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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

136管理者:2003/06/25(水) 12:55

175 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/22(日) 18:14


れん さん

>死しても信仰を退転せずに貫いた熱原三烈士の姿に

三烈士が処刑されたのは何時のことで、戒壇本尊を認められたとされているのは、何時のことだとお考えでしょうか。
創価学会では、れんさんの仰る趣旨の説明をしてきましたが、三烈士が処刑されたのは、翌年の四月八日であると考えるのが適切であろうと思われます。弘安二年十月の段階で、三烈士の処刑を予測したというのは、いかにも神憑り的に過ぎると思います。理由は、後年、処刑から十四年経った四月八日に、平左右衛門の一族が謀反の罪で処刑されて、一族が絶えた事を見られて、日興上人が三烈士の命日を追悼のために記念曼陀羅を書写されているからです。

詳しくは、堀上人の「富士日興上人詳伝」の84頁(創価学会で出している分冊文庫本のページ数は判りません)に、「翌年四月、神四郎・弥五郎・弥六郎の三人を斬首し十七人を追放したり。」とありますので、関係文献等、ご覧になられると良いと存じます。

>日興上人が門徒存知事でいましめられたのは、板本尊造立そのものではなく、形木本尊=印刷本尊配布についてです。

この事、何を根拠とされて、そのように断定されるのでしようか。根拠をお示しいただければ幸いです。

今後とも、よろしくお願いいたします。

137管理者:2003/06/25(水) 12:55

176 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 19:07

ご質問にお答えします。戒檀本尊が造立されたのは「右為現当ニ世造立如件、本門戒壇之願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日」との脇書によるならば、弘安ニ年十月十二日でしょう。問答迷人さんは、三烈士の処刑日を弘安三年四月八日とし、その根拠を堀日亨師の詳伝に求めていますが、私はそれに懐疑的です。興風談所の山上弘道師は「日興上人御本尊脇書について」における神四郎追善の興師本尊の脇書の解説において「日亨師は当御本尊の書写年月日と脇書の記述に注目され、『十四年といわれしを、年暦をたどれば弘安三年に当たり、それ


177 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 19:20

が記念曼陀羅書写の日は、かならず当時の命日と見るべきであれば、二十人の御勘気すなわち処分の年月日は、弘安二年十月十五日が一同ひとまず禁獄すなわち入牢で、神四郎等兄弟三人の斬首および他の十七人の追放は、弘安三年四月八日と定むるのが当然であらねばならぬことを主張する』と述べられている。傾聴すべき意見ではあるが、四月八日斬首説についてはどうであろうか。仏生日に斬首というのも考えにくく、更に四月八日が十月十三日に次いで本尊書写が多いという点も考慮する必要があろう。むしろ、法難から三十年の記念の年の、平左衛門親子が誅


178 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 19:55

せられた四月の、御本尊書写日(日興上人は十三日・八日を御本尊書写の日とされていたと推定される。『興本』三七ニぺージ参照)に書写されたと見るべきではないだろうか。」と述べ、三烈士の弘安三年四月八日斬首説に疑義を呈されています。私も山上師と同様の理由により、三烈士の処刑日を弘安三年四月八日とする説には同意できません。興師の弟子分帳の「ヒキメを以て散々に射って念仏を申すべきの旨再三之を責るといえども、ニ十人更に以て申さざるの間張本三人を召しきって断罪せしむる所なり。枝葉十七人禁獄せしむといえども終に放たれ畢ぬ」と

138管理者:2003/06/25(水) 12:56

179 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/22(日) 20:02


なるほど。山上師がそのような見解を示して居られることは、傾聴にに価すると思います。それでは、三烈士の処刑日は、何時であったとお考えでしようか。


180 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 20:20

の記述と熱原法難に関係する蓮祖より興師への賜書である「伯耆殿御書」(興写あり、弘安二年九月二十日)・「伯耆殿並諸人御中御書」(真筆一紙現存・同九月二十六日)・「伯耆殿御返事」(興写有り・同十月十二日)・「聖人等御返事」(興写有り・同十月十七日)から読み取れる法難の流れからすると、弘安ニ年九月中に熱原法華衆は鎌倉に召上されたと考えられ、早い時点(十月初め)で三烈士の斬首がおこなわれ、その後残る十七人が禁獄された(それが聖人等御返事にみられる御勘気)と推定されるます。その三烈士斬首の報に接した蓮祖が戒壇本尊を造


181 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/22(日) 20:28


もう一つの質問を補足します。

門徒存知事
一、御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂(いわゆる)日向・日頂・日春等なり。
  日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり。

なぜ、印刷がいけないと言われているのか、これがあまり問題にされてきていないと思います。真言密教の曼陀羅では、梵字は、最初にア点を認め、それから梵字を認める訳で、ア点を彫刻してしまっては、梵字の功徳は無くなり、ましてや印刷してしまっては、形だけのまがい物になってしまうわけです。

この指摘は、当、富士門掲示板の過去ログ 「続 大石寺問題提起」スレッドの22レス以下で、無徳民さんが詳しく述べられたところです。

門徒存知事では、直接的には印刷本尊の否定をされているように読めますが、曼陀羅の本義から考えると、曼陀羅を彫刻する事も当然否定されるべき事であり、日興上人が本尊彫刻は認めていたという事にはならないと思います。如何でしょうか。

139管理者:2003/06/25(水) 12:57

182 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 20:39

立されたと考えられます。ですから興師の弟子分帳の文章の流れから勘考すれは、三烈士の処刑は戒壇本尊造立日(弘安二年十月十二日)以前、日にちは記録が残ってないので断定は出来ないが、十月初めのことと私自身は拝察しています。
次に興師の門徒存知事におけるいましめが、板本尊造立では無く印刷本尊であるとの根拠ですが、その根拠は柳沢宏道師著「石山本尊の研究」の一文にあります。お手数ですが手元にありませんでしたらご自分で取り寄せてお読み下さい。板本尊造立については、富士門に於いても上代において日尊師が行なっておりますし、保


183 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 20:54

田妙本寺に於いても南北朝期に蓮祖の御本尊や郷師書写の本尊を板に模刻にしています。石山末寺に於いても、蓮行寺には大石寺八世日影師の代に蓮祖の御本尊を模刻した板本尊があります。また、目を転じて、他門でも、民部日向師が正安年間に板本尊を造立しています。このように、興師の門下にも板本尊造立の史実がある以上、興師は板本尊造立そのものについては否定されなかったと見るべきでしょう。


184 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/22(日) 21:23


熱原の法難と日興上人への御本尊授与

大石寺第四世日道師の三師御伝土代の日興上人御伝草案に次のような記述があります。

「日興上人の御弟子駿河国冨士の郡り熱原より二十四人鎌倉え召れ参る。一々に搦め取て平左衛門が庭に引据たり、子息飯沼の判官馬と乗小蟇目を以て一々に射けり、其庭にて平の左衛門入道父子打れり法華の罰なり、さて熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず日興の弟子日秀日弁二人、上人号し給ふ、大聖人の御弟子数百人僧俗斯の如く頚を切たるなし、又上人号なし、是れ則日興上人の御信力の所以なり云云、日秀日弁は市庭滝泉寺を擯出せられ給ふ。」(富士宗学要集第五巻八頁)

この記述は、山上師の説を裏付ける資料となっています。真相は、このようであったかも知れませんね。半年後の処刑説は、やはり、少し無理があるのかも知れません。また、れんさんの「弘安ニ年九月中に熱原法華衆は鎌倉に召上されたと考えられ、早い時点(十月初め)で三烈士の斬首がおこなわれ、その後残る十七人が禁獄された(それが聖人等御返事にみられる御勘気)と推定されるます。」との推測、大変示唆に富んでいますね。この点については、僕は四月処刑説に拘らないことに致します。

所で、この御伝土代の記述に依れば、「その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」と有りますので、曼陀羅を認められて、そこに「日興上人」と認められたとされているわけですが、この本尊が戒壇板本尊なら、戒壇板本尊に「日興上人」の四文字が認められているはずですが、そのような記述は戒壇板本尊には見られないようです。この点、如何お考えでしょうか。

140管理者:2003/06/25(水) 12:58

185 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 21:37

最後に問答迷人さんの質問の補足についてお答えします。問答迷人さんは、曼陀羅の本義から考えると印刷本尊のみならず曼陀羅を板に彫刻することも否定されるべきであり、興師が本尊の彫刻は認めていた事にはならないと思うと述べています。だが、蓮祖の曼陀羅の本義は釈尊の因行果徳のニ法を具足した上行所伝の妙法五字の受持による釈尊の因果の功徳の自然譲与にある故に、板に御本尊を彫刻したからといって、妙法五字の功徳が無くなるというものではないですよ。ですから私は紙に図顕された本尊も板に彫刻された本尊も同じ様に拝しております。m(__)m


186 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 22:04

問答迷人さんが示された御伝土代の文ですが、前後の文脈を拝した上での私の見解は「その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」の御本尊は御書に遊ばすのお筆誤ではなかろうかと思います。御書だとすれば聖人等御返事を指すものと拝せられます。戒壇本尊もほぼ同時期に造立されておりますから、道師の心中には戒壇本尊が蓮祖興師の熱原法難時の能所(所には熱原法華衆も当然入る)一体の信行により建立された事が深く脳裏にあったが故に御書と書くべきを御本尊と書き間違えられた拝察します。又、この御筆誤が戒壇本尊の存在を裏付けていますね。


187 名前: れん 投稿日: 2003/06/22(日) 22:40

なお、江戸期の石山貫首の文献ですが寛師「師弟冥合則事の一念三千なり。その事の一念三千とは即中央の本尊なり」、純師の衣証事記に「境母法身の日興左に居し、智父報身の日蓮右にして境智冥合する時、中央の大曼陀羅なり」とあり、中央の本尊=戒壇本尊は日蓮日興師弟能所一体の信行により成就されたことを示されています。故に戒壇本尊には「日興上人」と無くとも、日蓮日興能所同体の信行により戒壇本尊が詮顕されたこと明白ですから、問題はないと考えます。以上長々と失礼しました。明日仕事ですので、今日の所はこの辺で失礼いたします。m(__)m

141管理者:2003/06/25(水) 12:59

188 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/23(月) 05:41


れん さん

>道師の心中には戒壇本尊が蓮祖興師の熱原法難時の能所(所には熱原法華衆も当然入る)一体の信行により建立された事が深く脳裏にあったが故に御書と書くべきを御本尊と書き間違えられた拝察します。

もしそうだとすると、そのように重要な戒壇本尊の建立については、道師は、却って一切触れられていない事になってしまいます。御書と読めば、一応は辻褄が合うようですが、却って、熱原の法難、事に三烈士の殉教を機縁として曼陀羅を認められたという史実を隠すことになってしまう矛盾を孕んでいますね。この点、如何お考えでしようか。


189 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/23(月) 06:08


もう一点

>だが、蓮祖の曼陀羅の本義は釈尊の因行果徳のニ法を具足した上行所伝の妙法五字の受持による釈尊の因果の功徳の自然譲与にある

これは、曼陀羅の本義ではなく、観心本尊の本義ですね。混同されていませんか?

