしの文章
をあなた固有の信仰から蔑んで否定しているからでしょう。ですから、あなたが
真実を見るためには操作する都合によってあなたを振り回す嘘の信仰を取り去る
必要があるということです。あなたがいう「正宗の法門」とはまさにそうした類
のものであるということです。
>あなたはまだ気づけないのでしょうが、あなたの信仰は、まったく「世の中に手
本」にはならない。むしろ、害毒を流しているものであることを、もうお気づき
になってもよいのではないでしょうか。
なにか文殊普賢菩薩様に優しく叱られているように感じます。
出て行った兄貴に諭されているような気がします。
もとより小生の信行学なぞ諸先輩のそれに比ぶれば、虫のそれのようなものです。
ですから広大なネットワークのなかにあって最も真剣に討論され、法味と薫風が
感じられる当掲示板の愛読者?なのですが…。
でも虫の一分?でありまして、はいそうですか、とは云えません。
馬鹿でも正しくなくても、正しい本尊の妙境に接すれば必ず成仏する。
間違った本尊ではたとえ賢く正しい人でも堕地獄まちがいなし。
と教わりました。
大石寺戒壇の御本尊さまの御宝前にて、人には云いにくい表現不能な経験を
しておりまして、それが虚像とは思えない自分がガンとして今も居ります。
「因果倶時不思議の一法」の意味を小生なりに知見しております。
時空を超える体験、総てこのままでいいのだ文句なしなのだ、というようなある
種生死もなにもかもすっ飛んで、過去に起こったことも将来に起こることも全部
同時に其処に在る…みたいな、はがゆい表現しかできないのですが、とにかくと
んでもない光が小生をスキャンしました。泣いたりなんかしてる感覚もなく。
一念三千の当体、なにか思い出すような思い出せないような…。懐かしくて痺れ
る感覚。小生にはリアルなものです。
ごく個人的な神秘主義体験、センチメンタルな感傷でしょうから汎用性はありま
せんから読み捨てて下さいませ。
ともかく見本にはなりませんが、我が一切有なりと思えば酷いことなどできませ
んて人間は。皆最高です。短い人生、なんとか自分を超えて他を愛していけるよ
うになることが一番じゃないでしょうか。
※長くなりまして申し訳ございませんでした。
2034
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:43:10
追記です。
犀角独歩さん
>そうした相伝があれば、日興已来早瀬さんに至るまで、同じように本尊を書いて
しかりです。ところがそうはなっていない。上古のものとされる本尊相伝とも違っ
た書き方になっている。経年変化があるということです。つまり相伝は時代時代
で書き換えられ、継ぎ足され、変わっていった。
ですからそうしたことも踏まえてなにか想像以上のテクニックがあるかもしれな
い、ということも想像できませんでしょうか。
>三師塔という話がありましたが、いったい、どこまで時代を遡れるのでしょうか。
後代に成立したものではないでしょうか。そもそも石山は三師の唯受一人血脈相
承を言いながら、日蓮の遺骨は偽物、日興の正墓は隣の北山にあり、日目の正墓
すらありません。この三師の墓も遺骨もなく、それを補填するために考案された
のが、三師塔でしょう。こんなものが一体、何の証拠になるというのでしょうか。
正宗は舎利を安んずる宗教ではないですよね。
小生が云いたかったのは、あそこにメモリアルされている66代までの歴代御正
師の信心行動軌跡に対して頭を垂れて敬いたいという話であります。
2035
:
羽
:2008/02/22(金) 01:35:14
しかし今現在は
日蓮大聖人の折伏を拝すると
正宗の他に仏教らしい仏教は
存在しないですね。
日連正宗の本尊まで偽ならば
諸天の正法を万年護るという誓いは嘘となり
宗教界の仏や神の存在は全てが大妄語ということに
なってしまいますね。
独歩氏の導きたい結論は、こういうところでしょうか。
2036
:
外陣
:2008/02/22(金) 01:47:55
問答迷人さん
>>正宗の原点
>これは何を指しておられるのでしょうか。戒壇本尊ですか。
三大秘法です。
>>しまいにとうとう御本尊まで権能もないのに勝手に作ってしまうに至っては
>>池田さん方と同じじゃありませんか。それ絶対変ですよ。何様かと。
>これは意味不明です。誰が何時勝手に本尊を作ったのですか。
いや先般のお話のなかにありましたアメリカの人の話とかですが、本尊のことを
ちゃんとしておかないと今後いくらでも創作してしまう者が続出すると思います。
現創価学会でもそうです。亜流本尊の洪水です。
>>口伝というより唯授一人相承ということです。
>日興師に唯授一人相承が有ったというなら、それは何か根拠が有るのでしょうか。
>承りたいと存じます。
引文はあまり好きじゃないのと有名なのでお答えしますが「日蓮一期弘法付属書」
です。特にこの御妙判譲り状の最後、「就中我が門弟等此の状守るべきなり。」
の文は興尊お一人に宛てたのではなく大勢の僧俗に向かってご教示されている明確
な指示書です。
>>相承にも総別があることはご存じの通りであり、
>存知上げません。証拠をお持ちならお示し下さい。
では申し上げます。
総別の二義ということは内典外典に限らず一般の決まり事でもあって、弟子が数人
数十人数百人いても総じての相承と別しての相承があり、その指導者はご自分の
いわば跡継ぎとして一人を選んで深深の法や道を委託するものです。
偉大な指導者ほどその選定において私情や人情に捕らわれることがないそうです。
このあたりの文証や例題であれば山のように散見できます。例えば法華経において
も大聖人の御書においても、です。
釈迦→上行
孔子→曾子
玄奘→慈恩
道ズイ→伝教
※ちと不案内な説明で恐縮ですが時間が押しておりますのでまた。
2037
:
外陣
:2008/02/22(金) 02:26:30
れんさん、はじめまして今晩は。宜しくお願いします。
>敢えて感想を言いますと、「信者さんの希望的観測」というものでした。
希望で胸をいっぱいにしているのが凡夫信者の実態ではないでしょうか。
でも無知ゆえに妙なことを口走って諸天に呆れられなければいいのですが。
>別付属の法躰・本門戒壇本尊なる造語が石山文献に顕れるのは日蓮正宗歴代法主
全書などをひもときますと十四世日主の「雑録」が初めてですね。それ以前の歴代
にはこの“別付属の法躰”“本門戒壇本尊”なる造語を述べた石山歴代住持は一人
もいません。
別の言い方、用法での同意語とか内容的に同じ事を云っている箇所などはないの
でしょうか?