観心本尊抄には、曼陀羅という言葉は使われていません。蓮祖の妙法曼陀羅は,真言密教の「大曼陀羅」の応用であると思われます。愛染明王、不動明王の二尊は、蓮祖の妙法曼陀羅においては、梵字を持って認められています。この点については、保田に伝えられている、曼陀羅書写の相伝書に次のように有ります。これが直ちに蓮祖の相伝書で有るかどうかは別として、富士門流の上代に於ける曼陀羅観を表していると思われますので引用してみます。

「問て云く至心敬礼し本尊を拝見するに皆以つて漢字なり、何ぞ不動愛染に限つて西天の梵字を用るや、答て云く異説有りと雖も且く一義を述ぶ不動愛染の自躰梵字に於いて利益す可き故に漢字を略して梵字を載せ例せば陀羅尼品咒の如き梵音を聞いて得益す可き故に直ちに梵語を説いて漢語に翻ぜず、之に准じて知る可し云云。」(本尊三度相伝 富士宗学要集第一巻41頁)

ここに「不動愛染の自躰梵字に於いて利益す」と有ります。これは、密教の「法曼陀羅(種子曼陀羅)」の応用ですね。であるならば、ア点を無視した彫刻、形木は蓮祖の曼陀羅を踏みにじる物であろうと思う訳です。


190 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/23(月) 06:19


訂正です。

誤→保田に伝えられている
正→大石寺に写本の有る

富士宗学要宗の編者、堀師は「本山蔵水口日源筆を以つて此を写す」と注記されています。謹んで訂正させていただきます。

142管理者:2003/06/25(水) 13:00

191 名前: 一字三礼 投稿日: 2003/06/23(月) 09:29

横レス失礼します。
れんさん、はじめまして。質問させてください。

173
>久成如来霊山隠居
これはどのような意味でしょうか。

また、その根拠となる経典もしくは真蹟御遺文をお示しください。


192 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/06/23(月) 21:03

れんさん始めまして。

レス読ませて頂きました。
気になったことがあったので、質問させて下さい。
石山の文献で、「戒壇之本尊」が明記されている最も古い文献を教えて下さい。
不思議なことに、蓮祖・日興師の真蹟遺文には明記されていないと思われますが、何故でしょうか。
参考までにお考えを披瀝下さいませんでしょうか。


193 名前: ジャージルーカス 投稿日: 2003/06/24(火) 11:29

れんさん

①「板本尊造立については、富士門に於いても上代において日尊師が行なっており」
②「保田妙本寺に於いても南北朝期に蓮祖の御本尊や郷師書写の本尊を板に模刻にして」
③「石山末寺に於いても、蓮行寺には大石寺八世日影師の代に蓮祖の御本尊を模刻した」
以上3点についての出典を教えてください。

また、れんさんの記述の中の「興本」とは「日興上人御本尊集」の事でしょうか。

143管理者:2003/06/25(水) 13:00

194 名前: れん 投稿日: 2003/06/24(火) 21:14

皆さんはじめまして。先程こちらを覗いてみましたら、沢山の方からのご質問があり、びっくりしました。明日仕事が早出なので、今日は問答迷人さんから呈された疑問にのみお答えさせて戴きます。問答迷人さんのご意見によると、私の解釈だと、却って三烈士の殉教を機縁として曼陀羅を認められた史実を隠すことになってしまう矛盾を孕んでいるとのことですが、私はそうは思いません。
少なくとも、石山門流内では戒壇本尊が熱原法難時の三烈士の殉教を機縁として蓮祖が造立された事は周知の事実であったでしょう。周知の事をわざわざ書く必要があります


195 名前: れん 投稿日: 2003/06/24(火) 21:30

でしょうか?第一、道師の不意の御筆誤により、逆説的に戒壇本尊が興師の御信力により造立された事が理解できるではありませんか。
次に曼陀羅の本義と観心本尊の本義を混同しているとの疑問ですが、観心本尊抄は蓮祖が曼陀羅本尊図顕の教義上の根拠を示したものです。その曼陀羅本尊の中心はお題目と日蓮花押です。これは、上行所伝の題目五字を受持することにより、釈尊の因果の功徳を自然譲与された蓮祖の己証でもある訳です。即ち観心本尊=お題目と日蓮花押と言えます。興師門弟の三位日順師すら蓮祖所図の曼陀羅は蓮祖の己証であると言っていま


196 名前: れん 投稿日: 2003/06/24(火) 21:47

す。私はその意味で上記の様に表現した訳です。問答迷人さんは観心本尊と蓮祖自筆の曼陀羅本尊の中尊の五字とを全く別物とお考えでしょうか?私はそれは違うと思います。理由は今述べた通りです。観心本尊抄には勿論曼陀羅と言う言葉はあらませんが、保田の文永十一年十二月の曼陀羅には蓮祖自ら大本尊と讃文を記しているではありませんか。又蓮祖の真筆断簡が現存する新尼御前御返事にも蓮祖自ら図顕する曼陀羅を御本尊と言われています。この様に、蓮祖自筆の自記により、蓮祖自筆の曼陀羅=観心本尊であることは明白です。
問答迷人さんは蓮祖の妙


197 名前: れん 投稿日: 2003/06/24(火) 22:03

法曼陀羅は真言密教の大曼陀羅の応用と思われると言われます。たしかに、蓮祖の出発点においては、台密僧であったのですから、その取材としてはそうと言えるかもしれません。しかし、その妙法曼陀羅の中心はあくまで蓮祖の己証である釈尊の因果の功徳を具足した上行所伝のお題目であり、これは終生変わりませんね。興師よりの口伝を三位順師が纏めた従開山伝日順法門には「御本尊の事、妙法蓮華経は万法含蔵の故に空なり、十界を顕し玉うは仮なり、しかも一幅の中に具足して闕減なきは中なり。我等が心王は妙法なり空なり、手足等は仮なり色心不ニなる


198 名前: れん 投稿日: 2003/06/24(火) 22:22

は中なり、本尊の境を己心の智を以て一躰不ニと拝見し奉れば境智冥合の即身成仏なり」とあります。この口伝は蓮祖自筆曼陀羅即観心本尊という私の意見の傍証となります。蓮祖の妙法曼陀羅本尊図顕の根拠はあくまで本門事の一念三千=釈尊因行果徳のニ法を具足した上行所伝の妙法五字の受持により釈尊の因果の功徳を自然譲与されたとする蓮祖の観心の成就にあり、その図顕の理由も我等末代の本未有善の荒凡夫の成仏を願われてのものであることは明白です。次に問答迷人さんはア点を無視した彫刻等は蓮祖の曼陀羅を踏み躙ることになるだろうとのことです


199 名前: れん 投稿日: 2003/06/24(火) 22:41

が、蓮祖や蓮祖の直弟子・興師門弟に板本尊造立の史実がある以上蓮祖やその門弟にはたとえ板に本尊を彫刻しても曼陀羅本尊そのものや曼陀羅本尊中の不動愛染の梵字の利益・功徳は損われないと考えておられたことが容易に分かりますね。蓮祖造立と伝える板本尊は戒壇本尊の他にも、小泉久遠寺に一体(典拠日蓮宗の本山めぐり)、山梨の日蓮宗寺院(寺名失念、典拠日蓮宗寺院大観)があります。又、当の真言宗でも中世の板碑をみれば分かりますが石板に梵字を陰刻してますよ。此等の事実を勘合すれは、問答迷人さんのご意見は否定されるべきものと私は考


200 名前: れん 投稿日: 2003/06/24(火) 22:52

えます。以上が問答迷人さんからの質問・疑問に対する私の回答です。なお、一字三礼さん、愚鈍凡夫さん、ジャージルーカスさんよりのご質問に対しては、仕事の都合もありますので明日以降に順次お答えさせて戴きます。御了承下さいm(__)m

訂正、(誤)山梨の日蓮宗寺院→(正)山梨の日蓮宗寺院に一体

144管理者:2003/06/25(水) 13:01

201 名前: 問答迷人 投稿日: 2003/06/24(火) 23:26


れんさん

>少なくとも、石山門流内では戒壇本尊が熱原法難時の三烈士の殉教を機縁として蓮祖が造立された事は周知の事実であったでしょう。

周知の事実であった事を示す証拠が何か有りますでしょうか?

>蓮祖造立と伝える板本尊

これは蓮祖の直筆曼陀羅を後世において板本尊にしたのでは無いのでしょうか?明確に蓮祖彫刻されたと伝えられているのでしようか。又、もし、そうなら、それは何年何月のことでしょうか?

>当の真言宗でも中世の板碑をみれば分かりますが石板に梵字を陰刻してますよ。

梵字を陰刻してはならないとは僕は言っていません。曼陀羅の梵字は彫刻してしまっては意味がないと申し上げているのです。板碑は曼陀羅ではないでしょう。

なお、「曼陀羅」と「御本尊」については、今は論点がずれますので省かせていただきました。


202 名前: ジャンノレン 投稿日: 2003/06/25(水) 09:45

問答名人さま、はじめまして。ジャンノレンです。

この問題についてはすこし当スレッドテーマ「御遺骨は何処」とずれがあるのではないかと思います。
御存知のように既に独歩さんと問答さんの対論があったわけですから、煩雑を避ける意味でそれとは別
なテーマを設けて議論し合うのが適当かと思うのですが、如何でしょうか?
このテーマについては私も少々御質問致したい事もありますので、れん様が了承されるのでしたら
是非とも、新スレッドをお願い致したいものです。


203 名前: 管理者 投稿日: 2003/06/25(水) 12:48


ジャンノレンさん
れんさん
皆さん

ジャンノレンさんの仰るとおり、議論が最もふさわしいと思われるスレッドに引っ越しして戴きたいと存じます。行き先は「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」スレッドとします。よろしくお願いいたします。

145れん:2003/06/25(水) 21:07
「本門戒壇大御本尊様の偽作説」についてですか…。正直言いまして、私は今まで言い古されてきた感のある戒壇本尊偽作説について、今更改めてその議論に加わる気は全く有りません。結論を言えば戒壇本尊の真偽を論じたところで、そこからの議論からではとうてい蓮祖や富士の法門を闡明にすることは出来ませんので…。但し、昨日の時点までに戴いたご質問には、お答えしなければなりませんので、以下お答え致しますm(__)m

146れん:2003/06/25(水) 21:22
問答迷人さんへ。周知の事実であった事を示す証拠ですか…。少なくとも、石山門流内においては、この七百年間、戒壇本尊に対して何ら異論無く伝承されてきた事実が証拠と言えるでしょう。次に蓮祖造立と伝える板本尊の件ですが、それぞれの出典には、小泉久遠寺のものは弘安四年の造立との寺伝を記載しており、山梨某寺のものは、弘安五年に蓮祖より檀越の秋山氏に授与されたものとの寺伝を記載しています。ことの真偽を確かめたければ、ご自分が実地調査されることです。もっとも、板本尊は文字が彫刻されているので、墨の濃薄や筆圧からの筆跡鑑定は

147れん:2003/06/25(水) 21:36
出来ませんが…。次に板碑は曼陀羅ではないでしょうとのことですが、蓮祖興師より少し後ですが、日有師は卒塔婆(板碑)は野原の本尊なりと示されていますよ。問答迷人さんは曼陀羅の梵字は彫刻したら意味が無くなると言われますが、私の手元には蓮祖の真蹟集成や新定御書、富要や歴代法主全書がありますが、曼陀羅の梵字を彫刻したら意味が無いなどと言う仰せは一度も拝したことはありません。それは結局人の意見を聞き齧った上での思い込みに過ぎません。問答迷人さんは密教の教義と相伝の一文に執着して自義を立てますが、そのような人を蓮祖は「暗

148れん:2003/06/25(水) 21:50
者は其の文を守る」と戒められておられますよ。要は戒壇本尊が信じられないとのことなのでしょうか。それでも上行所伝の妙法五字を受持し(受持一念信本因)、不軽品の修行(口唱本果)は出来るでしょう。蓮祖の末弟を自認するならばそこから始められては如何ですか?戒壇本尊を信じられないであろう問答迷人さんに対しても蓮祖は広大なる大慈大悲をもって包まれて居られます。「信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏となるべきなり」(法華初心成仏抄)と。合掌m(__)m

149れん:2003/06/25(水) 22:07
一字三礼さんへ。ご質問の久成如来霊山隠居の意味とは、久遠実成の釈尊の四節三益に漏れた滅後末法の本未有善の我等衆生への下種は本眷属の地涌の菩薩に全てを託し、久遠実成の釈尊自らは滅後末法の裟婆世界に出世なされずに霊山に隠居して、本眷属たる地涌菩薩達の弘経を見守られている…という程の意味です。その根拠となる御書は「教主釈尊多宝十方の諸仏は法華経を以て已今当の諸説に相対して皆是真実と定め然る後世尊は霊山に隠居し…」(曽谷入道殿許御返事・真蹟千葉県法華経寺蔵)

150れん:2003/06/25(水) 22:23
愚鈍凡夫さんへ。石山の文献で戒壇本尊が明記されているのは十四世日主師の「日興跡条々事示書(歴全第一巻四五九ページ)です。また主師撰の譲座本尊示書には戒壇本尊の脇書が書写されているとのことです。戒壇本尊が蓮祖興師の真蹟文献に明記されてない理由ですが、戒壇本尊に限らず、現存する他の御本尊についても触れられた例は殆どありませんね。上代では師弟関係のみにより御本尊は相続されたのであり、御本尊が寺有財産として明記されて伝承されるようになったのは近世に入ってのことです。故に真蹟文献に明記が無いのも頷けられる訳です。

151れん:2003/06/25(水) 22:42
訂正
(誤)寺有財産として明記されて
(正)寺有財産として目録等に明記されて

152れん:2003/06/25(水) 22:58
最後にジャージルーカスさんへ。大夫日尊師造立の板本尊の脇書は富士宗学要集第八巻所収の曼陀羅脇書等に掲載されています。又これに関する有師御談が物語聴聞抄にあります。次に保田妙本寺蔵の板本尊の出典は千葉県史料金石文篇一ならびに千葉県の歴史資料編中世3所収の妙本寺所蔵曼陀羅本尊目録です。日影師代造立の板本尊(所蔵について蓮行寺は信行寺の記憶違いでした)の出典は大黒喜道師編著「日興門流上代事典」です。なお、私の記述の中の興本とはご推察の通り「日興上人御本尊集」です。

153問答迷人:2003/06/25(水) 22:59

れんさん

>私は今まで言い古されてきた感のある戒壇本尊偽作説について、今更改めてその議論に加わる気は全く有りません。

了解です。無理に参加される必要は何ら有りません。

>周知の事実であった事を示す証拠ですか…。少なくとも、石山門流内においては、この七百年間、戒壇本尊に対して何ら異論無く伝承されてきた事実が証拠と言えるでしょう。

全く証拠にも何にもなっていないと思います。「この七百年間、戒壇本尊に対して何ら異論無く伝承されてきた」かどうかが問われているわけですから、頭からそのように決めつけても何ら意味の無いことでしょう。

154れん:2003/06/25(水) 23:11
以上ですが、今年はじめにこちらの存在をしり、時々覗かせて戴いていましたが、皆さんの真摯な議論の内容は、これからの私の信仰活動の参考になりました。こちらで皆さんと思う存分議論したい気持ちが無いわけではありませんが、私は仕事も学会活動も忙しい身の上ですので、やはり、現実生活の方を優先せざるを得ませんので、残念ですがこれにて失礼いたします。問答迷人さんをはじめ皆さんには短い間でしたがお相手をして戴き誠に有難うございました。最後に順逆二縁の皆様の皆悉成仏をご祈念させて戴き、これにて失礼させて戴きます。
m(__)m

155愚鈍凡夫:2003/06/25(水) 23:26
>>150: れんさんへ。
お忙しい中、質問に答えて下さって有り難うございます。

>戒壇本尊に限らず、現存する他の御本尊についても触れられた例は殆どありませんね。

そうでしょうか。
「御本尊図して進候」(「報恩抄送文」 学会版P330 未決書)
「御守書てまいらせ候」(「日眼女造立釈迦仏供養事」 学会版P187 曽存)
「おさなき人の御ために御まほりさづけまいらせ候」(「妙心尼御前御返事」 学会版P1477 写本大石寺蔵)
このように、一機一縁であっても遺文に残っているものもありますが・・・・。
最も、「日眼女造立釈迦仏供養事」、「妙心尼御前御返事」の記述は守本尊ですが。
れんさんは、「戒壇之本尊」も一機一縁の本尊と同等であるから御遺文に明記されていないとの認識でしょうか。

「日興跡条々事示書」とは、「日興跡條條事」に注釈を加えた書でしょうか(拝見したことがないので)。
れんさんは「日興跡條條事」を日興師の真蹟だとお考えでしょうか。

質問ばかりで済みません。暇な時で結構ですから、お考えをお示し下さい。

156ガンコ:2003/06/26(木) 11:28
いつの間にか引越しが行なわれたようですが、誤解があるといけないので申し上げます。

わたくしの書き込みから移動になっていて、ややもすると文面からしてガンコはとうとう偽作説に転向したかと思われそうですが、違いますので日蓮正宗関係者は誤解なさらないようにお願い申し上げます。
ただし、わたくしはもともと偽作説に大きな関心がありまして、もはや今の時代、その問題に蓋をしてしまうわけにはまいらないだろう、この先ずっと信仰していくのであれば必ず直面する問題であろうから、避けては通れないであろうから、れんさんのような戒壇本尊信奉者にどんどんお出まし願いたいと思って、わたくしなりの疑問を申し上げたのでした。
それにしても、れんさんは創価学会の方だそうですが、学会って結構ステキじゃないですか。それとも、れんさんは特別なんでしょうか。

157八苦の因:探求者:2003/06/26(木) 19:58
、、ご参加の待避の「ご自由は在ります、」が、146さんの件「七百年間、何ら異論無く伝承されてきた事実が証拠、」には、「何という、無責任!!、?」かと、。「何故に”異論”が存在しえ無かったのか、?」=、、「末代信者の=成仏?堕地獄?をも左右しかねない=最重要課題では、?」と存じて居ましたが、。、「ソンナものええヤンか、? 明日のオマンマのほうが大事だから、、」ともとれるでしょうか、? 本当の成仏、?を渇望する「庶民無視のお言葉」のようにも、感じましたが、? 言い過ぎなら訂正も視野です、。

158論議歓迎委員会:2003/06/26(木) 22:46
皆様:れん さまがご提言された数々のご提言は「サスガ」かと。ただ「日蓮本仏論の援護者には、なるようです、」。 今でも「かような御方も多々御在り、、」です。できれば”ニワトリ”を突き殺す、のはヤメテ、「当欄への新参者として、暖かく御迎えする”度量=ハラかまえ”はご必要、?」でしょうか、、?

159疑問自覚支隊会:2003/06/28(土) 23:15
略  れん さんのお言葉はご参考にはなります。しかし、たしか三位日順は最後は連祖に敵対した方??、日有の最後は、何故かライの業病だった方でしょうか、? れんさんは「この過去スレッド(石山系教学を完膚無きまで破折された、)を単に”言い古された、”」という件は、「過去文への反感と不信服、反論所有者、」のお一人でしょうか、、??

160愚鈍凡夫:2003/06/28(土) 23:44
>>158:

>できれば"ニワトリ”を突き殺す、のはヤメテ
コケコッコーってかぁ(ケンタッキーの爺さんに是非、言ってほしかった)。
同じギャグ2回も使うなって!!(独り言です。済みません) (;^_^A アセアセ…

>>156: ガンコさんへ。
この際、顕正会から創価学会に鞍替えしますか(寄らば大樹の陰ともいいますから)。
大きなお世話じゃボケって?!

161ガンコ:2003/06/29(日) 11:11

あなたも独り漫才の好きな人ですねえ・・・

浅井の本を以下、書き写します。
「・・・彼は平成五年五月三日の記念勤行会なる集会で、クリスチャンの安斉伸(上智大学名誉教授)との対談を紹介し、安斉伸が「池田名誉会長が板曼荼羅に偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動しました」と賛嘆したことを伝えている。(聖教新聞・平成5・5・5)
御本仏の出世の御本懐たる戒壇の大御本尊に「偏狭にこだわらぬ」とは何事か。大御本尊に背き奉ること、これより甚だしきはない。
・・・さらに池田は、学会版経本の観念文と、改正した学会会則の文言から、「本門戒壇の大御本尊」の御名を故意に削除している。これは、学会員に戒壇の大御本尊を捨てしむる魂胆からである。」

というような指導をわたくし達はつねに受けているわけで、学会員はみんな右にならえでもって池田先生がおっしゃっているのだから間違いない・・・なんて思っているのだろうと。実際わたくしに、戒壇の大御本尊はニセモノである、と言い放った学会員もいたものですから。
ただ、河辺メモあたりから、学会の主張も微妙に変化したようにも感じます。つまり、日顕上人を悪者にする好い材料があのメモだったのでしょうから、それに整合性をつけるため、一転して再び戒壇本尊信奉者のポーズをとっているような・・・。よくわかりませんけどね。状況によってころころ変わるから。

わたくしがステキと言ったのは、戒壇本尊信奉者受難の掲示板に短期間とはいえ、ああやって論陣を張ってらしたことを言うのです。本当なら、日蓮正宗関係者こぞって反論ののろしを上げなければおかしいわけです。

「じゃあ、お前は何をやってるんだよ」
「え? わたくしですか? いや、あの、その・・・」(動揺)

162ガンコ:2003/06/29(日) 11:24

疑問自覚支隊会って、なんだかどんどん変な名前になってますけど・・・

>たしか三位日順は最後は連祖に敵対した方??

三位日順は日興上人の御弟子ではなかったかしら??

163ジャンノレン:2003/06/29(日) 12:00
ガンコさん、はじめまして。ジャンノレンです。
私は順師が好きでして、すこし誤解を解いておきたいと思います。

三位日順師はもともと、日頂上人の孫弟子で頂師の弟子日澄師が本・迹門のことについて
富士を訪ね興尊に指南を受けた後、千葉の中山の真跡を閲覧の後に富士に帰伏した人の弟
子です。天台に学び天才といわれて富士に帰山の後は重須初代学頭日澄師没後、二代とし
て興尊より任命を受け、有名な五人所破抄や本因妙抄口決、用心抄、本文心底抄、摧邪立
正抄等があります。重須学頭になった頃には片眼が失明されており、その後全盲となられ
た。しかし口述をもって著作に励まれ文和三年七月十五日大沢の草庵にて入寂、六十一。

しかし、大聖人門下には三位とか新田卿とか侍従公とか公家高官の名前が多いですな。
このあたりはジャージさんが詳しいのではないでしょうか。

164ガンコ:2003/06/29(日) 12:33

あっ、どうもです。ご丁寧に解説いただきましてありがとうございます。わたくしは見てのとおりのシロウトですので、今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます。

ところで、別の掲示板にジョンノレンという方がいらしてたのですが、あなたは親戚の方ですか?

165ジャンノレン:2003/06/29(日) 13:13
ガンコさま、ご挨拶有り難うございます。ジョンノレンさんは別の掲示板でご活躍でしたので
紛らわしくないようにこの様な名前にしております。生来ビートルズに親しんでおりましたので
敬愛の意味も含めてミーハーな名前ですいません。今後ともよろしくお願い致します。

166愚鈍凡夫:2003/06/29(日) 14:33
>>159:疑問自覚支隊会さんへ
>たしか三位日順は最後は連祖に敵対した方??
三位房と勘違いされているのではないですか。

日順師の師である日澄師は六老僧の一人日頂師の弟で、当初は日向師に師事していたが、後に日興師に師事するようになったのではなかったでしょうか。この時、日順師は日澄師と共に日興師の弟子になったのではなかったですか。
日澄師が重須談所の初代学頭、日順師が二代学頭ですね。
日順師は、教学力もさることながら絵心もあり、全盲となった晩年に於いても日興門下の育成に尽くされた方と伺っております。

167ジャンノレン:2003/06/29(日) 17:46
三位日順師は永仁二年甲州下山生まれ、八歳ににて寂仙房日澄師に依って出家。寂仙房日澄師は
下総国葛飾郡八幡荘若宮の富木常忍入道の子にして最初は仰せの通り民部日向門下にて出家、兄
は日頂上人の故に舎兄について修学をされた。興尊の本尊加筆には「因幡郡富城五郎入道の息伊
予日頂の舎弟寂仙房」とある。頂師の檀那筋には三大秘法抄の賜りを受けた太田殿がおられ、先
に日澄・日順両師が富士に帰伏されたのちに、伝説では頂師が先非を興尊に詫びられたとある。
三大秘法抄は頂・澄・順師の系統から富士にもたらされたと堀上人講述では述べられている。ち
なみに太田殿は宗祖が上行菩薩の再誕と見ておられたと同書で述べられている。また日頂師はそ
の後に一寺建立(寺名不明)され富士帰山後、十四年を経て文保元年三月八日同寺にて寂された
とある。(以上は日興上人略伝)

168ジャージルーカス:2003/06/29(日) 19:10
ジャンノレンさん

> しかし、大聖人門下には三位とか新田卿とか侍従公とか公家高官の
> 名前が多いですな。
> このあたりはジャージさんが詳しいのではないでしょうか。

いえいえ、私如きものに問わずとも、才気溢れるジャンさんこそ御存知でしょうが。
さて、三位だの、新田(卿)だの、侍従公だの確かに官位ですな。
まずもって「新田(卿)阿闍梨」の「卿」とは「公卿」の事ですな。
公卿とは、上級貴族を言い、位階が三位以上の人、または参議以上の要職
(=大臣・大中納言・参議)に就いている人(人々)を言います。
 つまり、位階が四位でも参議職に就いているなら、その人は公卿です。

こんな高級官位をたとえ阿闍梨号であろうとも、勝手に授けることは
出来ませんよね。
そんなことの出来る、大聖人様の御家柄は何だったのでしょうかね(笑)。

 それはさておき、最初天奏の任を「新田卿阿日目上人」が行ったのは、自然
なことだったと言えましょう。仮に目師の本当の出生が「公卿」だったとすれ
ば、直接天子拝謁が出来たのです。つまり公卿とは殿上人ですから謁見が可能
だったのです。

169ジャージルーカス:2003/06/29(日) 19:31
次に
宰相殿等もいますよね。
宰相とは何でしょうか。
「宰相、諌議大夫、相公、八座、吏部尚書」は全て「参議」の唐名です。
参議とは「太政官」の職名で、「太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、大納言、
中納言」に次ぐ高位の職名です。

侍従公の侍従ですが、官位としては高くはありませんが八省のうち
「中務省」の職名です。
ここに四条殿の別名「中務」との関係も浮かんで参りますが・・・。

170疑問自覚支隊会:2003/06/29(日) 20:46
各位様。私めの錯覚により「三位違い」をご指摘ドーモです。 当時のかたの「官職」のようですが、「皇族に近い方から今の”高級官僚に近い”方」の御信者の広い御支持を受けられて居たのがオボロゲながら判明しつつあります、。 ワシは一応「過去欄は読了」しまして「過去からの石山系のズサンさやエエカゲンさやオタメゴカシ(偽造・偽作の作為、)」などがドシロートのワシにも良く分かり「、勝負あり!一本!!」と確信せざるをえませんでした。しかし昨今「、当HPの検索拡大の波及から、れん さんのような”逆襲”を試行」する方々も在るかも、? 当欄の猛者連様方には「キバッテ・チョーよ!(爆笑)」と声援送りタシ。

171ロン:2003/06/30(月) 18:47
初めまして、早速ですが「石山系の、、、偽造、偽作の、、」とはどういうことでしょうか? 戒壇様さえ「ニセモノ?」ということでしょうか? 素人様の独断でしょうか?