小生は暗愚でそのあたりのこと知らないのですが。
>小泉久遠寺と大石寺の問答を記した“大石寺久遠寺問答事”に文明十四年九月七日
の大石寺本尊堂における小泉久遠寺衆(この時、重須日浄も同席)と石山衆との問答
を記していますが、この時代にあれば石山本尊堂に安置されていた筈の石山のお板の
ことには一切触れていないので、この時代ではまだ石山のお板は成立してなかったと
見てよいでしょうね。
とても興味深いお話です。
機会をつくって一度そのあたりを宗門史にお詳しい御僧侶を捜してお尋ねしてみ
ましょうかね。
2038
:
犀角独歩
:2008/02/22(金) 05:11:24
外陣さん
わたしのことを商業出版と嗤いましたが、では、当の石山はどうですか。宗教法人の業ではなく、一般企業としての株式会社大日蓮出版を使って営利活動をしています。あなたの言葉を借りれば、これが大石寺の都合でなくて何でしょうか。
まして、信者を集める奉安堂は、信者から集めた金で作り、そして、また、そこに入場するのに金を取り、大量に本尊を複製印刷し、それを3000円以上の金額で頒布する。わたしがやることは商業で、大石寺がやると純粋な信仰になるという口上を、「背中が見えていない」と言っているわけです。
あなたは、自分の頭の中で夢想した「日蓮正宗」を信仰しているんでしょうね。しかし、実際の「日蓮正宗」は、そんなものではない。あなたは、本尊は時の「猊下」1人しか書いていないと思っているのでしょう。ところが、この代筆者がいるのが石山ですよ。それは坊さんなら知っている公然の秘密です。そして、それが現実です。
外陣さんは、わたしが本尊を …わたしの認識ではあくまで写真をですが… 図形処理して鑑別検証し、それをまとめた本を売っていることに腹を立てているのでしょう。しかし、わたしのなしたことは些細なことです。比して、石山はいったいどれだけの「本尊」を印刷し、頒布してきたのですか。旧い学会大幹部から、昭和20年代から30年代にかけては鉄道荷物で地方に送ったと言っていました。膨大な量、1千万単位で製造され、それを金を取って、新入会者に渡してきました。しかし、「信仰」「大石寺」というお品書きがつくとつくと、それが商業ではなく見えてしまう魔術があります。しかしそれは信者の贔屓目に過ぎませんよ。これはれっきとした商売です。
ただし、この印刷物を真剣に拝み、なにがしかの体験を得た人にとって、それはもはやただの印刷ではなくなります。この仕組みはあの彫刻を安置する正本堂、奉安堂という建築内の舞台装置内での体験も同様の効果を有しています。しかし、あそこで「猊下」が語る「無始已来の…」という口上が、実は日蓮宗でも言っている内容を石山風にアレンジしただけのものであることは、日蓮宗を少し散策すれば、やがて気付けることです。
堀日亨さんの話がでましたが、この方は宗内外で態度で語りを使い分けた人でした。
はっきりと所謂「本門戒壇の大御本尊」が構成の作り物であると知っていたでしょう。
『御本尊集』に載る3舗の真筆大漫荼羅写真の提供者は、たぶん、この人でしょう。
稲田海素に彫刻を見せ、そして、「真っ赤な偽物」と酷評されて以来、石山は写真公開は自分たちの商売上、都合が悪いと慌てていまに至っています。石山で頒布される印刷物、ここで本尊と称される品物は、之の彫刻を書写したといいながら、書かれている内容がまるで違うもので、これを指摘されると、内証を写したを詭弁を弄しました。
わたしもかつてそうでしたが、要するに信仰で体験などがあり、それも長々とやっていると、それが嘘であっては困る、だから、おかしいと思ってもそれを信じたいという執着が生じることになります。しかし、これは煩悩なのですね。真実は、そこを超えたところにある。わたしはそこまで歩きました。絶対的な信仰という太い手綱を手放す恐怖は、子どものころ、見知らぬ場所で親の手をギュッと握って離さない感覚に似ています。しかし、子はやがて親から自立していかなければならない。苦しい坂を上りきった瞬間に広漠ある光景を目の当たりにする。そのときにはじめて、自分が見ていた「日蓮正宗」など、小さな、本当に小さな井戸、いや、コップほどの大きさしかない小さなものであったことに気付きます。
2039
:
犀角独歩
:2008/02/22(金) 05:12:08
―2039からつづく―
日興は、日蓮とは違う教学と本尊観を形成した人です。そのような形が好きな人は日興に拘るでしょう。しかし、その考えがわかり、さらに日蓮の考えもわかるとき、かつて敬慕して止まなかった日興を卒業することになります。ここではじめて、日興というフィルターを挟まない生身の日蓮と向かい合うことになります。しかし、日蓮は色濃く、神道と真言密教の影響を受けた人だった。順天台を学べば、日蓮もまた、真言化し、神仏習合という特殊性を帯びた当時の仏教の影響を受けた時代の人であったことに気付きます。
では、純天台はどうか。これはまた、華厳教学の影響を強く受け、さらにあろうことか法華経を当時台頭した涅槃経を合わせてしまった。まして、羅什已来影響下にあったのが智邈です。湛然に至っては、智邈も灌頂もけっしてしなかった三千不可思議境を一念三千と実在化してしまった。この影響を日蓮は正面から受けていることに気付けます。
湛然は問題外、智邈の華厳と涅槃の影響を取り去り、羅什の恣意も超え、法華そのものに迫る。そんな位置にいらっしゃるのが、いま、ご投稿をなさっている一字三礼さんであるとわたしは拝しています。
ここではあえて、 Sadharma Pudarika Sutra と梵名で記しましょう。
この経典は西暦前100年から西暦後150年頃までに制作されたものであることがわかっています。ここで経典の編纂活動と平行して、菩薩運動もあったろうとわたしは考えています。この経典を捜索したグループの人々は、自らを地涌菩薩を自称して、迫害に耐えた人々であった。経典を信仰対象とすることは、各地で起きていた聖典信仰の影響もあったと考えられます。末法とは、実はこの法華経が編纂され、菩薩運動をしていたこの時代を指した言葉であることは、 Sadharma Pudarika Sutra を少しばかり学べばやがて理解できます。それを自分に当てはめた智邈も、最澄も、日蓮も、そうした編纂者の認識影響をそこに看取できることになります。
菩薩運動は、イランで発生したミトラ教の影響に拠ったのでしょう。
無疑曰信、以信得入、以信代慧と成句する信仰観は、大乗起信論といった教学姿勢の延長にあるのでしょう。しかし、こうした絶対的な信仰という形態は、実は仏教徒の間にはなかった。それはバカバットギータの影響を受けて生じた教学的な態度であったことが知られています。
こうして仏教2500年の歴史を遡っていくとき、わたしのなかに釈迦牟尼世尊に対する深い憧憬が生じました。ここまで上り詰めて見た日蓮は、それまで、宇宙を圧倒する大きさであったのが、いまでは、小さな存在と映じます。それは冒涜であるとか、批判であるとか、そんな類のことではなく、たぶん、宇宙に飛び出したパイロットが眺めた地球がボールの大きさに見えるのに等しい感覚ではないかと思えます。小さく見えても、美しく、自分が生まれたふるさとであり、大切な存在です。しかし、それは絶対的な存在ではない。この宇宙に無数にある惑星の一つです。わたしたちもガンジスの沙より、もっと多くの衆生の一人に過ぎません。こうした視点から見える「日蓮」は、もはや、本仏を意味して呼称される「日蓮大聖人」ではなく、「日蓮」なのですよ。
2040
:
犀角独歩
:2008/02/22(金) 05:25:32
【2038の訂正】
×構成の作り物 ○後世の作り物
×広漠ある光景 ○広漠な光景
【2039の訂正】
×順天台 ○純天台
×経典を捜索した ○経典を創作した
2041
:
問答迷人
:2008/02/22(金) 06:25:37
外陣さん
>引文はあまり好きじゃないのと有名なのでお答えしますが「日蓮一期弘法付属書」です。特にこの御妙判譲り状の最後、「就中我が門弟等此の状守るべきなり。」の文は興尊お一人に宛てたのではなく大勢の僧俗に向かってご教示されている明確な指示書です。
一 この書の真跡が現在何処に有るのかご存知ですか。
二 この書を日蓮聖人が書いた事を証明できますか。この書には、偽書の疑いが掛けられています。
以上、お答え下さい。
2043
:
管理者
:2008/02/22(金) 09:11:14
羽さん
2042の書込みは、以下の、当掲示板書込み禁止事項に該当しますので、削除します。なお、以後、ルール違反が続く場合は、ご参加をお断りする事になりますので、ご承知置きください。
【禁止事項】
4 根拠を示せないとか、すでに論理が破綻しているとかにもかかわらず、臆面もなく投稿し続けられた場合は、無意味な多重投稿・反復投稿とみなし、削除致します。
2044
:
羽
:2008/02/22(金) 09:21:08
本門の本尊には法と人の面があります。
御本尊を人の面から拝するなら、曼荼羅本尊は
日蓮大聖人の御当体を文字で以て顕されたものです。
2045
:
羽
:2008/02/22(金) 09:26:19
日蓮が魂を墨にそめ流して書きて候ぞ、信じさせ給へ。
仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし「経王殿御返事」
本尊とは法華経の行者の一身の当体なり。「御義口伝」
日蓮が影、今の大曼荼羅なり。「御本尊七箇之相承」
以上が、本門の本尊の、人本尊の文証になります。
2046
:
管理者
:2008/02/22(金) 09:46:26
羽さん
なるほど。曼陀羅は日蓮聖人だと。
それではお聞きします。700年も前になくなった方が、肖像権を主張されるのは無理ですね。
今生きている人のことですよ、肖像権と言うのは。死んだ人にも肖像権が有ると言うのは、死んだ人を写すことは不可能ですから、お話になりませんね。曼陀羅が日蓮聖人であり、今も生きておられるのだ、と信ずるのは勝手ですが、それを以って肖像権を主張することは出来ませんね。
肖像権が死んだ人にも有る、という法律の条文をお示し下さい。
2048
:
一字三礼
:2008/02/22(金) 10:04:11
うわっ!