172疑問自覚支隊会:2003/06/30(月) 19:26
、、小生、中学は不登校、四流高校は「赤点ばかり」の「落ちこぼれ」でした。「アホの馬鹿者」です。 詳細に関しましては「当HP」様の「御知恵、、」をお借りしたいと存じます、。

173問答迷人:2003/06/30(月) 20:06

>「石山系の、、、偽造、偽作、、」

この掲示板の過去ログでは、「偽造、偽作の可能性が否定出来ない。偽作と断定できる明白な根拠はないが、限りなく疑わしい。」という事が指摘されています。

174ラン:2003/06/30(月) 20:26
「疑わしい」は、50 VS 50 でしょうか? 80 VS 20  でしょうか?

175テン:2003/06/30(月) 20:44
、、美濃周人様,, 安永弁哲様方の「全著作品、、」など、「十数回読了、」しました、。 「???」が「深まる、バカリ、」でした。「本命はイズコニ、、??」でしょうか?

176問答迷人:2003/06/30(月) 21:17

僕の感触は、95 VS 05 位かな

177心 55:2003/07/02(水) 21:29
 真偽は「各大学の物理研にて”残留放射線濃度の測定”で30日〜75日以内の正確度」での測定、分析が可能の様です。 是非「試験片を数カ所にて御測定」して「天下に疑惑を晴らして」くださいませ。

178心 55:2003/07/02(水) 21:44
尚、私、S会時代、数回「旧奉安殿の特秘=戒壇様?」を直接に拝見した者です。 墨やウルシの経年劣化は在りましたが、日蓮自筆とは、今思えば”違い”ましたし、「表面も”チョウナ”以上のツルツルの”カンナでの削り”の様でした」。 ご承知のように(美濃周人氏指摘済み)「”カンナ”は日蓮御坊没後150〜200年御の道具」のようです、。 今後の歴史的な御検証や御考察などは「後生の民の為」にも、真摯な御議論は御必要の様ですか、?


179希望88:2003/07/02(水) 22:20
レス介入失礼、。 じつは、私もジカに、旧奉安殿で最前列での、足の踏み場も腰の降ろし場も未考慮での「座って!」の号令=「叫声、歓声、、」を、うち消す「題目の呼び込み的な、号令=題目、!」などの体験者です。
 やはり「表面はツルツルのカンナ状の削り」の様でした。また「自筆のご本尊様よりも”字数が少ないナー?”」と、今、思えば、ソー感じました。これは相当数の方の実体験者が居りましょう。我田引水のヤラセか??

180レントゲン:2003/07/03(木) 01:55
半丸太だそうですので、X線透視による年輪測定で判断できると思いますよ。
なんら損傷を伴わず出来るので、是非すべきだと思います。

181考古学 研者:2003/07/04(金) 22:31
、、、。 考古学的には「1万〜45万年前の現物標本片がタッタ0.1グラムさえあれば、その存在時代がその表面にに付着している残留放射線アイトソープの濃度の分析・測定によりまして、その誤差は15日以内の精度で判明」可能のようです。 特に、国立名古屋大の「物理学部放射線研究室」が有名のようです。

182愚鈍凡夫:2003/07/04(金) 22:48

どちらにせよ、「戒壇之本尊」の科学的検証は、石山がそれこそ命がけで阻止しますよ。
もしもの時は、石山の存在意義すら失うわけですから。

183地球岬 110:2003/07/05(土) 17:59
No.110サンを読み、私、北海道室蘭市=深妙寺にて昭和36年極寒の冬に、厳しくも暖かい「御受戒の当時」を、思い出します。今、久保川 法章師ならば「昨今の現状を、どう分析され、その良き展望の可否は、どう御判断されるのか、」など是非お伺いしたいものです、。 当時確か「成仏の最重要性こそ、日蓮の魂??」申しておられましたが? 是非当欄への御登場をご期待申しあげます、。

184地球岬 110:2003/07/06(日) 21:18
続:: 風聞では、久保川 様は 大阪の古刹の蓮華寺住職〜正信会〜破門〜正信会脱退〜吹田市に独居建設〜独立派立ち上げ〜???のようですが、今こそ本音を御発言の時かと、存じまするが、、???
 常々「謗法厳戒〜法華折伏破言門理」しつつ「真筆本尊への南無こそ」、「末法今時の成仏の直道、」と叱咤激励されておられた御方の御意見は???イカニ??

185函館:2003/07/15(火) 19:51
「戒壇之本尊」
本物だと科学的に立証出来たなら、日蓮正宗に帰伏するのかね。
ニセモノじゃなきゃこまるんだよね。こういった話には。

186愚鈍凡夫:2003/07/16(水) 03:30

みなさん、おはようございます(早すぎるちゅうねん!!)。

>>185 函館さんへ
もし、科学的検証で「戒壇之本尊真偽問題」に決着がつくなら、みんな大歓迎じゃないでしょうか。
相承書や相伝書の洗い直しをしなければなりませんので、科学的検証で決着がつく問題ではありませんが、とりあえず真偽問題が大きく前進することは間違いないですよ。

187苦悩乱者:2003/08/10(日) 17:14
戒壇の御本尊の真偽問題は元々,大石寺が即物的に解釈しているような発言をしている
事が,反対派の標的になっているものと思われます。云く「戒壇の御本尊様と御法主」に背いて
唱える「題目」では成仏できない」に象徴されるように。古来,富士派(現在の大石寺の流れ)は
法論で不利と見るや「だんまり」を決め込んだり,「戒壇の御本尊」所蔵の事実と
「血脈」という義を伴わない言葉のみを拠り所としてきたと見えます。
私の知る限り,私の目で見た資料(読み捨ててきた為にここに即座に示せませんが)
からは,誠実な「法論」は有りません。
元々,御本尊とは私たち末法愚悪の衆生,我等の己心中にも「仏性」ありとして
(「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」参照)
その己心中の仏性、一念三千,妙法蓮華経を末法に入って,初めて御図現して下された
もので、真実の御本尊は私たちの己心に有るのです。一閻浮提総予と云われるのもその意味
です。戒壇の御本尊に背くとは「この真実」に背く事。決して誰かの{占有」に非ず。

188苦悩乱者:2003/08/10(日) 18:03
187 からつづき
本物か偽物かを明らかにする事には,あまり意味がありません。本物だったら宗門が正しく
偽物だったら,宗門は間違いというのは,法門或いはみ教えとしての上ではなくて,不謹慎な
表現をすれば,歴史的遺産として即物的に本物か偽物かが判定されるだけです。
大切なことは,正しい法門の上に正しく御本尊があるべきということでしょう
「但し,妙法蓮華経と唱え持つと云うとも若し己心の外に法有りと思わば妙法に非ず・・」
そもそも妙とは何と云う心ぞや,只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは
心も及ばず語も及ばずという事なり、古来戒壇の御本尊は遥拝形式だったのです。
ですから,何処に居ても,何処から御本尊を拝しても戒壇の御本尊に背く事にはなりません
但し,清浄な宗門に有る時は別です。私(達)は追い出されたのですから

189ガンコ:2003/08/10(日) 19:16

苦悩乱者さん、はじめまして、ガンコと申します。いちおう顕正会員です。

>本物か偽物かを明らかにする事には,あまり意味がありません

・・・しかし、ニセモノだったら何百万人もの人間をだましてきたことになります。わたくしはけっこうだいじな問題だと思いますが。

>古来戒壇の御本尊は遥拝形式だったのです

これは・・・いったいどういうところから出てきたのでしょうか? ヘンなはなし遥拝といえば顕正会、顕正会といえば遥拝といってもいいように思うのですが、いかがなものでしょうか?

190インド最下層人:2003/08/10(日) 19:27
なかなか困難?? 「その時代に生きるベストは??」 「時代の各人はそれなりに展開されました様です、」。 「いかなる生き方がワーストで??いかなる生き方がベスト、、??」なのでしょうか、、ネ、、??  自分もわかりません、、。 よろしく、、。

191荒木伸吾:2003/08/10(日) 22:06
 ガンコさん、横レス失礼いたします。
 石山累代檀家の「荒木伸吾」と申します。

>>本物か偽物かを明らかにする事には,あまり意味がありません
>・・・しかし、ニセモノだったら何百万人もの人間をだましてきたことになります。わ>たくしはけっこうだいじな問題だと思いますが。

だましていたことにはなりませんよね。伝に曰わく「御戒壇様は大聖人様が、お認めになられた」と言うのが当宗です。その伝に従うのが相伝仏法ですよね。
昔、有る方の書き込みに「御戒壇様が、物質的に二代目だろうと三代目だろうと、御戒壇様に流れる法を拝する」と云ってましたが、まさにその通りなのです。
創価学会や妙信講のように、物質信仰をしていた方はショックを受けるでしょうが、代々の檀家は、最初から物質信仰してませんから、全く気にならないです。
 物質は、成住壊空するのですから、それが永遠な訳は無いのです。
 我が家には、石山歴代の板本尊と宗祖、開山の両御影がありますが、それも一応「日○上人作」となってますが「100%それを証明せよ」と云われたら返事のしようがありません。我が家に数百年相伝護持されてきたから、本物として拝しているのです。それが
相伝と言うものです。
 石山歴代も宗祖以来750年の嫡々代々とされてます。皇室も神武天皇以来万世一系とされてます。それを科学的に証明するのは意味がありません。科学的に解明しても、それでも「伝に曰わく」を否定する根拠にはならんのです。「伝に曰わく」と「科学に曰わく」は乗っている土俵が違うのです。

>古来戒壇の御本尊は遥拝形式だったのです
>これは・・・いったいどういうところから出てきたのでしょうか?
>ヘンなはなし遥拝といえば顕正会、顕正会といえば遥拝といってもいいように思うので>すが、いかがなものでしょうか?