完全に場違いなレスになってしまいますが、臨時さんにもう一言だけ。
ヨーロッパでは、今から約150年前のウェルハウゼンの「イスラエル史序説」以来、歴史学的・思想史的視点で、福音書及びイエスが客観的に研究され、歴史学者や社会学者と聖書学者とが論争によって、切磋琢磨してきました。
一方、日本の仏教学の世界では、犀角独歩さんがご紹介くださいましたように、日蓮宗門や立正大学での学問は所詮、坊さんたちによる護宗的な‘僧学’にすぎません。日蓮宗内の学問的な成果など、日蓮宗学に通じたものからの、暗黙のルールに則った論争には答えられても、歴史学者や思想史家、仏典研究者のような第三者から疑義に耐えうるのもではありません。
日蓮遺文研究の分野で、「平成新脩日蓮聖人遺文集」が出版されたのが平成七年、この遺文集の登場で、ようやく真筆中心の研究が本格化されてきたのですが、それでも最近の今成さんを中心とした摂折論争で明らかになったのは、偽書濃厚の「如説修行抄」などを論拠として、伝統的な宗学にしがみ付く日蓮宗学者が如何に多いかということが明らかになりました。
また、法華経研究の分野においては、立正大学で、「正法華経」を読み易い書き下し文に直す作業プロジェクトが発足したのは戦前のことでした。しかし、60年以上が経過した今でも「正法華経」の読み下しは出来ておりません。法華経研究でも重要部門であろうこの研究でのこの体たらくは、日蓮宗の学者たちが、よほど怠慢であるか、無能であるかのどちらかでしょう。法華経の成立史研究においても、勝呂さんの‘二十七品同時成立’説(法華経の思想と展開)などは、その思考過程には見るべきものがありますが、結論はお粗末で、法華経成立史の研究を布施浩岳さん以前に戻すようなもので、とても批判に耐えうるようなものではありません。
上記のように、日蓮宗の学者たちのレベルは、まだまだ学問と呼べるほどになっていない、ということです。
2049
:
管理者
:2008/02/22(金) 10:22:14
羽さん
>すでに死んだとは拝さないです。常住しています。
そういう信仰上の話は、肖像権という事柄になじまないですね。
先ほど示した当掲示板の禁止事項、及び、当掲示板の以下のルールにより、羽さんの、以後の書込みをお断りします。
禁止事項
1 上記の、当掲示板の主旨に明らかに反する書き込みは、理由の如何を問わず削除します。さらに書き込みを続けられた場合は、その方を以後投稿禁止とします。
2054
:
臨時
:2008/02/22(金) 19:35:04
偶ロム偶ログさん今晩は、レスありがとうございました。
>伊藤教授については、日蓮宗内でも立正学内でも厳しい評価もあります。
との事ですが、どの様な厳しい評価なのでしょうか、かつても現在もと言うこ
とでしょうか。
私が伊藤先生の著作で最初に出会ったのは『仏教の思想と現代』(初版平成2
年)でした、その頃の私は現代思想に興味を持ち始めて数年たっていましたの
で、本の表題に惹きつけられて買い求めました。
初版本では、第7章「本尊研究の現代的方法」(249ページ)と第8章「曼荼羅
本尊の哲学的意義」(273ページ)に大変興味を抱いて読みました。
平成12年に改訂増補版が出版され、そこでは、第9章「宗教地政学とは何か」
(245ページ)第10章「戦後日本の国家意識と立正安国の実践」(283ページ)
第11章「闘諍堅固の時代と文明の衝突」等が書き加えられていました。
第9章「宗教地政学とは何か」に関しては私には了解できない面が多々ありま
した。最近伊藤先生とお会いした際にも、先生の宗教地政学は私から見ると
非常に右寄りと感じますと申し上げましたら、先生もその事を自認なされて
おり、更に先生はかつて早稲田大学の学生の頃は60年安保闘争の真っ只中で、
左翼運動の闘士でもあったが現在は日本の危機を痛感するが故に右寄りになら
ざるを得ないと申され、西部邁もその一人だと言われたのには驚きました。
付言すれば伊藤先生の宗教地政学と日本の危機は立正安国論の現代的理解にも
つながっている問題意識とも言えましょう。
>なにをもって優れたとするか、ですね。
御用教学、護教教学、印籠教学などで正宗内部においては評価の高い人もいる
かもしれませんが、仏教学・宗教学・歴史学・などで正宗以外で通用している
正宗僧侶は若干名でしかありません。
仏教学・宗教学・歴史学という領域においては学問として常に客観性を要求さ
れますが、いわゆる宗派教学であったり、宗門教学の領域では信仰の増進に寄
与しないものは廃される傾向にあることは否めないと思われます。
しかし、宗教において教義を客観的に語る事と信仰の増進を両立させる事ほど
アンビバレントな事はないとも言えましょう。
2055
:
独学徒
:2008/02/22(金) 21:36:43
羽さんの御主張は創価学会と全く同じで、文証として用いるものが蓮祖・興尊の直筆が現存しない、現在は偽書としてほぼ確定しているものばかりですね。
羽さんご引用のものは、全く文証たりえません。
文証とは、蓮祖真蹟現存、興尊真蹟現存以外は、富士門信徒としても受入不可です。
蓮祖真蹟現存の文証はあるのか、興尊真蹟現存の文証はあるのか、よくよくご検討の上投稿いただきたく存じます。
創価学会や日蓮正宗、顕正会、正信会といった、全く同列の宗派・団体にしか通用しない、偽書の引用はご遠慮いただきたく存じます。議論が、いたずらに真実から遠ざかります。
2056
:
外陣
:2008/02/22(金) 23:18:13
羽さん今晩は、はじめまして外陣と申します。
貴方ももう少し冷静に誠実に御投稿なさってはいかがですか。
出会い頭にご自分の云いたいことだけを云って最後はののしるように去る、とい
う言動はいただけません。
仰りたいことは小生もよくわかります。
憤慨しておられるのもわかります。
でも共通のルールやマナーあっての公共の場でしょう。自分とは正反対の考えや
信念を持っている人だってたくさんいるのですから、どう云えば相手に伝わるだ
ろうか、どう振る舞えば相手が耳を貸してくれるだろうか、よっく考えて発言さ
れることをお勧めします。なんでも勉強の場ではないですか。
この場はとても貴重で大切で重要な場所であることを御自覚願いたい。
みな精進しようと汗をかいておられる道場だと思います。是々非々。
どこに所属のお方か存じ上げませんが、管理人さんに謝罪して頑張りましょう。
2057
:
外陣
:2008/02/22(金) 23:52:01
問答迷人さん
>一 この書の真跡が現在何処に有るのかご存知ですか。
>二 この書を日蓮聖人が書いた事を証明できますか。この書には、偽書の疑いが
>掛けられています。
内容は「総付属書」として曰く
------------------------------------------------------------------------
◆日蓮一期弘法・身延相承書
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興にこれを付属す。本門弘通の大導師たるべきなり。
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待
つべきのみ。事の戒法と云ふは是れなり。就中 我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興
------------------------------------------------------------------------
「別付属書」として曰く
------------------------------------------------------------------------
◆身延山付属書
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。
背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日
武州池上 日蓮花押
------------------------------------------------------------------------
の二つの日蓮大聖人の御妙判であります。
この譲り状が与えられて後三百年ほどの時、真書は残念ながらご承知のように戦乱
の世に紛失(たぶん消失)しております。
しかしながらその後江戸時代頃に日蓮宗によって編纂された有名な「録内」の後
「録外」十六巻目にもあらためて掲載されているほどの無視できぬ重文です。
偽書云々は心ない者がいつの時代にも現れて難癖をつけているだけです。
非力な小生ゆえここで細かくは申しませんが、よく精査いたせば誰でも納得せざる
おえない天下に正しい跡目相続書であります。
2058
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 00:25:11
詳しく問答さんが応えるでしょうが、よくまあ、こんなもんを出してきますね。
この書があったとされるのは、北山本門寺。ここには日興が跡目と定めた日代がいました。この二つの書は、ただの一度も大石寺にあったという話はありません。
北山に日興が定めた日代がおり、その後に日妙があり、そして、この書はずっとここにあったという話で、この書に漢原文で書かれているのは「富士山本門寺」(「富士山に本門寺の」は石山の勝手な読み下し)で、北山本門寺の正式名称は富士山本門寺。
富士山本門寺にずっとあったとされる文書で、富士山本門寺に戒壇を建立という文章ですから、日代、むしろ日妙でしょうが、北山本門寺=富士山本門寺に戒壇建立という書が、なんで、大石寺の文書となるはずがあるのか、少しは真面目に考えてみればよいでしょう。
しかも、この書は真筆も現存しない、大石寺と北山以外は、誰しも偽書と確定した悪書の一つです。
外陣さん、もっと勉強しなさい。
2059
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 00:30:06
やや当たり前すぎる議論ですが、外陣さんが本物であると信じている偽書については、過去に語り尽くされています。
身延相承書と池上相承書について
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1060641548/
2060
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 00:39:35
外陣さん
独学徒さんがご指摘下さったことですが、以下のようなあなた方法華講の本尊写真にアップです。
法華講はよくて、わたしが駄目だというのは何故でしょうか?
http://myokan-ko.net/menu/te/1.htm
2061
:
臨時
:2008/02/23(土) 00:49:33
一字三礼さん今晩は、
>あなたは、挨拶もなし、横レスの断りもなしで話に割り込んでくる人なので
すね。
そうでしたかそれは大変失礼しました。
一字三礼さんとの意見交換は初めてのことでしたか、この掲示板では一字三礼
さんのご意見を時々拝見し、すばらしく知的で識知も並々ならぬものを感じて
おりました。今後はよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
① その方は、法華経に対するどういった知識をお持ちなのですか。
② 「日蓮仏法に対する大変現代的な課題」を具体的に示してください。
③ あなたは、日蓮門下全ての僧俗と面談することが可能であるとお考えなの
ですか。
との事ですが、
前にも申し上げましたとおり伊藤先生の法華経に対する知識は、それこそ大変
なものでして私如きにはとても語ることは出来得ませんのでご容赦ください。
ただ、「日蓮仏法に対する現代的な課題」に関しては、少々お答えしてみます。
伊藤先生は、その著作のほとんどが日蓮仏法を現代的課題として受け止められ
ての上で、お書きになっておられると思います。
偶ロム偶ログさんへのレスにも書かせていただきましたが、私が最初に伊藤先
生の著作を拝見したのが、『仏教の思想と現代』でした。そのあとは『日蓮精
神の現代』であり、『新時代の布教精神』『新時代の折伏様式』『新時代の四
大格言』という三部作でした。
このように常に日蓮仏法ないしは日蓮精神を現代という時代の中でどのように
捉え、自分自身の実践的課題と位置付けるかを追及なさってきたものと私は受
け止めています。
しかし、偶ロム偶ログさんへのレスにも書きましたが、伊藤先生は日蓮仏法を
「宗教地政学」という視点で捉えておられますが私にはよく理解できません。
私自身は日蓮仏法を現代社会において如何に言語論的転回が可能であるかどう
かが、現代的課題であろかと考えております。仏法においては仏の悟りの領域
は、本来は言語道断、心行所滅の世界のはずですが、いわゆる俗諦とも言うべ
き人間界においては、八万宝蔵とも云われる言語の海の上で方向も定まらず舵
も執れない状況に仏教界が陥ってしまっていることを、鎌倉新仏教の祖師達は
それぞれの方法で舵を伐ったとも言えると思います。
しかし、現代社会においてはさらにネット情報という情報の海の上で人間は舵
を伐るどころか、右往左往したあげく転覆しかねない状況にあるといって過言
ではないと思います。
この新たな状況に対して日蓮仏法も過去からの言語的あり方(特に宗派という
体制言語)を、時代に合わせて転回する必要があるのではないかと愚考してお
ります。
今日は晩くなりましたので後の問題に関しては、後日お答えしたいと思います。
2062
:
外陣
:2008/02/23(土) 01:22:40
犀角独歩さん
2038〜2039までの内容を二度三度と読ませていただいておりました。
>だから、おかしいと思ってもそれを信じたいという執着が生じることになります。
しかし、これは煩悩なのですね。真実は、そこを超えたところにある。わたしはそ
こまで歩きました。絶対的な信仰という太い手綱を手放す恐怖は、子どものころ、
見知らぬ場所で親の手をギュッと握って離さない感覚に似ています。しかし、子は
やがて親から自立していかなければならない。苦しい坂を上りきった瞬間に広漠あ
る光景を目の当たりにする。
胸にくるものがございます。よくよく考えてみます。
※その後のご指摘についてはのちほど。
2063
:
外陣
:2008/02/23(土) 01:40:09
犀角独歩さん
>2058
怒らないでくださいよ。小生が今までに教わって信じていることを、尋ねられた
から応えたまでです。
何処にあったかということよりも蓮祖から興尊へ相承があったという文証をだせ
という話題になったので。稚拙な構成でお恥ずかしいですが…。
2064
:
そううそ
:2008/02/23(土) 02:01:37
皆さんこんばんは。
ご無沙汰しています。そううそです。
皆さんの御意見は私には難解ですので
243.大御本尊に対する日蓮正宗系(創価学会、顕正会など)の言い分。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/7a5bc04fc70058cf4e81ed3c8576a795
こんな感じで纏めたいのですが、引用転載でなくここで知り得た事を
上記の様に箇条書きにするのであれば許可不要でしょうか?
それとも許可が必要でしょうか?>管理人さん
2065
:
外陣
:2008/02/23(土) 02:04:51
>独学徒さんがご指摘下さったことですが、以下のようなあなた方法華講の本尊
写真にアップです。法華講はよくて、わたしが駄目だというのは何故でしょうか?
独歩さんの反論は「何処どこでもやっているから」というレトリックが多いですね。
悪いことはどなたがやろうと悪いと小生は考えます。
この件につき小生は近日、理境坊法華講さまへご教示を仰ぐつもりでいますが(他の
サイトでも散見できますのでそれもあわせて)今は貴方様のお話をうかがっており、
僭越とは重々承知の上でいささか意見を云わせていただいています。ご容赦。
2066
:
外陣
:2008/02/23(土) 02:31:03
犀角独歩さん
>しかも、この書は真筆も現存しない、大石寺と北山以外は、誰しも偽書と確定した
悪書の一つです。
そちらさまはどうしても偽書とせねば困るでしょうからそう言い張るのでしょうが、
それではお尋ねいたしますが、大聖人はどなたに跡目を相続されたのですか?
小生はごくシンプルにその問題を考えるだけで、やたら衒学的に枝葉末節を根掘り
葉掘りして大聖人の法門を淫するのはそれこそ背だけを見ることになりませんか?
釈迦牟尼を憧憬するのは小生も同じでありますが、仏法には「時」というものが
あるのではないでしょうか。あこがれてもあの佛さまは小生等の佛さまではないの
ではないでしょうか。難信難解であっても困難が降り注いでも、頑張って大聖人を
佛と仰いでいかなくては助からないのではありませんか?
くどいですがもう一度お尋ねいたします。
「蓮祖大聖人は誰にそのすべてをお渡ししたのでしょうか?」
2067
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 04:26:40
外陣さん
あなたの文章は、わたしがどのような感情であるかを決めつけて、書くことが多いですね。いつも外れています。やめてください。
> 「何処どこでもやっているから」というレトリックが多い
これまた、別にそんなことはありませんよ。
だいたい、話の筋をすり替えています。
わたしは何度も記しているとおり、本尊を加工したことは一度たりともありません。
わたしが加工したのは写真です。同じようにわたしは印刷物や、写真を本尊であるとは考えません。
ところが、あなたは印刷物や、写真を拝ませる集団の信仰にとらわれているから、本尊を加工したと難癖をつけるわけでしょう。日興は形木を禁じていた。これは厳然たる事実です。売り買いも禁じた。遺体遺骨と埋葬することも禁じた。しかし、こうした日興の禁止を平然とやっている集団で信仰をしながら、なにをかいわんやです。
> 偽書とせねば困るでしょうからそう言い張る
言い張っているのはあなたでしょう。
いいですか。こちらの掲示板では、主張をするのに、証拠を挙げることが義務づけられています。しかし、二箇相承が本物である証拠をあなたは挙げず、本物であると言い張っています。これは明らかにルール違反です。
まあ、こう書けば、「では、偽物の証拠を出せ」と来るでしょうが、偽物の証拠は、他スレ「身延相承書と池上相承書について」で議論し尽くされたとおりです。そもそも、あなたの態度でいちばんいけないのは、過去の議論を無視して、証拠を挙げず、断定的にものを書くことです。
> 大聖人はどなたに跡目を相続されたのですか?
これまた、既に言い尽くされた議論です。
日興の真筆が残る『日蓮聖人御遷化記録』に
「定弟子六人事(不次第)。
蓮華阿闍梨日持、伊予公日頂、佐渡公日向、白蓮阿日興、大国阿日
朗、弁阿日昭。」
明確です。
> 小生はごくシンプルにその問題を考えるだけで、やたら衒学的に枝葉末節を根掘り
葉掘りして大聖人の法門を淫するのはそれこそ背だけを見ることになりませんか?
だから、あなたの文章は、常にこうした嫌味があり、実に無礼です。誰がいったい、衒学的ですか? 誰がいったい、枝葉末節を根掘り葉掘りして大聖人の法門を淫していますか。羽さんにもっとらしい、教訓を垂れるのでしたら、あなたこそ、礼儀をわきまえた文章を書いたらどうでしょうか。相手に対して、怒るなとか、気が短いと言う前に、相手を見下し、こうした不快な書き方をするのは止めたらどうでしょうか。
また、酔っぱらっているのですか。
> 仏法には「時」
どんな時でしょうか。
まさか、釋迦の入滅年代を日蓮が取り違え、鎌倉時代は2000年経っていなかったこと、『大集経』が後世創作されたものであること、また、法華経でいう末の世とは2000年でも、500年でもなく、「50年であった」ことなど、文献的な分析を無視して、大石寺の時代遅れのドグマを繰り返し、証拠を挙げずに記そうというわけではないでしょうね。
> あこがれてもあの佛さまは小生等の佛さまではないのではないでしょうか。
「あこがれる」というのは、わたしが先に書いた「憧憬」ということをとっているのでしょうか。意味を取り違えています。
先にも記しましたが、日蓮が終生、拝んでいたのは釈迦一体仏です。
ほかに何か仏があるのでしょうか。
> 大聖人を佛と仰いでいかなくては助からないのではありませんか?