 違いますよ。現在でも猊下は、毎日の丑寅勤行では、御戒壇様を遙拝所から遙拝しますよ。
 御内拝はあくまでも御内拝であり、苦悩乱者さんは、昔は御内拝が無かったから、遙拝しか無かった事を言われているんでしょう。

 PS。
 余談ですが、我々は御内拝している「御戒壇様」を、一応「御戒壇様」として拝してますが、それは御前様が御戒壇様と御指南なされているからであり、それのみが根拠です。もしかしたら、御内拝しているのは、信徒が拝する為に作られた御身代わりの御戒壇様であり、その本体は今でも秘蔵堅固しているかも知れません。物質としての御戒壇様は、御内拝を許してますが、法としての御戒壇様は今でも秘蔵堅固なのです。

192苦悩乱者:2003/08/10(日) 22:33
189 ガンコ様
はじめまして いきなりの参加で失礼致します。本名は大熊善晴と申します。埼玉在住です。今後とも
よろしくお願いいたします。食事やら散歩やらで遅くなりました。おわびいたします。
その通りだと思います。いつの頃からでしょうか?やはり日有上人でしょうか?私も偽物説に同調します。
しかし,本物でしたら本山に帰伏しますか?大切なのは法門だと思います。私は貫頭の「信心」に依って
御本尊は本物にもなり偽物にもなると考えているからです。ですから,即物的にみた御本尊の真偽は
あ・ま・り・意味が無いと申したわけで,しかし「即物的に本物だから」と信じている人にとっては
大事な問題です。形有るものはいずれ壊れるものですから「本物」にこだわると未来の人々が困るわけです
今も困っていますけれど!!
それから,遥拝の事は正信会の御僧侶に聞きました。委しい資料は持っておりません
申し訳ありません。川澄 薫師の仏道雑記(一)カ行 御宝蔵と題して関連する事柄
が述べられています。ただ,遥拝の文字はありません。誰か「遥拝」について委しくご存知の方
応援をお願いできれば幸いです。私も探してみます。
それから,ガンコ様は顕正会の方との事,元,国立戒壇論で犠牲になられた講中とお聞きします
破門されれば「遥拝」にならざるを得ませんね。法華経にも,聖書にも,法滅侭経にも
正しい者(私自身に於いては全てにとは申しませんが)は追われると書かれて居ります
ただ,いつの日か全ての人々が手を取り合って微笑む時が来る事を願って歩いてゆきたいと
思っております。ニセモノかもしれない「戒壇の御本尊」の前まで。・・・
今日はこれで,失礼致します。


私は無宗派一本寺と名乗る手塚寛道師の所に居ります。

193ガンコ:2003/08/11(月) 02:10
荒木伸吾さん、どうもです。

有る方というのは菊水護国さんであろうかと思うのですが、まあ、ご存知かと思いますが他にも同じような意見の方がいらっしゃいまして、また、顕正会では偽作説など絶対に口に出来ないのですが、そういう環境の中でわたくしはかえって興味津々なのです。

土俵が違うとおっしゃいますことは理解できないわけではないのです。しかし、まあ、なんと申しましょうか、伝に曰くであっても、それが正伝か誤伝かということがあるわけで、その辺があいまいだから分裂を繰り返しているとも考えられるような気もするんです。

ただし、わたくしはけっして否定派ではありません。何度も書いていますがもはや目をつぶって済ませられる問題ではないから、恐れ多いけれどもじぶんなりに考えていかなければいけないと思っているわけです。

遥拝所のことはいちおう存じ上げております。なんとなく、苦悩乱者さんのおっしゃりようが顕正会的に思えたものですから、その意味で質問しました。

194ガンコ:2003/08/11(月) 02:31
苦悩乱者さん

>食事やら散歩やらで遅くなりました。おわびいたします

あの、そういうことは気になさらなくてけっこうかと思います。とくにわたくしなんかはすっとぼけてお返事さし上げないことがよくありますから、ぜんぜん大丈夫ですよ。

>しかし,本物でしたら本山に帰伏しますか?大切なのは法門だと思います。私は貫頭の「信心」に依って御本尊は本物にもなり偽物にもなると考えているからです

帰伏するかどうかといえば帰伏しますが、ご存知のように顕正会は戒壇本尊絶対尊崇主義です。ゆえあって、今は外にいるだけで、いずれは復帰できるものと考えます。

貫首によって本物にもなり偽物にもなるというのは難しい概念ですね。顕正会ではそうはいいません。あくまで御本尊絶対を主張しています。ただ、この経の心に背いては功徳がない、との御指南から、御本尊は絶対であるが信心が間違っていると功徳は出てこないといった指導がなされています。ですから表現が違うだけで同じことなのかもしれませんね。

195苦悩乱者:2003/08/11(月) 10:28
ガンコ様

>あくまで御本尊絶対を主張しています。・・・・絶対であるが信心が間違っていると功得は出て来ないと言った指導が為されています。ですから表現が違うだけで同じ事なのかもしれませんね。

微妙なところですが,ほぼそのようですね。
キーポイントはニつ有ると思います
1、時の貫頭と謂えども信心を間違う事がある。(総じて全ての指導者も間違う事がある)
2、「御本尊は絶対」であるけれど,その御本尊の真実の当体は「何処」におわすか?
1、は遺誡置文ですね。
2、は相伝書に「○○○○」,「××××」と言う二つの柱が有ります。
現在では,相伝書に詳しい方であれば,誰でもご存知だと思います。
ただ,半年ほど前に,ある正宗の御僧侶にお聞きしたところその名前すら知りませんでした。
御僧侶:「なんだそれ?どんな字を書くの?」
私  :「(しらばっくれて),字は知りません,言葉で聞いたものですから」
御僧侶:「あなたは,何処に所属しているの?」
私  :「手塚寛道先生のところです」
御僧侶:「ああ,あの人ね,学者だからね,いろいろと作っているからね,
     又,作ったんだろう。そういうことを全部忘れて此処に来なさい」・・趣意
又、二ヶ月程前のこと,別の正宗寺院の法華講の方との会話

私  :「二つの相伝のこと,「○」,「×」知っていますか?」
彼  :「いや,知らない,どういう字を書くの」
私  :「いえ,教えられません」
彼  :「ま,いいや,大体解るから」・・趣意
後になってその方には,「字」までは伝えました。
内容は,「甚深の血脈なり,その器に非ざれば伝えず」という程の内容です。
寛道師の御説法によると,日有上人以後には,それが消えてしまっている。どこを
探しても出て来ないとのお話でした。それ以後は,日寛上人まで待たなければなりません。

196苦悩乱者:2003/08/11(月) 12:58
訂正 192

× 川澄 薫師
○ 川澄 勲師  でした

197苦悩乱者:2003/08/11(月) 17:13
荒木伸吾様
貴重な情報を有難うございました。

昔は御内拝は無かったのですね。

198ガンコ:2003/08/11(月) 18:38
苦悩乱者さん

>「御本尊は絶対」であるけれど,その御本尊の真実の当体は「何処」におわすか?
>相伝書に「○○○○」,「××××」と言う二つの柱が有ります
>内容は,「甚深の血脈なり,その器に非ざれば伝えず」という程の内容です。寛道師の御説法によると,日有上人以後には,それが消えてしまっている。どこを探しても出て来ないとのお話でした。それ以後は,日寛上人まで待たなければなりません。

さっそく甚深の御法門を開陳いただきまして、まことにありがとうございます。
御本尊の真実の当体・・・といえば本門戒壇の大御本尊以外の何ものでもない、というのがいわゆる“物質信仰”の料簡であって、おそらくあなたにしても荒木さんにしてもそれとは違った見解なのでしょう。わたくしのような法門未熟のものにはよくわかりません。ゆえに、相伝書にあらわれている二つの柱とは何を指すものか見当が付きません。また、日有上人以後、日寛上人までのあいだ、「消えてしまっている」というのはすごい話で、わくわくします。ここの掲示板にはけっこうシビアというか冷めたというか、まあ、それが現代感覚なのでしょうけど、消えたり現れたりするようなことを認めない人がいますが、わたくしはいちおう認めるものです。

この数ヶ月、わたくし個人としてはいわゆる曼荼羅正意にこだわって考えてまいりました。と申しますのは、われわれ正宗系にとっては常識であっても、他門の人には通用しないということをまざまざと思い知らされたわけです。そういう掲示板なんですよ、ここは。ですから、御相伝書にしてもその信憑性からして疑っている人が多くいますので、そうした質問が出るかもしれません。

とりあえず、わたくしにとってはたいへん興味深いお話なので、もう少し詳述いただきたく存じます。

199苦悩乱者:2003/08/11(月) 21:02
ガンコ様

今よく言われる血脈相承云々ということですね,血脈が切れているか,切れていないかなどと言うお話ね,金口嫡々だとか,そういうふうなお話というのは,何処を根拠にして説かれるかというと,この「富士門流見聞家中抄」上中下三巻これが
材料になっているのです。
ここまでで,ご容赦下さい。
疑わしいと思う方は,批判するにせよ無視するにせよご自由です。
寛道師は「来る者は拒まず,去るものは追わず」の姿勢を貫いておられるようです。
又,真実に法を求める者でなければ,法は説かないとも申されたことも有ります。
私がこのネット上でこれ以上のことを言い述べることは,古来「相承」に関わる事柄
ですので,憚りがございます。お察し下さいますよう御願いいたします。
ガンコ様には,永遠の迷路にはまり込まないようお祈り申し上げます。

200ガンコ:2003/08/12(火) 03:01

苦悩乱者さん

やっぱり下種仏法というのは公にできない部分があるものなんですね。信心のレベルが最高度に達していなければ開示せられない、そういうことはあるかもしれません。

永遠の迷路・・・すでにはまり込んでいるかもしれない気がしております。わたくし、ときたま(いつも?)とんでもないことを書いてしまう悪い癖がありまして、しばしば顰蹙を買っております。すでに迷路に入っている証拠かもしれません。なにか脱出のヒントがありましたら、ご教示願いとうございます。


話がずれますが、あるサイトに手塚先生の「法華本門思想通要」がほんの一部分ですが載っておりまして拝見しました。
昭和42年の段階で、本門戒壇の国家的建立を仰せになっておられ、なるほど時流にへつらわぬ人なんだなあ、と思いました。

201苦悩乱者:2003/08/12(火) 14:54

ガンコ様

手塚先生について,少々お話させていただきます。
本門戒壇につきましては,その後「心に本門の戒壇を」ということを根本義としておられます。国家体制というものは永い目で見るとき,実に不安定なものであることはご承知のことと思います。その時々の国家体制により「全世界立」になったり「王立」になったり「将軍立」,「天皇立」,「大統領立」「そおか!おうこくりつ」になったりするのですね。みな同じことです。それを500年前の「あそこ」にこう書かれていた,いや750年前はああだったと言って争っても,根本は変わらないわけです。

>なにか脱出のヒント・・・

仏法僧の三宝に帰依するのが,仏家の基本だと思います。「三帰五戒」ですね。・・・ただ,それが大非常に大大変大大難しいのですね。法華経に「其智慧門 難解難入」とはこういう事も含まれているのかも知れませんね。でもご安心下さい。「法華経をあだむ人に二人有り,一人は先生(前世)に善根ありて今生に縁を求めて菩提心を発して仏になるべき者は或いは口閉じ或いは頭破る,一人は先生に謗人なり今生にも謗じ生生に無間地獄の業を成就せる者あり,是はのれども口則ち閉塞せず」・・法蓮抄・・現在の状況は明らかに「破和合僧」つまり「法華を讃すといえどもかえって謗ず」の大大謗法の状態であることは疑いのないことです。
この様な時に,現状を憂う余りに精神的にも肉体的にも疲弊してしまった人に,やれ「罰」だ「私」に背くからだといっては,和解への努力もせず,布教もせずに贅沢三昧をして遊んでいる人,(それも普通の遊びでは無い)と比べてどちらが「道心堅固」か一目瞭然でしょう。日寛上人のお言葉に「疑いは必ずしも良くは無いが,疑いは解脱への門」・・趣意・・というお言葉があります。まして大聖人様への疑いでは無く,現状への疑いならば尚更の事と思います。・・・解決策としましては,とにかく真面目で誠実な御僧侶を探されて師とされるのが良いでしょう。

>信心のレベルが最高度・・・・

唯受一人のレベルのことですね。 ダイバタッタでは困るのです。

202ガンコ:2003/08/12(火) 16:13

苦悩乱者さん

わたくしは長いこと国立戒壇宗(=顕正会)に身を置いてきたものですから、「心に本門の戒壇を」ということがぴんとこないんです。いま、二箇相承の議論がはじまりましたけど、三大秘法抄も含めまして、これらが真書であるならば戒壇建立はまさに大聖人の御遺命です。
また、国家体制云々ですが、わたくしはあくまで天皇立であろうと考えています。これについてはいずれ詳述したいと思っていますが、さすがに大変なテーマですのでなかなか考えがまとまりません。結論だけ申せば、天皇陛下たった一人であっても明確に帰依入信の意志を表明できれば戒壇は建つ、と思います。

>とにかく真面目で誠実な御僧侶を探されて師とされるのが良いでしょう。

浅井じゃダメですか? 我が師匠は「身はこれ在家なりとも心は出家である」等とよく言っておりました。もっとも、顕正会も組織が大きくなって一部の幹部以外はじかに浅井から指導を受けることはありえないので、師匠とはいえないかもしれないですが・・・

203苦悩乱者:2003/08/12(火) 17:18

ガンコ様

>浅井会長じゃダメですか?