どこにそんな証拠がありますか。
> くどいですがもう一度お尋ねいたします。
「蓮祖大聖人は誰にそのすべてをお渡ししたのでしょうか?」
先に挙げた御遷化記録とおりでしょう。
あなたは唯受一人血脈相承で、誰か一人にすべてを渡したという思いこみにとりつかれているのでしょう。そんな証拠はどこにもありません。
ただ、大石寺の“レトリック”にはまり、証拠も無しに信じ込んでいるだけです。
ここは、議論の場ですから、挙証も出来ない主張は問題外です。
2068
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 06:57:58
まあ、どうでもいいですが、わたしに対する傲慢不遜ないいっぷりに比し、
「理境坊法華講さま」という言い回しはふるっています(笑)
理境坊法華講とは、この坊出来て以来の根檀家を指すのであって、近年の預信徒に過ぎない集団を指すわけではないでしょう。
こうしたところにも、大石寺そのものの理解に誤謬が見受けられます。
2070
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 08:03:08
外陣さん
犀角独歩さんが、概略、指摘されていますので、補足に留めます。
先ず、御遷化記録は、日興上人の代筆で六通作成され、紙の継ぎ目には、立ち合う事の出来た方々の署名で割り印がされています。正式の文書です。六人それぞれが所持するようになっています。その場にいなかった六老には後日手渡すように設えてある訳です。
日蓮聖人の周到なご配慮がにじみ出ています。
このように六老全員で力を合わせて、後を頼むぞ、と言いながら、日興上人にだけ、こそっと二箇相承をしていたとしたら、日蓮聖人は二枚舌の大嘘つきですね。
日興上人は後日、身延を離山していますが、理由は、学頭に日興上人が任命した日向上人との反目が原因のようです。そして地頭が日向上人に付いた。
もし、この時、このような相承書があったのなら、この時にこそ使うべきであった。日蓮聖人が両舌の謗りをも敢えて恐れず、二箇相承を残したとすれば、このような教団分裂を避けるためとしか考えられませんが、当時の記録には、二箇相承は名前すら出てきません。
日興上人もこのような相承を本当に受けていたのなら、絶対に離山などすべきではなく、日向上人に対して「この相承書が目に入らぬか。無礼者、下がりおれ。」とやらなければ、日蓮聖人のお心を踏みにじることになるわけです。
身延離山という史実が、このような相承書が存在しなかった事を雄弁に語っていますね。
2072
:
管理者
:2008/02/23(土) 08:45:50
そううそさん
コピーして、出所を明示せず、張り付けるのは著作権侵害になる可能性が高いので、お断りしていますが、出所を明示して、しかも要約という事であれば、当掲示板のルールに抵触しません。どうぞよろしくお願いいたします。
2073
:
そううそ
:2008/02/23(土) 11:58:21
有り難うございます。
助かります。
2074
:
パンナコッタ
:2008/02/23(土) 12:47:51
横レス失礼します。
二箇相承なんてものが出てきていますが、文書その物の歴史上初出は
左京阿日教「六人立義廃立抄私記」あたりなのですが、その六人立義では、
身延・池上が現在のとは逆に書かれており致命的です。
釈尊五十余年之説教、白蓮日興付属之。可為身延山久遠寺別当、背在家出家共輩者可為非法衆。
弘安五年九月十三日
血脈次第日蓮日興 甲斐国波木井郷於山中図之
日蓮一期弘法 白蓮阿闍梨日興付属之可為本門弘通之大導師也。被立国主此法、
富士可為建立本門寺戒壇也。可待於時耳、事戒法謂是也、付中我門弟等可守此状也。
弘安五年十月十三日 日蓮在御判
池上相承書
ですから、本禅寺日求が笑って偽書と指摘し石山門徒が狼狽したんでしょう。
(破石集・日鑑)
ちなみに今では全く無意味なのですが、蜜月時代の学会はこの指摘に対し、
「古写本に多少の入れ違いがあったのは、むしろ当然であり、その入れ違いがあるゆえに疑難するとは、
まったく見当はずれの妄難である」(日蓮正宗創価学会批判を破す 創価学会教学部編)
と、これまた見当違いの感情論で批判していましたね。
我田引水的で大変恐縮なのではありますが、宗教の法則5 "聖典は一日にしてならず"そのまんまですね。
2075
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 13:33:44
パンナコッタさん
宗教の法則、非常に興味深く拝見いたしました。
まぁ、こんな他山の書、しかも偽書の疑いの濃い物を平気で御書全集に載せる大石寺の神経がわからない、と思っていましたが、正しく、聖典は一日にしてならず、ですね。必要に応じて、増幅付加されてゆく様が見て取れます。
有難うございました。大変勉強になりました。
2076
:
外陣
:2008/02/23(土) 17:25:54
問答迷人さん
>2070
御推定なさっておられる部分があるので小生にも推定することをお許しください。
相承書などその時代の地頭の権力からすれば問題にしなかったでしょうし力も持た
なかったでしょうね。あくまで御出家間での問題でしょうから。何から何まで世話
になっている地頭が御法門を歪め始めれば、どうしても其処から離れるしか方法は
ないのではなかったのでしょうか。
>先ず、御遷化記録は、日興上人の代筆で六通作成され、紙の継ぎ目には、立ち合う
事の出来た方々の署名で割り印がされています。正式の文書です。六人それぞれが
所持するようになっています。その場にいなかった六老には後日手渡すように設え
てある訳です。
先述していますようにそれが総じての付属ともいえるかもしれません。
なにも興尊だけがお弟子であるなどとは申し上げません。
問題は、例えば社長が引退する時に六人の部下がいたとして、皆間違いなく会社に
貢献してくれた幹部社員であり、自分がいなくなっても後をみんなでで頼むぞと云
うでしょう、それぞれに役割を与えるでしょう、そのなかにあって次の社長を一人
決めるのも普通ではないでしょうか。これも先述しましたように歴史をひもとけば
夥しいほどといいますか、常識になってはおりませんでしょうか。まさか社長の権
能を六つに分けて六人の社長がいるなどという組織は聞いたことがないです。
その際にたとえ年長の者や営業に功績があったりした者がいても、次代の社長とし
て自分の経営上の重大な発明というか秘密を授けているものを自分の替わりとして
社長と任命する。そういうことはどの社会でもあるのではないでしょうか。
それをここでは別付属と呼ばせていただいてるつもりです。
事実、その後本山の管長、別当として興尊をお認めになっていたのではないでしょ
うか他のお弟子さまたちも従っていましたでしょう。
そしてその新社長にだけ与えたのが本尊にまつわる秘密の御相伝でこれは一読した
らば人の目にやたらに触れぬようにしたのが新社長。
はじめは別当としてリーダーとして認めていた他のお弟子さまのなか、あるいは後
年になってその末流の方々のなかに「日興のところではこちらがあずかり知らぬ相
伝を口にしておるぞ」と騒ぎ始めるものもいたでしょうね。
とまあ安っぽい比喩で恐縮ですが、当方の漢字変換ソフトがなかなか云うことを
きかずに苦労しておりますので、誤変換や脱字など、また平易な語り方にてお許し
くださいませ。
2077
:
外陣
:2008/02/23(土) 17:26:46
犀角独歩さん
>偽物の証拠は、他スレ「身延相承書と池上相承書について」で議論し尽くされた
とおりです。そもそも、あなたの態度でいちばんいけないのは、過去の議論を無視
して、証拠を挙げず、断定的にものを書くことです。
そうですね、小生も少々断定的、説明の仕方、言葉の選び方が悪いかもしれません。
どうしても丁寧に肩を張ってタイプしておりますと嫌みでトゲのある語り口になっ
てしまっていますね。気をつけます。
”議論され尽くした”とは思えません。正宗側の言い分があまり見あたりませんし
それこそこちらから読ませていただければ一方的な論調論議で、説明する暇もない
隙もない偏った断定ばかりに映るのですよ。全部正宗が悪い、イカサマだ、インチ
キだという予定調和に受け取れてしまうのです。それが証拠にこうして正宗を信じ
ると発言すると侮蔑するかのような論調になってきます。
怒らせるようなことを云ってしまう小生も未熟ですが、それは独歩さんだって同じ
文言をお使いになっているのではないでしょうか。
小生は断定などしておりませんが。
お前はどう認識しているのかと尋ねられるから知っているささやかなことを一所懸
命タイプしてアップすれば「よくもこんなものを」と侮蔑されます。
独歩先生とか独歩師とか独歩さまとかお呼びしたくとも呼称統一というルールに従っ
て誠に冷や汗ながら「さん」で失礼させていただいている次第です。
理境坊さまについては当家の方でありますから「さま」とお呼びしたのがいけませ
んか。
>まあ、どうでもいいですが、わたしに対する傲慢不遜ないいっぷりに比し、
「理境坊法華講さま」という言い回しはふるっています(笑)
対等平等では貴方様に失礼になるのですね。わかりました。それではこれ以上不愉
快にさせたくありませんし、反論は許さないという雰囲気であることにもある種
疲れましたので、今回のお話はここまでとさせていただいても結構です。
独歩学兄から御指南ありました日蓮宗系のお寺でも散策して勉強させていただきま
す。
>> 大聖人はどなたに跡目を相続されたのですか?
>これまた、既に言い尽くされた議論です。日興の真筆が残る『日蓮聖人御遷化記録』
に
「定弟子六人事(不次第)。
蓮華阿闍梨日持、伊予公日頂、佐渡公日向、白蓮阿日興、大国阿日
朗、弁阿日昭。」
明確です。
六人に御相伝御相承があったなどとは、あまりに戯論です。失礼ながら嗤います。
>先にも記しましたが、日蓮が終生、拝んでいたのは釈迦一体仏です。
ほかに何か仏があるのでしょうか。
どうしたのですか? なにを仰るのかあまりの驚きにお返しする言葉がでません。
御書の何処にそんなことがありましょうや。興尊がいつそのような大聖人を虚仮
にするようなことを云ったのでしょうか。
はて、もしかして独歩さんは日朗門流でありましょうか?
>ここは、議論の場ですから、挙証も出来ない主張は問題外です。
ですから暫時挙証してまいろうかと思案しているのに勝手に問題外と排する独歩
さん、そんな貴方が許せないのですね小生は。”お山の大将俺一人後から来る者
突き落とせ”の新興宗教の親分の臭いがします。まさか一宗一派を立ち上げるご
計画がありはしないでしょうね。跡目は六人平等にするんですか?
ってこういう言い方が非礼なのでしょうが、貴方も相当偏ったところで修羅に堕
ちておられるようですから…お互い様ではないでしょうかね。
2078
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 17:54:47
外陣さん
>何から何まで世話になっている地頭が御法門を歪め始めれば、どうしても其処から離れるしか方法はないのではなかったのでしょうか。
地頭は日向上人の意向を受けて、日興上人に逆らったのですよ。地頭と日興上人が表に出ていますが、根本は日向上人と日興上人との法門の違いなのですよ。地頭が自ら意思で日興上人に逆らったのでは有りません。二箇相承がもし存在しておれば、少なくとも日向上人は日興上人に従ったはずで、身延離山は有り得ないと考えます。
>次の社長を一人決めるのも普通ではないでしょうか。
だが、日蓮聖人はそうしなかったのです。六老を定めて、「不次第」と明記したのは、筆頭者を決めない、と言う意味ですよ。
2079
:
外陣
:2008/02/23(土) 17:59:14
犀角独歩さん
追記しますが、御説の大聖人随身の釈迦立像は修行中の釈迦ですよね。ですから
立ったお姿です。立ち姿の本佛など聞いたことも見たこともございません。
お悟りを表す仏像は皆お座りになっていること、独歩さんほどの知識人ならご存
じありますでしょう。
2080
:
あまちゃん
:2008/02/23(土) 18:20:23
飛び入りで申し訳ございません。
本来であればご挨拶を申し上げてから投稿するべきです、資料の提示のみの一回きりの投稿で失礼させていただきます。
法華講に所属しています。
独歩さんは当然この資料をご存知だと思いますが、他のお方はご承知ないと思いますので資料のみ提示させていただきます。
ご参考にしてください。
しかし、ご自身で資料をお調べになられないで投稿される方にはやれやれという感を得ます。
大聖人ご自身の持仏は釈迦一体仏です。
日興上人御自身が書かれた「御遺物配分事」です。
これは大聖人の御形見分けを記した資料です。
法華講内では絶対に信徒には見せない資料だと思います。
私は立正大学の図書館(身分を明かせば入れてもらえます)でこの資料を写し取ってきました。
*****
注法華経一部十巻 弁阿闍梨。
【御本尊一体 〈釈迦立像〉 大国阿闍梨。】
御馬一疋、小袖一 佐渡公。
御太刀一、小袖一、袈裟代五貫文 侍従公〈和田丸〉。
衣一、小袖一、袈裟一 越前公。
御馬一疋〈鞍皆具、御足袋一、頭帽子、小袖一〉 白蓮阿闍梨。
御腹巻、銭三貫文 伊与阿闍梨。
御馬一疋、小袖一、手鉾 蓮華阿闍梨。
小袖一 卿公。
御馬一疋、小袖一、御念珠 筑前公。
御小袖一、衣一、帷一 治部公。
御小袖一、頭帽子 摂津公。
御馬一疋、小袖一 大夫公。
御小袖一 丹波公。
御小袖一 和泉公。
御衣一、銭一貫文 伊賀公。
貳貫文 淡路公。
一貫文 寂日房。
○○(二貫)文 信乃公。
一貫文 出羽公。
一貫文 帥公。
一貫文 越後公。
一貫文 但馬公。
一貫文 下野公。
一貫文 讃岐公。
○(二)貫文〈御布小袖一〉 妙法房。
○○○(一貫文)〈馬一疋、鞍皆具〉染物一 富田四郎太郎。
一貫文 源内三郎。二貫文 椎路四郎。小袖一 四郎二郎。
小袖一 滝王丸。
御きぬ一 安房国新大夫入道。
御きぬ一 かうし後家尼。御小袖一 安房国浄顕房。
小袖一 同国義成房。御小袖一 同国藤平。
右、配分の次第、件のごとし。
弘安五年十月 日 執筆日興 在判。
日持花押。日興花押。日朗花押。日昭花押。
*****
私は信仰世界と学問世界は明確に切り分けています。
2081
:
外陣
:2008/02/23(土) 18:44:13
問答迷人さん
>地頭は日向上人の意向を受けて、日興上人に逆らったのですよ。地頭と日興上人
が表に出ていますが、根本は日向上人と日興上人との法門の違いなのですよ。地頭
が自ら意思で日興上人に逆らったのでは有りません。二箇相承がもし存在しておれば、
少なくとも日向上人は日興上人に従ったはずで、身延離山は有り得ないと考えます。
そうですね、日向師は板本尊も作ったとか聞きます。
例え二箇相承を見せても従うかどうか…。法門観が違っているのでしょうから。
つまりは学頭に迎え入れた日向師がのちに「何かあって」興尊と意見が合わなく
なって権力のある地頭を使って追い出した、ということですね。
その「何か」ということはここでは置かせていただくとして、もし将来「二箇相承」
がもしも出てきたら、無いと力説している方々はそのときどう詫びるのでしょうね。
腹切って詫びはしないでしょう。決して詫びることもなくまたなにか理由を付けて
いくのでしょう。きりもない無限ループですね。信心が根本から異なるのですから。
しかしながら先述のように反対派の日蓮宗でも写本として認めていたこともある
わけでしょう。なぜそれが執拗に執拗に忘れた頃になると出てくるのですかね。
たとえ燃えて失ったとするのであれば、それを出せ、見せろと詰め寄る人の意地の
悪い姿は仏家のものとは思えません。無いものは文証しようがないことを知ってい
て金科玉条のように責め続ける。状況証拠から推測することは可能ではないでしょ
うかね。じゃあ他門にはなにがあるのかとお尋ねしたいくらいです。
2082
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 18:56:46
外陣さん
>例え二箇相承を見せても従うかどうか…。法門観が違っているのでしょうから。
先ず、見せたかどうかですね。北山の文書には、身延離山についての記述には、二箇相承は出てこないです。そんなに重要な相承書があったとしたら、日向上人に見せもせず、ノコノコと離山したのは可笑しいです。日蓮聖人が本当に二箇相承されたのなら、その相承を自ら日興上人が踏みにじった事になります。この点についてお答え下さい。
>じゃあ他門にはなにがあるのかとお尋ねしたいくらいです。
御遷化記録があり、日蓮聖人の本弟子たる事が記されています。これ程確かな証文はありませんね。
2083
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 19:13:16
外陣さん
補足です。
>燃えて失ったとするのであれば、それを出せ、見せろと詰め寄る
日興上人の時代に、そのような相承書の存在を示唆する文書が残っておれば、少なくとも傍証にはなります。そして、そのような相承書が存在したのなら、身延離山という日蓮教団にとっての一大事において、なぜ日興上人への相承書が話題にも上らなかったのか。これは全く以って不可解です。もし、そのような相承書を日蓮聖人が残したとすれば、そんな一大事の時の為の準備で有ったはずです。
もし、跡目はお前だ、という遺言書を貰っておいて、跡目争いが起きたときに、それを出さなかったとしたら、日興上人は大馬鹿者と言うことになります。
2084
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 19:15:06
あまちゃんさん
有り難うございます。
外陣さん
結局、あなたは、自分が本物であると主張する証拠は何一つ挙げられませんでしたね。
所謂「本門戒壇の大御本尊」が本物の証拠はどうしました。二箇相承が本物の証拠はどうしました。「正宗」側の主張がないならば、あなたが挙げればよいだけです。
挙げて論じたら如何でしょうか。
あなたの書いていることは、議論ではなく、単なる希望的観測の羅列です。ですから、「問題外」です。なんでもかんでも石山が正しいと言った予定調和にはつきあえません。
釈迦一体仏が修行の姿であるという口上は、石山常套句、よく知っていますよ。
しかし、日興直筆の御遷化記録には「御所持仏教の事 御遺言に云はく 仏は釈迦立像」と書かれている以上、動きません。嗤うならば日興を嗤うことになります。
こうした都合の悪い文章を読み飛ばしてしか成り立たないような話は、ここでは通用しません。
> 理境坊さまについては当家の方でありますから「さま」とお呼びしたのがいけませんか。
これは意味が違います。だいたい言い換えています。あなたは「理境坊法華講さま」としていたのに、これを「理境坊さま」にすり替えています。まず、これが違います。
また、わたしが言ったのは、妙観講は理境坊預信徒で、ここの法華講は根檀家を指すので違うということです。
なお、日本の礼法では身内(当方)には尊称をつけないのがその在り方です。ですから、これも違います。これではいけません。
> 跡目は六人平等にするんですか?