客観的に見て正当な批判や法門に対する質問に,誠実に対応できる人物でなければならないと思います。「・・心は出家」と言えば,道心ある者全てということでしょう。

>天皇陛下たった一人であっても・・・・・

それでも良いと思います。さすが国柱会の思想を受け継いでおりますね。但し,そのときは,本物の「大聖人様」が居られないと,もう,ものすごいことになりそうですね。「大聖人様」は絶対であらせられます。「御本尊様」は絶対であります。ですから絶対に間違わないのです。その「絶対」であらせられる処の「人法一箇ましまされる御本尊様」に背くということは,師敵対,大謗法なのでございます。堕地獄の大悪因となるのでございます。信心堅固な皆様は決してそのようなことにはなりませぬよう,気をつけてゆかなければなりません。天皇陛下様の為,御法主上人様の為,一生懸命にお題目を上げましょう。・・・あのー,一つ御質問が・・・,何だ?この日興上人様の,この遺誡置文に,時の貫頭たりと謂えども仏法に違背して・・・・,ああ,それね,そこに書いてあるだろ!,貫頭って,今は御法主なの!,貫頭じゃないの!,「法の主」,解る?「法のあるじ」!間違うわけ無いでしょ!「法の所有者」が!。深々の法門は唯受一人の御内証の世界です。凡人には解らないの,・・・でも大聖人様は御書に凡夫僧と・・・,大聖人様が凡夫であらせられる訳が無いでしょ!御謙遜されての御文なのです。・・・

こんな光景を想像してしまうのですが。いかがですか?
今でも「大聖人様」がお二人ほどおいでのようですが,それだけでもけっこう大変なことになって居るみたいですし。

204苦悩乱者:2003/08/12(火) 18:02

管理者さん

ガンコさんとのやりとりになってしまいました。すみません。

御本尊のことは「絶対にニセモノを作れないもの」それが「御本尊の本体です」

205ガンコ:2003/08/12(火) 19:40

>>天皇陛下たった一人であっても・・・・・

>さすが国柱会の思想を受け継いでおりますね

いやいや、ちがいますって。誤解のないように申し添えますが、あくまでわたくしの個人的見解です。顕正会ではそんなこと言ってません。(ただ、浅井は内心、思ってるかも)

206Jルーカス:2003/08/12(火) 22:36
>>>天皇陛下たった一人であっても・・・・・
>>さすが国柱会の思想を受け継いでおりますね
>いやいや、ちがいますって。誤解のないように申し添えますが、あくまでわたくしの個人的見解です。顕正会ではそんなこと言ってません。(ただ、浅井は内心、思ってるかも)

横レス失礼。
浅井さんがどのような考えをしているかはともかく、このガンコさんの考えは私も全く同感なのです。
と言うより、三大秘法抄には「王臣(官位を持つ人間)一同」となっておるわけですから、天子様とその臣下一同の帰依で十分だと考えます。
「すると民衆は」と言う質問が出てきそうですが、そもそも近代以前に民衆は王臣の庇護の下のみに存在する小さな存在だったのですから、王臣が帰依すれば良かったのです。
私は大聖人様の御妙判を見れば見るほど「差別主義」が強いと考えてしまいます。
創価学会の言う「絶対的な平等思想」「仏法民主主義」等は全くナンセンスと感じてしまいます。
当宗は宗務行政の長であるH総監御自身が「民主主義否定論者、君主制賛美論者」ですから、元々創価学会と当宗は水と油だったのでしょう。
私は大聖人高貴出生説を、支持してますから、大聖人ほどの尊王思想家はいないと考えております。
そこに戦前「日蓮主義」が台頭する根があったような気がします(もっとも田中氏や石原氏などの曲解引用には辟易しますが)。

207ガンコ:2003/08/13(水) 00:08

>私は大聖人様の御妙判を見れば見るほど「差別主義」が強いと考えてしまいます。

世間的には「差別主義」といえば悪い意味しかないんでしょうが、Jルーカスさんは別の意を含んでいらっしゃるんでしょうね。説明するのは難しいですが。

208愚鈍凡夫:2003/08/13(水) 01:59
横レス失礼します。
蓮祖の出生に関して、次のような論文を見つけました。

「宗祖のご舎弟・貫名藤平家の伝承考」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho30/s30_105.htm

「然るに日蓮は東海道十五箇国の内第十二に相当る安房の国長狭の郡東条の郷片海の海人が子なり」(「本尊問答抄」 学会版P370 未決書)
「何に況や日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり」(「佐渡御書」 学会版P958 未決書)

とありますが、やはりJルーカスさんもこの両書を偽書とお考えでしょうか?

209Jルーカス:2003/08/13(水) 11:18
愚鈍凡夫さん
私は両書を偽書とは考えておりません。
大聖人がもし自らを「高貴な○○の子」等と表現したら、現在のように下層大衆への広まりが無かったと考えます。
ですから、宗祖の自称は自らを「下層民」の見方として顕すための方便だったと考えます。

210Jルーカス:2003/08/13(水) 11:24
訂正及び付随
「下層民」の見方は「下層民」の味方の誤りでした。

なお、付随しますと記録に依れば宗祖は叡山の「学生」として修行されています。
もし「身分無き海女の子」だったとすれば、叡山では「堂衆」として修行されているはずです。
当時叡山で学生として修行するには、一定の身分が必要だったことは天台では常識です。

師の法然が「学生」だったのに、弟子の親鸞が「堂衆」にしかなれなかったのはそのためです。

211苦悩乱者:2003/08/13(水) 17:16

本門戒壇建立について

始めに,敬語のような表現は苦手なので変な敬語になったり,長い文章になると地が出てくるので私の普段の言葉で書かせてもらいます。   

皆さんの意見を荒々読みました。大変勉強されていますね。私は教学はあまり有りません。御僧侶の説法と新聞,わずかな説法集が主です。ですから資料を駆使して語るのは苦手ですので,もし私の「言」について資料などお持ちの方等居ましたら,提供していただくと助かります。

なるほど,なぜ分裂してゆくのかが解ったような気がします。釈尊仏教が分裂を繰り返した挙句には,一部の支配階級の民衆支配の道具に成り下がり栄華を極める。実はその栄華こそが「法滅のしるし」であることに気がつかずに喜んでいる支配層,恐らく,バラモン教しかり,仏教しかり,ユダヤ教しかり,キリスト教しかり,イスラム教しかり,だったのでしょう。歴史家の方この辺の所応援願います。
どこかのスレットでガンコさんが,小乗の釈尊も大乗の釈尊も同じ釈尊のはずなのにという「実に的を得た」ことを書いていましたね。実はこれは,仏教学者が見ると「頓珍漢」なことなのです。それぞれ違うのです。ここが「みそ」ですね。信仰者からみると「悟り」は一つしかありませんそれ以上の数の「悟り」など,「ええっ」まだあるの?と言うわけですよね。もう勘弁してよ,ここまでだって大変だったんだから,小乗のさとり,大乗のさとり,法華のさとり,・・・大混乱ですよね。本当はどうなのと,学者さんがたは,「考えるのが好き」なのです。さとりとはどのようなものか?ああでもある。うんこうでもある。いやそうじゃない。いやそうでもある。
結局,学者さん方が無責任に自分の頭の中でつくりあげていったのが,いろいろな釈尊なのです。悪いのは,人師,論師です。御書にありますね。真実を知らないで自分で結論して,しかも「さも自信ありげに」それを広めるわけです。本当はわかっていないのにですよ。それは我々見たいな人間が言っている分には他愛のないことですが,少し力のある人がそれをやったらどうなりますか?そういうことが,またまた再現したのです。「種の妙法」の中で

三大秘法抄の解釈はルーカスさんの解釈で正しいと,私は思います。ただ確か「万民一同」と書かれた御書もありますよね。さてどっちだろう?と,私は,社会体制も変わり,順縁広布もしていない内からそういうことで争っても仕方ないでしょうと,思います。「捕らぬ狸の皮算用」。まあこういうところで話し合うのは良いのですが,組織を挙げて,組織を挙げてでも良いですが,冷静ならば,仲間割れしなければ,でも仲間割れしてしまった。後の祭りです。富士の教えはもともとは,逆縁広布にあったと言われています。つまり「下種」の意味です。

212苦悩乱者:2003/08/13(水) 20:18

本門戒壇建立について 補足

>それで民衆はという質問が・・・・・

民衆は後から,たぶん強制的に信仰するようになるでしょうね。君主制ならば。その意味では,絶対的に正しくなければならない訳です。
すると,絶対的に正しい君主はありえるか,「有り得る」,「有り得ない」と今度は,「絶対君主」をめぐって論争が始まります。私個人は絶対君主が有ってほしいな,と言う願望です。
民主制,君主制どちらもユートピアですね。ユートピアの語源て何でしたっけ。ウー・トポス?どなたか解説お願いします。そこで登場するのが「心に本門の戒壇を」です。一人一人の心の中にある仏界を,水をやり,太陽にあて,ご飯を食べさせて大きく,大きくさせて心にユートピアを築く
壮大な作業ですが,その気になれば出来ますと,教えてくれた末法本仏の真実,忘れてしまったのが末法衆生。

213愚鈍凡夫:2003/08/13(水) 22:18
>>209 >>210 Jルーカスさんへ
レス有り難うございました。
了解しました。

214苦悩乱者:2003/08/15(金) 18:41

愚鈍凡夫さん

本尊問答抄が真偽未決とされているのですか?私は資料に関しては無智なので知りませんでした。それでは,ほとんどの人が,(富士門も含めて)御本尊が何なのか,迷うのも無理は無いですね。本来,富士の教えは,「法前仏後」です。これを「鶏が先か?,卵が先か?」という命題で論議すると,永久迷路に入り込むことになるのです。理由はご承知ですね。「鶏と卵」を「種と果実」に置き換えても同じ事です。果実の中に種があるのですから,この問題は,富士門流の人々でもごく一部の人しか理解していない事と見受けられます。「義に依って語に依らざれ」とは,この事です。

215愚鈍凡夫:2003/08/15(金) 19:30
>>214: 苦悩乱者さんへ

>「鶏と卵」を「種と果実」に置き換えても同じ事です。
は、「鶏と卵」を「果実と種」に置き換えても同じ事です。
ではないですか(揚げ足取りではありません。悪しからず)。

これはガンコさんがよく引用される一節ですが、
「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」(「本尊問答抄」 学会版P365)
との文証には悩まされますよね。
「本門の本尊(本門の教主釈尊)」=「法華経の題目」なのか・・・・・?
それじゃ、「本門の本尊」と「本門の題目」とを分ける意味がないんじゃないの・・・・・?
「観心本尊抄」の何処にそんなこと書いてある・・・・・。
てな具合に。
これは、飽くまでも私見ですが、
真蹟のない「本尊問答抄」より、真蹟のある「観心本尊抄」に重きを置くのが筋だと思います。

216苦悩乱者:2003/08/16(土) 15:39

愚鈍凡夫さん

215>「鶏と卵」を「果実と種」に置き換えても同じ事,ではないですか。

ご指摘の通りです。順番を間違えました。しかしながら,言わんとしていることは,理解していただけたと思います。ただ,今の私達にとっては,この順番の間違いだけでも十分に迷路に入り込む危険性を秘めている事を認識しなければならないのだと,改めて感じました。本当に有難うございました。

>「本門の本尊(本門の教主釈尊)」=「法華経の題目」なのか・・・?

これも,「法華経の題目を以って本尊とすべし」,この御文だけを,文上で読むと「意味不明」になると思いますね。文上では種脱相対が現れていないからです。文底を読むと言うことの意味は,最終的には種脱相対して読むということだと,私は理解しています。そこで疑問が湧きますね,種脱相対して読むとはどういう意味なのか?ということです。それは,1、「依法不依人」,2、「依義不依語」,3、「依智不依識」,4、「依了義経不依不了義経」この法四依の中の一番目の一番大切な「御教え」「法」=「妙法」=「妙法蓮華経」=「種の妙法」=「本因妙」=「根本」=を「文」の底に読み取る。と言うことなのだと,私は解釈しているのです。但し,この解釈を超えるものが見つかれば私は,それに従います。種脱相対は無いと言う身延流?の解釈は,御書拝読の時,永遠の迷路にはまり込む最大の原因となるものです。観心本尊抄には,「種脱相対が説かれていない」と言うのは完全な「誤謬」でしょう。たった「一文字,二文字」の中にも全身全霊が込められていることを感じ取ることが出来ない人の言うことであって,その様な人には,諸経典の中に教主釈尊の真実の心をも読み取れないものと思います。もし,それは違う,「教主釈尊の真実の心」を私は読めると言うのであれば,それは,私は「種脱相対」を知っていると言うのと「同義」であると言うことです。本尊問答抄にも,観心本尊抄にも「種の妙法」は説かれています。「法(dhamma)」については,中村 元選集 第11巻 ゴータマ・ブッダⅠを読んでみると良いと思います。

>それじゃ,「本門の本尊」と「本門の題目」とを分ける意味が無いんじゃ・・?