そう日興が書き残している証文を挙げました。
違うというのであれば、そうした証拠を挙げればよろしいでしょう。
あなたが大きな勘違いをしていますが、証拠も挙げず、お山の大将をやっているのは、あなたの信仰でしょう。
さて、わたしは本日から地方出張なので、次の返信は火曜日以降とさせていただきます。
外陣さんの彫刻の明確な証拠の提示を楽しみにしております。
2085
:
れん
:2008/02/23(土) 19:18:48
横レス失礼します。
あまちゃんさん、初めまして。
御提示の池上所蔵の「御遺物配分事」ですが、立正では同筆の“身延山久遠寺番帳”とともに興師真筆とするものの、写真版を見ますと、この前後の御遷化記録や安国論問答などの確かな興師真筆と筆法が相違してますから、明らかに後世の(といっても室町期までは遡れるかもしれませんが)転写本に、各師の署名花押を加えたものと判断できます。これを一次資料として論ずるのは難しいでしょう。
あと、今の石山ですと、蓮祖のすべての法門は興師が相続したと言いますが、上代の石山歴代の日有や左京日教の文献によりますと、「日目の耳引き法門」と称し、三大秘法ないし、その中の本門本尊の一大事の法門は蓮祖は興師ではなく目師に直授したと主張していますね。
この一事のみとっても、現在の石山が主張する蓮祖から興師への唯授一人血脈相承というものは、かなり後世になって唱えられたことが解りますね。
2087
:
あまちゃん
:2008/02/23(土) 19:32:07
れんさん、はじめまして。
一回こっきりの投稿のつもりでしたが、御礼申し上げさせていただきます。
写真による筆法比較ですか。
思いもよりませんでした。
ご教示ありがとうございます。
2088
:
れん
:2008/02/23(土) 20:31:32
あまちゃんさん、こちらこそ、失礼いたしました。
ご丁寧にご挨拶戴き有難うございました。
池上蔵の御遺物配分事は難があるのですが、御遺物配分事には蓮祖門弟の日位写本があるので、この写本の日位筆が否定されない限りは、有効であるとは存じます。
2089
:
独学徒
:2008/02/23(土) 20:57:24
横レスにて失礼します。
他門には、日蓮大聖人御真筆の伝法曼荼羅が相伝されていますね。(日昭門流)
また堀日亨師が編纂顧問をつとめられた、昭和底本日蓮聖人遺文には、日蓮一期弘法抄とともに日朗御譲状が収録されています。
二箇相承がOKなら、日朗御譲状もOKでしょうね。
また、冨士教学研究会談義所にて、宗祖直弟子で身延山第3世となった、日進師の教示をまとめた日進上人仰之趣の、日興上人に関する部分を紹介していますのでご参照下さい。
日向師・波木井氏そして日興上人との事につき、生き証人でもあった日進師の言葉です。
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/4/14/
2090
:
独学徒
:2008/02/23(土) 20:59:11
また誤字がありました。
誤:昭和底本
正:昭和定本
失礼しました。
2091
:
一字三礼
:2008/02/23(土) 21:26:31
〉2079
外陣さん、横レス失礼します。
〉立ち姿の本佛など聞いたことも見たこともございません。お悟りを表す仏像は皆お座りになっていること、独歩さんほどの知識人ならご存じありますでしょう。
私は寡聞にしてまったく知らないことでしたが、これはどういう意味でしょうか。
立像の仏尊像なら、いくらでもありますよね。
マトゥラーの施無畏与願釈迦立像、清涼寺の生身の釈迦如来立像、神護寺の薬師如来像、高野山親王院の阿閦如来像、等々。
基本的に、仏の立像は、両足を揃えて直立した‘正立像’が多いようです。
‘お悟りを表す’とは所謂、‘仏形’のことですか。
それとも、‘印相’、‘持物’や‘衣’のことですか。
2092
:
外陣
:2008/02/24(日) 12:45:36
犀角独歩さん、問答迷人さん、一字三礼さん そして皆様へ
ご覧になっておられるとおり、小生も聞きかじりのような法門観でいつのまにか
此処に居並ぶそうそうたる御仁方に喧嘩をしかけてしまったような気がしてまい
りました。もとよりそのような気持ちはなく自分自身でも疑問に思っていること
悩んでいることなどを勉強させていただこうという姿勢で書き込むつもりでおり
ました。それぞれの立場は立場として虚心坦懐、是々非々として臨むつもりでお
りました。
なんとか自分なりに申し上げたいことを纏めようと四苦八苦いたしておりますが
準備もせずに重要なる事項について、つい尋ねられるまま安直に書き連ねている
恐れがありますので、まことに勝手なんですが少々休憩をいただきたくお願い申
し上げます。
挙証する資料など纏めまして再度また書き込みさせていただくこともあるかもし
れませんが、例えば「本尊問答抄」と「唱法華題目抄」、佐前佐後の御妙判など
の例をタイプしておりますが、時間もかかりそうなので少しくお待ちいただくこ
とご寛容くださいますよう重ねてお願い申し上げます。外陣拝
※ここ数日の応接でクタクタになりましたですわ。(苦笑)
2093
:
そううそ
:2008/02/24(日) 14:07:35
Sub:時既に遅しでしょうか?
外陣さん、羽さん
はじめまして。
創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/
創価学会退会者の「そううそ」といいます。
ここで管理人をしている者です。
01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/0020f051cd307bdb21de03b7934a1d1c
ここを読んで頂いてルールを守って頂けるのが前提でお願いがあります。
243.大御本尊に対する日蓮正宗系(創価学会、顕正会など)の言い分。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/7a5bc04fc70058cf4e81ed3c8576a795
244.大御本尊の教団都合によらない見解(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/d487e07cf1e3014c53c4ac8fef38fe5d
大御本尊図顕に関して 「いつ」「だれが」「どういう経過で」 という点に絞って記事を纏めてみました。
一部、引用になってしまい引用許可を得るか箇条書きに変えるか未定です。
この為、他にも一部完成していなのですが、議論は可能なレベルにあると思います。下記のURLについて
「具体的に、いつ、どこで、だれが、という事を明確にして文献や証拠はあるのでしょうか?」
信心で仰げ!、とか、謗法!とかの精神論でなくきちんとした証拠をお願いします。
「出来れば」で結構ですので日道の亡くなった 1341年2月26日 以前の証拠をお願いします。
証拠が有っても無くても私一個人は再度考えさせて頂きます。
2095
:
問答迷人
:2008/02/24(日) 18:43:23
外陣さん
どうぞ、お考えを纏められて下さい。書込みをお待ちいたしております。
2096
:
龍門
:2008/03/22(土) 23:54:13
れんさん
はじめまして
龍門と申します。横スレ失礼いたします。
>御遺物配分事には蓮祖門弟の日位写本があるので、
>この写本の日位筆が否定されない限りは、有効であるとは存じます。
立正の中尾先生は、日位の筆勢と相違することから、当該文献を蓮華日持のものではないかとの論考があります。
その論文に提示されている写真をみる限り、当該文献を日位筆とは認めがたいとの意見には私も共感いたしました。
当時、当該文献が蔵されている池田本覚寺に問い合わせたところ、
「それはあくまでも中尾先生のお考えです」とのみ返答をいただきました。
いずれにせよ、すでに日位筆ということについて、異論がでている事実があります。
2097
:
れん
:2008/04/11(金) 12:34:18
龍門さん、初めまして。
私、先月下旬から病気しておりまして、ご返信が遅れましたこと、先ずお詫び申し上げます。
日蓮が釈尊を本尊としていたのは、真筆の神国王御書に文永八年頃の自身の仏前を「其外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし」と表現していますので、釈尊の仏像を本尊としていたのはこれは動かないですね。弘安二年或いは同三年に係る真筆の盂蘭盆御書にも「あおぐところは釈迦仏、信ずる法は法花経なり」とあります。
ですから、日蓮が釈尊像を本尊としていたのは事実ですので、やや文献的に扱いづらい(第一級史料として扱えない)御遺物配分帳各写本を持ち出さずとも良いと思います。たしか日位本は日蓮宗事典に写真があったと思いますが、その年号の書き方が弘安五壬午年云々で、この書式は戦国時代以降のもので、鎌倉時代の年号書式とはことなるので、その点からも、かなり後世成立の写本と思われ、伝日位本が日持筆というのも有り得ない思います。
2098
:
龍門
:2008/04/14(月) 14:48:11
れんさん
私もれんらんの仰るように、伝日位本が日持筆というのはあり得ない話打と思っております。
ですから中尾先生の論攷を見た時にかなりびっくりしました(笑)
いずれにせよ、宗祖御遷化記録には真正なる日興上人の署名御花押が記されており、
対して、御遺物配分事には署名の下に「在判」とある以上日興上人の記された文献でない以上、
これからの上代の教団史を研究していく途上では、後者の内容に関する扱いには十分きをつけなくてはいけないなぁと勝手に思いました。
2099
:
龍門
:2008/04/14(月) 14:49:14
>2098
誤植が多くてすいません。
2100
:
旦
:2008/05/08(木) 18:11:41
以前このスレで独歩氏を叱責したものです。
>>1960
さんの意見を参考に、稚拙ながら掲示板とブログを新設しました。
法華論議
http://bbsss.net/nichi1/
法華講説
http://namumyouhourengekyou.blogspot.com/
2101
:
旦
:2008/05/08(木) 18:16:01
>>2093
不信謗法というものが法華経に説かれていますので
御本尊に関しては慎重にするのが信徒の義務と考えます。
2102
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:16:04
はて、わたしは、叱責をされた記憶もありません。
また、叱責をするのであれば、偽物に拠らず、本物を持ってきてください。
2103
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:17:34
それと、わたしは、旦さんがいう信徒ではありませんので、言われるような慎重になる理由もありません。
2104
:
旦
:2008/05/08(木) 18:19:07
はて、ここの題目には信徒の掲示板とありますが…
2105
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:22:06
信徒の掲示板に、信徒でないものが投稿してはいけないというきまりは、ここにはありません。
あるのは、文献を挙げるのであれば、それが真蹟である証拠を示すことです。
「法華講説」HPには、偽書が堂々と載っていますが、これが本物であることを証して、はじめて、議論になります。
こんなページを紹介するのであれば、この書が、日蓮の真筆であることをまず証することです。
2106
:
管理者
:2008/05/08(木) 18:25:40
旦さん
掲示板の主旨は以下のとおりです。
2.各所属団体の活動に疑問を持つ方々の心情の吐露の場
4.富士門流の改革を外部から支えてくれる人達の場
信徒に限定しておりませんので、宜しくお願い致します。
2107
:
旦
:2008/05/08(木) 18:30:14
>>2105
一、御抄何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有るべし、
若し加様の悪侶出来せば親近すべからざる事。
と日興上人が定め置かれておりますので、いずれも偽書に擬す独歩氏に親近してしまうと
旦の方が遺戒置文の一条を破ってしまい、富士門流信徒でなくなってしまう恐れがあります。
文証が信じられないなら、現証の議論になるかと考えます。
ここでの論議は以前と同じように、管理人さんに発言削除・アク禁される恐れがありますので
何か仰せられたいことがあれば、
http://bbsss.net/nichi1/
で受け付けています。
2108
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:36:04
所謂『日興遺誡置文』の一節ですね。
では、この書が日興のものであるという証拠はどこにありますか。
また、わたしが「いずれも偽書に擬す」ということですが、どのような偽書を用いたというのでしょうか。具体的に示してください。
もう一点。『日蓮一期弘法付嘱書』は、明らかな偽書です。こんなものを持ち出すことが、まさに「御抄何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者」とは、旦さん、あなた自身のことでしょう。天に唾する者は己の面に、自らの唾がかかります。
2109
:
管理者
:2008/05/08(木) 18:47:24
旦さん
>ここでの論議は以前と同じように、管理人さんに発言削除・アク禁される恐れがありますので
一言申し上げておきます。
以前、投稿禁止になった方が、性懲りも無く、ハンドルを変えて、再投稿されても、ルールを遵守されるのであれば、再投稿を禁止するルールは今の所、ありません。
2110
:
旦
:2008/05/08(木) 19:52:17
>>2108
偽書に擬す、というのは
偽書だと疑うという意味と考えますが
日蓮一期弘法付嘱書を偽書ということが
遺戒置文の禁に当たります。
天に唾うんぬんは独歩さんではないでしょうか。。
旦は何も偽書に擬してはいません。
2111
:
旦
:2008/05/08(木) 19:57:10
>>2109
以前もルールは順守させていただきましたが
また管理者さんの逆鱗に触れてしまうのでしたら
手前味噌ですが、旦が用意した場所で、
論議したいと考えています。
2112
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:05:05
旦さん
なるほど。
では、以下の文を偽書ということは日興の誡めに当たるわけですね。
譲与
南無妙法蓮華経
末法相応一閻浮提第一立像釈迦仏一体
立正安国論一巻 御免状
右為妙法流布一切利益於法華経中一切功徳者所与大国阿闍梨也。至尽未来際為仏法捨於身命一心可弘通妙法者也。夫迹本雖広不出妙法五字。昔迹今本也。広略要之中取要中要可令弘通一閻浮提。雖撰肝心要豈捨広略哉。迹門実相説者是久成之本也。寿量遠本依迹顕也。今此迹本二門共皆迹仏説也。迹無本者不得顕本。本無迹者依何垂迹。本迹雖殊不思議一也。是此経一部正意也。亦是如来第一実説也。釈尊一代之深理亦日蓮一期之功徳無残所悉所付属日朗也。寿量品云我本立誓願乃至皆令入仏道毎自作是念乃至速成就仏身。
弘安五年十月三日 日蓮 花押
また、その次の項目である「偽書を造って御書と号」すことへの禁誡はどうなりますか。
2113
:
旦
:2008/05/08(木) 20:28:56
>>2112
いいえ。本迹一致を唱える偽書を作るものを見ましたら
富士門流では師子身中の虫と心得なさいと
日興上人は仰せられます。
よってその偽書の制作者は師子身中の虫となります。
2114
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:30:48
自分に都合の悪いところはとばしちゃ駄目ですよ(笑)
日朗譲状を偽書に擬してはいけないわけでしょう。
こちらの件は、どうしました。
2115
:
旦
:2008/05/08(木) 20:38:45
おかしいですね。
御抄が偽書になることがあり得ないように
偽書が御抄になることもあり得ないと考えます。
遺戒置文にいう、当門流の当とは、日朗でしょうか。
旦は日興門流のことだと考えます。
2116
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:41:49
では、「御抄」とは何で、「御書」とは何ですか。
2117
:
旦
:2008/05/08(木) 20:45:47
ゆえに、当門流を誹謗しているのは、
独歩氏ということになります。
2118
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:46:56
旦さん、2116に応えてください。
2119
:
旦
:2008/05/08(木) 20:52:50
>>2116
どちらも宗祖がしたためられた御文
という意味だと考えます。
2120
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 21:07:24
あなたの考えを聞いているわけではありません。日興門流の考えを談じているのではありませんか。
日興の時代には、まだ御書の多くが一堂に集まっていたわけではありません。
故に『富士一跡門徒存知事』のなかには、この「御抄」が何であるかが明示されています。
聖人御書の事。付けたり十一箇条
彼の五人一同の義に云はく、聖人御作の御書釈は之無き者なり。縦令少々之有りと雖も、或は在家の人の為に仮名字を以て仏法の因縁を粗之を示し、若しは俗男俗女の一毫の供養を捧ぐる消息の返札に、施主分を書きて愚癡の者を引摂し給へり。而るに日興は聖人の御書と号して之を談じ之を読む、是先師の恥辱を顕はす云云。故に諸方に散在する処の御筆を或はすきかえ(漉返)しに成し、或は火に焼き畢んぬ。此くの如く先師の跡を破滅する故に具に之を註して後代の亀鏡と為すなり。
一、立正安国論一巻。
此に両本有り、一本は文応元年の御作、是最明寺殿と要を取って法光寺殿へ奏上の本なり。一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添へたまふ、而して別の旨趣無し、只建治の広本と云ふ。
一、開目抄一巻、今開して上下と為す。
佐土国の御作、四条金吾頼基に賜ふ。日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校せず。
一、報恩抄一巻、今開して上下と為す。此の中に弘法の面門俄かに開く事。
身延山に於て本師道善房聖霊の為に作り清澄
寺に送る、日向の許に在りと聞く。日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校せず。
一、撰時抄一巻、今開して上中下と為す。
駿河国西山由井某に賜ふ。正本は日興に上中二巻之在り、下巻に於ては日昭の許に之在り。
一、下山抄一巻。
甲斐国下山郷兵庫五郎光基の氏寺平泉寺。直ちに御自筆を以っ
て遣はす。 住僧因幡房日永追ひ出ださるゝ時の述作なり、正本の在所を知らず。
一、観心本尊抄一巻。
一、取要抄一巻。
一、四信五品抄一巻。法門不審の条々申すに付いての御返事なり、仍って彼の進状を奥に之を書く。
已上三巻は因幡国富城荘の本主今は常忍、下総国五郎入道日常に賜ふ、正本は彼の在所に在るか。
一、本尊問答抄一巻。此の御書は□
一、唱題目抄一巻。
此の書は最初の御書なり、文応年中常途の天台宗の義分を以て且く爾前と法華の相違を註し給へり、仍って文言義理共に爾なり。
一、御筆抄に御書毎に於て法華本門の四字を加ふ、故に御書に之無しと雖も日興今義に従って之を置く、先例無きに非ざるか。
ここに、旦さんがいう『日蓮一期付嘱書』は入っていません。それにもかかわらず、どうして、この書を「御抄」と言えますか。また、あなたがいう『日蓮一期付嘱書』には「法華本門」の四文字もありません。
あなたの言うことは、当門流に違反しています。
2121
:
旦
:2008/05/08(木) 21:27:54
聖人御書の事。とありますから
やはり聖人がしたためた御文を
御書、あるいは御抄といわれていることが拝せます。
また日興上人は数ある御書から十大部を選出したといわれています。
日蓮一期弘法付嘱書には、「本門弘通」「本門寺」とあることから
本迹一致ではなくて本迹勝劣と拝せます。
2122
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 21:37:03
あなたの考えを聞いているわけではありません。
『富士一跡門徒存知事』にあなたの言っていることが違反していると言っているのです。
2123
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 21:48:37
もう少し具体的に記しましょうか。
2121の旦さんの記述は、『日興遺誡置文』がいう「御抄」を定める『富士一跡門徒存知事』と違い、つまり、『日興遺誡置文』『富士一跡門徒存知事』と違う、日興門流あらざる考えだと言っているのです。
だいたい本門寺とあればいいのならば、池上本門寺でもよいわけですか。
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