「三即一」つまり,三大秘法は一大秘法=本門戒壇の御本尊に摂(おさ)まる,開けば三,閉じれば一というように聞いています。私が考えますには,「本門戒壇の御本尊」という時,この中に戒壇と御本尊二つが現れています。御本尊の主題は「南無妙法蓮華経 日蓮 花押」ですね。これが三つ目の「本門の題目」だと思うのですが。・・・・この様に理解していても最後の「信」=「真実の信」が無ければ本当の意味を持たないと言うのが,「日蓮大聖人様」の説かれるところの「事」の「み教え」だと思われます。自分の所に「財産」を集め,「権力」を手にして,己の欲望をほしいままにする。それも「仏法」を利用して!!,その様な人は,明らかに「ニセモノ」だと思います。

>真蹟の無い「本尊問答抄」より,真筆のある「観心本尊抄」に重きを・・・

私には「観心本尊抄」より「本尊問答抄」のほうが解りやすいのですが,他門流の人が承知出来ないのであれば,仕方が無いと思います。・・・それにしても,大切な法門書,相承書真筆がみごとに無くなってしまっていますね。これもしかしたら,「テロ」的所業かもしれませんね。あたかも信じているような「フリ」をして,得度する。そして密かに機会をうかがって,御堂に火をはなつ・・・,うがちすぎでしょうか? キリスト教会のこと,少しお話します。宇野正美と言う人の国際時事情報誌「エノク」を1999年頃にとっていたのですが,そこに「マラノ」のことが書かれていました。実には「ユダヤ教徒」でありながら,「キリスト教徒」のように振舞って,牧師,神父,枢機卿等になってその内部より教会を破壊する「悪魔」です。「師子身中の虫」にそっくりですね。愚鈍凡夫さん,ひとつお聞きしますが,もし,「戒壇御本尊」と「相承書,法門書」と「お肉芽」との三つを前にして火事に出会ったとします。すぐにでも逃げなければ命が無い。しかし,命より大事なものが目の前にある。そこに「梵天」が現れて,炎のことは気にしなくも良い,それは私があなたに見せている幻影であるからあなたは死ぬような無い,しかし,この三つの宝物は焼けるだろう,どれでも良い,あなたが最も大切だと思うもの「一つだけ」を持ち出しなさい。「一つだけ」です。と言われたら,「何」を助けますか?,「戒壇の御本尊」は日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ところの御本尊です。







「三即一」と言われているのを

217愚鈍凡夫:2003/08/16(土) 20:06
>>216:
アレレ、レスが返ってきてる。苦悩乱者さんどうもです。

> これも,「法華経の題目を以って本尊とすべし」,この御文だけを,文上で読むと「意味不明」になると思いますね。

文上で読むと何故、「意味不明」なのでしょうか。「法華経の題目を以って本尊とすべし」と明確に仰せだと思いますが。

> 文上では種脱相対が現れていないからです。

勉強不足で済みません。文上で種脱相対が現れた真蹟遺文を紹介してくれませんか。

> 種脱相対は無いと言う身延流?の解釈は,御書拝読の時,永遠の迷路にはまり込む最大の原因となるものです。

逆もまた真なりですね。

> 本尊問答抄にも,観心本尊抄にも「種の妙法」は説かれています。
教学研鑽の糧にしたいので、ぜひ御教示下さい。

「中村 元選集 第11巻 ゴータマ・ブッダⅠ」
書籍のご紹介有り難うございました。書店で探してみます。苦悩乱者さんは、蓮祖の法と中村元氏の翻訳した法とは同じだとの解釈でしょうか?

> 「本門戒壇の御本尊」という時

とは、大石寺の「戒壇之本尊」のことですか。曼荼羅自体が戒壇の意味を含んでいますが。

> 自分の所に「財産」を集め,「権力」を手にして,己の欲望をほしいままにする。それも「仏法」を利用して!!,その様な人は,明らかに「ニセモノ」だと思います。

その通りだと思います。

> 「テロ」的所業かもしれませんね。あたかも信じているような「フリ」をして,得度する。そして密かに機会をうかがって,御堂に火をはなつ・・・,うがちすぎでしょうか?

あたかも日蓮聖人の法門のような「フリ」をして、聖滅後に「相伝書」「相承書」を創作する。この可能性をどう思われますか。

小生は、学会風に申しますと、信心が足りないせいか、未だ梵天・帝釈を見たことがありません。従って、苦悩乱者さんの問いにはお答えしかねます。しかし、小生ならば、消化に全力を注ぎます。

218苦悩乱者:2003/08/16(土) 21:36

愚鈍凡夫さん

もし,よければメールでお会いしませんか。いろいろと教えていただきたい事が沢山ありそうなので。それと,暇があるのは今月までですので,ここへの書き込みも,そうそう出来なくなるものですから。

>文上で読むと何故。。。。

「法華経の題目」=「種の妙法」である事が解らない可能性もあるからです。

>文上で種脱相対があらわれた真蹟を・・・・

「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」ですね。

>逆もまた真なり・・

逆はいけません!

>・・・是非ご教示・・・

「観心本尊抄」では,学会御書p.249終わりから2行目,「但し彼は脱此れは種なり」ですね。
「本尊問答抄」(これは興師写本のようですが)では,同p.3654行目,下段から,涅槃経の第四・・中略・・諸仏の師とする所は所謂法なり・・以下略・・それから同p.367 5行目,「法に依って人に依らざれ」等云々,法華最第一と申すは法に依るなり,・・以下略・・でしょうか。

>中村元氏の翻訳した法とは同じ・・・

「法」には,二もなく三も無いと思います。

>とは,大石寺の「戒壇之本尊」のことですか・・・・・

同じ,その様に解釈していますが,担,「即物的」にではないのです。大石寺に清流が流れているときと,そうでない時で拝し方が変わるのです。「神(たましい)」がもう居られない。ちょうど,日興上人の身延離山の時のように,日興上人は離山ですが,我は破門です。

>相伝書,相承書を創作する。・・・

可能性は有ります。

>お答えしかねます。

解りました。あくまで仮のお話なのですが,私なら絶対「相伝書」を護ります。

以上です。

昨日は帰省しておりました。9月になりますと暇も余り無くなりますので,書き込みも少なくなると思います。

それでは,

219愚鈍凡夫:2003/08/17(日) 00:32
苦悩乱者さん。レス有り難うございました。
レスの内容を読んで、質問がいろいろとあるのですが、お忙しいようですので深追いはしません。
小生、少しばかりボランティアの真似事みたいなことをしています(弱い立場の人の力に為るためです)。
その辺の事情からメールアドレスを公表できません。
いつか、苦悩乱者さんにメールできる時が来ましたら、メールさせて頂きたいと思います。
説明はできませんが、その辺の事情を察して頂ければ幸いです。
ここの掲示板は、最低1日1回は覗いていますので、何かあればレスして下さい(私信に使うなボケ。問答迷人さんの代弁)。

220苦悩乱者:2003/08/17(日) 16:37

愚鈍凡夫さん

議論というものは,大体が自分の云いたい方向へと自然に行ってしまうものですね。気をつけなければならないのですが,反面,仕方ない面もあると思います。戒壇の御本尊は本来「目に見えないもの」を「仮」に顕して下されたものですから,「仮」のものに執着しても真実は見えてこないものです。石山も「仮」のところにしがみつかなければならなくなってしまった所に,この悲劇があるように思われます。このあたりが,私の結論になります。

>ボランティアの・・・・

素晴らしい事ですね。私も土手の遊歩道のゴミ拾いを,適当にやっております。

それでは,お付き合いいただいて有難うございました。

又の機会まで・・・

「連帯を求めて孤立を恐れず」・・・ 昔知った言葉です。

221常徳庵:2003/08/17(日) 21:32
188以降の苦悩乱者さん・ガンコさん等の“遙拝形式”論の方々へ

>古来戒壇の御本尊は遥拝形式だったのです。

この形式については、否定した方がよいと思います。

いま、出典を1点だけタイトルをしめします。

「総本山大石寺諸堂建立と丑寅勤行について」(達師説法より)2点同じ様な内容ですが、少し手が入っているようですが、資料的には○2の方が、良いと思います。○2の方は、宗門・正信会の、僧侶で親しければ閲覧・コピー等許可されると思います。この出典は、珍しい物ではありません。

○1 「大日蓮」S46年の雑誌に掲載されています。(月・号数不詳です)

○2 雑誌「蓮華」の別冊の形で、S46年6月20日発行

是を持っている方もいるでしょうが、この議論が成される事自体、不思議です。
“新設”を立ち上げると後世にまで残ると、宗学・宗史の研究へ非常に邪魔と成りますし、また、上記を読んで理解出来ないときは、もう少し宗史を勉強なり研究する、必要が有るのではと、考えますし、その他の出典、または半非公開の資料もありますが、宗史に明るい人でないと、却って(研究課題として)混乱する事と成りかねませんので、あえて1点のみを、紹介いたします。

222常徳庵:2003/08/18(月) 00:26
荒木伸吾さん

その前に、221の自身の投稿が、余りにも不信節と思い補足いたします。

>188 古来戒壇の御本尊は遥拝形式だったのです。

(追記)出典の意図について、小生が今研究中で結論の域にまだ至っていませんが、達師が明快に戒壇様について、出典本に記されて居りますので、参考文献として明示致しましたが、その意味が分から無い方への、インホメーションです。
この中に「内拝制度」も含まれる為、小生に躊躇いが発生したもので、「否定」とだけ記載したので、江戸前期には「遙拝形式」「内拝制度」は、存在せず本堂安置にて、誰でもが参拝(戒壇様の事です)出来たと、思われます。
この事の理由と、それ以前の状態が……  そこで皆様の意見ないし所感を、寄せられればと、思い切って・書く(躊躇いが)ことに……  精師の代と学会ではいわれて、また達師も同様な発言を、しておりますが? 形式・制度を触れると、どうしてもその問題を避けて通るのが出来ませんので、敢えて此処まで開示します。
“古来”と記す事は、今は不問とさせる事の方が現状に於ける認識として、良いかとも存じますので…… 但し“古来”として論議すると、古来説の方は多分その自説を、持ち続けると論議に破綻を障じる事と成るでしょう。

221で○文字の中に数字を組み入れましたが、分解して仕舞いました。失礼しました。

>191 違いますよ。現在でも猊下は、毎日の丑寅勤行では、御戒壇様を遙拝所から遙拝し>ますよ。
>内拝はあくまでも御内拝であり、苦悩乱者さんは、昔は御内拝が無かったから、遙拝し>か無かった事を言われているんでしょう。

この説は、江戸中期頃から後期頃の、金沢武家信徒の伝説が今日まで、伝わって誤解を産んでいると思います。理由は上記の中での記述より理解して下さい。

223kane:2003/08/18(月) 01:06
はじめまして。kaneと申します。

>>221
>>古来戒壇の御本尊は遥拝形式だったのです。

>この形式については、否定した方がよいと思います

との件ですが、『連陽房雑雑聞書』には、日有上人からの聞書として、下のように
記されております。

一、仰ニ云ク、今当宗ノ御勤ハ日月自行ノ御時ノ勤也、是レ尤宗旨ノ勤ナル間是レ
ヲ本ト為ス也。朝天エ十如是寿量品、御本尊エ方便品ノ長行寿量品両品也、御影堂
ニテ十如是寿量品計リ也、御堂ノ勤ヲ御坊ニテ遊ス時ハ天ノ法楽ノ先ノ如ク御本尊
ノ勤ノ前ノ如ク御影ノ御勤ハ不レ讀也、当宗ノ宗旨タル勤ハ案シ定メテ加様ニ讀ミ
申ス也云云。

「日月自行ノ御時ノ勤」「是レ尤宗旨ノ勤ナル間是レヲ本ト為ス」とあるからには、
これは朝夕(および当時は正午も?)の勤行の事ではなく、丑寅勤行についての話
であることは明白であります。そして、14世日主上人による大石寺古地図によれば
大坊からみて御影堂-本堂は北東の方角にあったとされている訳ですから、この中の
「御堂ノ勤ヲ御坊ニテ遊ス時」というのは、まさしく丑寅における「戒壇大御本尊
遥拝」の原型であったろうと私は思っておりますが、この義はいかがでしょうか。

224常徳庵:2003/08/18(月) 13:04
Kaneさん  (その1)

回答の前に、222の投稿の訂正をさせて下さい。
  不信節=不親切。
  インホメーション=インフォメーション
失礼しました。

223 kaneさんのご指摘、有り難う御座います。
僕は歴史が専門ですので、教学的回答は期待しないで下さい。

1)まず、有師の聞書の引用については、222をご覧の上ででしょうか、それと221
出典を見た上でのご指摘なのか、確認した上なのか小生が分かりません。
そこを確認されたのか、ご返事の上でお答えしたいと思います。

2)有師の聞き書きの中で、勤行について「?」が有りましたので、答えます。
歴史上、勤行についての、検証は僕としてはまだ研究をしていませんが、勤行の作法の(化義)時代の変遷は、分かりませんが、有師の頃には「三時の勤行」が行われていたようで、初めてしりました、有り難う御座います。
僕の記憶の中で、三時の勤行については、幕末から明治初期に、霑師の書状に一度、三時の勤行について記述されているのが、記憶にあります。(記憶ですので三時か三度かは、はっきり覚えていません)
これは玄中寺の開基檀那への僧侶の派遣に当っての、依頼状の中に記されたものの中に
有ったと、記憶してますが、出典を探すのは大変なので経緯については、これまでで、この三時の勤行とは、当時までの長い年月、行われていたとは驚いております。
本題は、この「三時」の内容ですが、是は石山のことではなく末寺に於ける、僧侶の事で現代では、遠く及ばない事柄で、1日3回の勤行が行われていたとゆうことです。
3回の行う時間ですが、この中に丑寅勤行も含まれて居たようです。
ですから有師の時代には、既に行われていたんですね、この聞き書きは僕も読んではいますが、歴史事項のみで後は流し読みですので、kaneさんへの回答の一つにでも成ればと、記す次第です。

3)主師の古絵図に関しては、質問の内容が分かっての上での質問になっていませんので、僕の方から逆に質問致します。
Q1) 興尊の時代より、江戸中期までの石山の境内の変遷を、主(おも)だった事項ででも良いですから、答えて下さい。(長く成りましたので、分割します)

225常徳庵:2003/08/18(月) 13:05
Kaneさん  (2)

Q2) “遙拝”について、「戒壇様」が有師の時代に、どこに安置されていたのですか?
Q3) 三堂伽藍について答えて下さい(出来れば富士門流全体まで)
Q4) 主師の絵図について、「北東の方角」とありますが、確信ありますか。

取り合えず以上、4問お答え下さい。回答は急ぎませんので、一括して長文の時は、分割して下さい。

>「御堂ノ勤ヲ御坊ニテ遊ス時」

この設問は、kaneさんの回答のあとにします。

教学面での回答を希望されるのでしたら、僕より他の方のほうが、正・傍・反の答えが得がれると、思いますが、僕への回答を求められると、歴史考証の上での事になります。
また、引用文も切り文でなく、前後の文章もある程度入れてください。
いちいち、その出典を見ながら文章を構成するのは、大変な作業に(僕の場合)成りますので、宜しくお願い致します。
ただ、僕が全て分かっているとゆう間違いをしないでください、僕も分からない時は、はっきりと表現いたします。

失礼がありましたら、ご容赦ください。

226ガンコ:2003/08/19(火) 07:09
常徳庵さん、おはようございます。

とても専門的で、わたくしにはついていけない領域ですが、いろいろと教えていただければ幸いに存じます。
ただ、失礼ながら、やや文章が不明瞭であって、よく飲み込めません。それと、わたくしのばあい、ご提示いただきました資料を容易に入手できない立場のものですから、余計になんだかわからないのかもしれません。

>江戸前期には「遙拝形式」「内拝制度」は、存在せず本堂安置にて、誰でもが参拝(戒壇様の事です)出来たと、思われます。
>この事の理由と、それ以前の状態が……

つまり、江戸以前の状態がどうであったのか、わからないという意味でしょうか? 

その上のほうで
>小生が今研究中で結論の域にまだ至っていませんが

とおっしゃっていますが、下のほうでは
>但し“古来”として論議すると、古来説の方は多分その自説を、持ち続けると論議に破綻を障じる事と成るでしょう

つまり、いまだ研究途上だが、「古来遥拝説」はあきらかに間違いだとおっしゃるわけでしょうか?

ちなみに、わたくしはなんにもわかっていませんので、ただ質問させていただいているだけです。逆に質問されてもこまっちゃう・・・その程度の知識しかありませんので、よろしくご承知おきを願います。

227常徳庵:2003/08/20(水) 07:15
ガンコさん

初めまして? 自己紹介なしで、お会いしたかも…… 

書き込みの多い方だけに、鋭い指摘、推察に敬意を表します。
本来は、書き込みをしない考えで、ネットを読ましてもらう積もりで、4ヶ月程前より拝見していましたが、(パソコンにはじめて触れたのが1年程前なので)僕の考えとのギャプに余りにも差を、感じまして、つい書き込みをしてしまいました。
タイピングもままならない状態で、書き込む結果となり、返信も遅れがちですが、今後も宜しくお付き合い願います。

221と224との相違については、自分でも意識して書いております。
本来、224は書く積もりがなかったので、矛盾を覚悟で書いた次第です。
プロの学者であれば、今自分の手元以下の資料で、論文を書けるのですが、僕の性格で推論の上で、論文を書くのが嫌でこの様な記述となりました。
自分の事情で、ガンコさんを惑わす結果となり、申し訳なく思っております。
224の記述に関しては、今後の論文を書くにあたって支障の無い程度にと、その一部を書いたもので、ご推察の程お願いします。

尚、出典の達師の資料に関しては、菊水さんか、妙薬さんと連絡が取れるのでしたら、当方への連絡情報が教えて下さると思います。

228菊水護国:2003/08/20(水) 08:34
ガンコさん
突然ですが、通常書き込みは現在自粛してますので一言だけ。

>尚、出典の達師の資料に関しては、菊水さんか、妙薬さんと連絡が取れる
>のでしたら、当方への連絡情報が教えて下さると思います。

と常徳庵さんが申されてますが、私へメール下されば宜しいかと思います。
大昔(爆)メール頂いたことがあると記憶してますが、保存してないので
宜しく御願いします。

229苦悩乱者:2003/08/20(水) 11:06

常徳庵さん
菊水護国さん

始めまして,苦悩乱者です。よろしくお願いいたします。

御投稿,ほんとうに有難うございます。

私は,断定的な書き方をしてしまう事がしばしばですので反省しておりますが。現在,富士門に関係している人々,特に,真面目に法門を学ぼうと志している方々が非常に混乱している。そういう状況が如実に現れています。私は,私なりに結論ずけてはいるのですが,なにせ,「真蹟遺文」以外は受け入れない方も居られまして,「一文不通」の末法荒凡夫である事を自覚する事が大切だと思うのですが,・・・それはさておき,「遥拝」についてですが,「古来遥拝だったのです」。は,私の推論です。解ったような表現をした事,申し訳ありませんでした。時節の混乱ということでしょうか?,ただ,古来「遥拝」が(で,ではなく)有ったことだけは,確認できる事であると思います。そこで,疑問が生じる訳です。「何故?」,「御本尊」のお膝元で「遥拝」をなされるのか?という疑問です。ここからは推論になりますが,「魂魄」とは目には見えざるものです。その「目に見えざる処のもの」をあえて「仮の姿」(形あるもの全て無常を逃れられず)として顕してくだされた,そのことを伝えたいが為に「遥拝」があるのではないか?と考えるわけです。又、御本尊授与についても,「富士一跡門徒存知の事」に云く,日興の弟子分に於いては,在家出家の中に或いは身命を捨て・・中略・・在所を追放せられ一分信心のある輩に,忝くも書写し奉り之を授与するものなり。と仰せのように,信心堅固な者でなければ,「御本尊」を頂けなかったと思われます。当然に外の人は「遥拝」になります。ただ,この書も真蹟でないのです。そこで繰り返しますが,「真蹟」以外は信じない方も居られるのです。教主釈尊の諸経典も真蹟が存在しないのにもかかわらず。ですから,わたしは,あえて,もし火事にあって,「御本尊」を守るか,「相伝書,法門書」を守るか,どちらか一方を選びなさいと言われれば,躊躇することなく,後者を護ります。と書いたわけです。「御本尊」が護られてきても,「やれ偽者だ」「いや本物だ」と混乱するのです。真蹟が残っていればなあ,とつくづく思ってみても後の祭りなのですが。・・・

私は,犀角独歩さんとのお話し合いに入りますので,暫くの間,おいとま致します。「富士の清流」の再興をお祈りいたします。

230ガンコ:2003/08/20(水) 23:33

常徳庵さん、どうもご挨拶が遅れました。

わたくしは顕正会員でして、顕正会しか知らない今の大半の顕正会員と同じく、「遙拝勤行があたりまえ」という認識しかなかったわけです。
ですから、難しいことはなんにもわからないのですが、まあ、ここで学ばせていただいてだいぶんわかってきた、といったところです。

いちおう、会長の浅井は立場上、遙拝勤行の正当性を論じておりますが、直接的にはもっと簡単な話です。つまり解散除名処分になっちゃって御本尊をおろしてもらえなくなって、それでも新しく入信したいという人のために考案した形式・・・じっさい、法華講・学会などからの入会者以外はみんなこの形式でやっているのですから、どうにかうまくはいっていると言えるでしょう。
わたくしがつねづね御宗門に復帰できることを願うと申しているのは、この遙拝勤行が間違っているからと言うつもりはありませんが、ただ、いわゆる御遺命守護完結との兼ね合いで矛盾をきたしてきたことは否めないからです。この辺のことは知らない人には申し訳ありませんが、今は詳細に説明することをしませんのであしからず。

それと、苦悩乱者さんとは必ずしも同意見ではありませんが、まさに形式ではなく、心こそ大切なれ、であろうと思いますので、けっこう遙拝勤行ってステキだと思います。

ヘンな文章でごめんなさい。

それにしても、菊水さん・妙薬さんとお知り合いとは。
お二方は、去年の秋わたくしがこの掲示板に書き込みをするようになって、早々にお声をかけてくださった方々であり、忘れるものではありません。
なんだかネットの世界は広いのか狭いのか、よくわかりませんね。

231ガンコ:2003/08/20(水) 23:58

菊水護国さんったら、もう。自粛なんかおよしになって、どんどん書き込んでくださいよ。

メールの件は、どうしようかなあ・・・

232常徳庵:2003/08/21(木) 03:41

ガンコさん

僕のメール・アドレスが分かりましたか?

ガンコさんの、メール・アドレスを、僕のほうへ教えて下されば、「大日蓮」の方でしたらスキャン画像にて、「達師の説法」をEメールにて、送信いたします。

Eメールにての、送信をしたことないんで、操作手順を教えて下されば、全文送信致します。

233常徳庵:2003/08/21(木) 06:09
苦悩乱者さん

229の君の書き込みについて、もっとキチンと書き込みしなさい。
その書き込みでは、誤解を残したまま敵前逃亡と、言ってもおかしくない表現です。
特に前半と、後半で、君の意見に明らかに、自己反省に矛盾がみられる。
君の書き込みで、賛同者が居るとしても、前半では「断定的な書き方をしてしまう」と書いて、後半では、」推論として、自説を正当化しようとしている態度に、きみの本性が見えてくる。
もっと、素直な書き込みが出来ないのですか?
その上、この掲示板から逃げるような書き込みをして、自己反省も軽く受け流す君のスタンスは、卑怯と批判されても仕方がないと思う。
推測自己判断も良いであろうが、229の書き込みは、余りにも無責任である。
今後、君の何処の掲示板で見つけたら、徹底して付きまとうと考えている。
君の考えであろうが、出典を示さず推論として、書き殴る無責任、要領良く書いてお茶をにごす、この態度に不快感を最大限に観ずる者を感じる。
もっと責任を認識しなさい。

234苦悩乱者:2003/08/21(木) 13:58

常徳庵さん

レスを有難うございます。

文章をお見受けいたしますところ,御僧侶であられるお方とお見受けいたします。

私は,プンダリカに参りますので,今暫くご容赦ください。

御書システムも手元に届きましたので,以外に早く戻れるかもしれません。
どうか,暫くのご容赦を,おねがいいたします。

>徹底して付きまとうと考えている。

よろしくご指導の程,お願いいたします。

235ガンコ:2003/08/22(金) 12:48

>私は,犀角独歩さんとのお話し合いに入りますので,暫くの間,おいとま致します。
>私は,プンダリカに参りますので,今暫くご容赦ください。

いやいや、これはもう、大変なものです。おそらく、みんなぶったまげているでしょう。


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