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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について
1138
:
彰往考来
:2005/02/02(水) 07:43:00
>1137
訂正です。
誤:日蓮召集
正:日蓮正宗
1139
:
犀角独歩
:2005/02/02(水) 15:48:22
> 石山と北山の確執の件は、追って投稿
彰往考来さんのご賢察を楽しみにお待ち申し上げます。
1140
:
名無し@富士門流
:2005/02/09(水) 20:10:30
やはり正信会は、興風談所の影響もあって「脱・彫刻本尊」が進んでいるのでしょか。
正信会HPに連載されています、「日蓮大聖人伝『一切衆生と共に』」の第28回をみますと、
=========================
大聖人さまは、この法難の最中でもある十月一日、門下に対して、
「釈尊は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年で出世の本懐を遂げられた。それまで大難をうけられたことは言葉に言い尽くせない程であった。そしていま日蓮は二十七年にして出世の本懐を遂げた。その間にいかに多くの大難を受けたかは各々がすでに知り尽くしているとおりである」(『聖人御難事』全一一八九㌻)
と、この熱原法難によって、師弟ともに「不惜身命」の経文を身読しているのだと仰せになられました。そして、入信間もない熱原の農民たちが、不当な弾圧を耐え忍び、身命を惜しまずに法華経の信仰を貫き通したその振舞い、法華経に殉じたその姿こそ自身の「出世の本懐」であると表明されるのです。
=========================
とあり、出世の本懐=彫刻本尊のキーワードが出てきません。
さらに「二十七年にして出世の本懐を遂げた」に関する註には、
============================
【余は二十七年】
釈尊は四十余年で「法華経」を説き、天台大師は三十余年に「摩詞止観」を説き、伝教大師は二十余年で「山家学生式」「顕戒論」を説いて出世の本懐を遂げました。大聖人は、建長五年 「南無妙法蓮華経」を唱え始めてから二十七年(弘安二年)で出世の本懐を遂げたと表明されました。熱原法難を通して師弟一箇の成道を得た法難の瑞相こそが、法華経色読の出世の本懐であるとされたのです。
============================
と、ここでも彫刻本尊に関する記述がみられません。
正信会の脱彫刻本尊後の、教学・理論構築は学会などにも影響を与えるのではないでしょうか?
http://www.fujimon.or.jp/daisyoden/daisyoninden.html
1141
:
れん
:2005/02/09(水) 22:20:11
名無し@富士門流さん、私も正信会は興風談所諸師の皆さんの真摯な研鑚による学術研究の成果を踏まえて‘脱彫刻本尊’の方向にあるようにも思えますし、この流れは、名無し@富士門流さんの読みどおり、恐らくは他の富士門系の宗教団体の教義にも波及し影響を与えていくだろうとも思います。
1142
:
犀角独歩
:2005/02/09(水) 23:24:55
名無し@富士門流さん:
れんさん:
横槍を入れるようで恐縮ですが、そんな評価するようなことでしょうか。
こんなことは半世紀前の『創価学会批判』(日蓮宗宗務院編)で、執行海秀師、宮崎英修師が既に指摘しています。
わたしはむしろ、「師弟一箇の成道を得た法難の瑞相」なんてことをまだ言っているのかと、言葉は悪いですが、呆れた気分になりました。
1143
:
名無し@富士門流
:2005/02/10(木) 01:20:47
>1142
犀角独歩さん、
いあ〜やはり寺院・教団は、信徒を抱えていますので、教義的な判断と教団運営上の政治判断とがありますから、特に大石寺系集団は「唯一絶対の本尊」を目玉に信徒を獲得してきた経緯がありますから、急な方向転換は政治判断としては厳しいのはしょうがないと思いますよ。
お客さんが離れれば、商売が成り立ちませんからね。
しかし「師弟一箇の成道」は関師の所論だと思ってましたが、昔から正信会では言われていたのでしょうか?
1144
:
犀角独歩
:2005/02/10(木) 01:27:09
名無し@富士門流さんは、お優しいですね。
わたしは、そんなお客さん商売は、弾劾します。
客が離れない前に、世間一般の善意の物笑いになるということです。
糞に味噌を混ぜることはないのです。
> 師弟一箇の成道」は関師の所論だと思ってましたが、昔から正信会では言われていたのでしょうか?
さあ、それはどうでしょうか。HPに出ていると紹介されてお出ででしたね。
昔は知りませんが、いまは言っているわけでしょう。
興師正嫡論からは卒業できないのは、関師だけですか?
1145
:
名無し@富士門流
:2005/02/10(木) 02:30:18
>1144
犀角独歩さん、深夜までお疲れ様です。
正信会や創価学会には、彫刻本尊に取って代わるものがないだけに大変だと思います。
保田妙本寺などは、「万年救護本尊」という彫刻本尊に勝るとも?劣らぬ?代替品があります。
それでも離脱直後の執事さんの論文では、彫刻本尊に疑義があることをほのめかすような記述こそあれ、偽物とまでは断定せずにいました。
しかし犀角独歩さんの研究と発表によって、大石寺と縁の深い寺院・団体も徐々に脱・彫刻本尊へ向かうのではないかと思います。
ところで石山系諸集団から、独歩さんの鑑別に対しなにか反論のようなものはないのでしょうか?
「日蓮正宗史の研究」を執筆された高橋粛道師も講演を聴かれていたといいますね。
発表より3ヶ月以上たちますが、創価学会批判や正信会批判に明け暮れ、宗旨の根幹に対する批判を無視していてはどうかと思いますけど、、、
1146
:
名無し@富士門流
:2005/02/10(木) 02:39:36
犀角独歩さん、
>興師正嫡論からは卒業できないのは、関師だけですか?
興師正嫡論から最初に卒業したのが関師ではないでしょうか?
彫刻本尊・日蓮本仏論を批判し、正信会から離脱したのが関師でしょうから。
今の興風談所の流れを、当時政治判断抜きに主張されたのが関師ではないかと思っています。
当然、二箇相承等の相伝疏類は正信会離脱当時から用いてませんね。真筆現存遺文による教学研鑚、宗祖の呼称を日蓮聖人とするなど、末法は無仏の時代とし釈迦本仏を主張しないところ以外は門下一般とかわらないと思います。
1147
:
犀角独歩
:2005/02/10(木) 06:29:12
名無し@富士門流さん:
関師に関するレクチャー有り難うございます。
不適切な表現は撤回し、関師にもお詫びします。
なお、わたしに関する批判はいまのところ、何も耳に届いていません。
1148
:
真実 探求者
:2005/02/10(木) 18:18:33
1141 れん さん <,、興風談所、、、波及、、影響、、>について、やっと、目鼻がついたようで何よりです、、。
当HPの各諸氏が命がけ、とも思える、、言々を、重く受け取った、と判断します、、。 世の中、一度固まった信念のようなガンコさはだれしも所有しています、。 ただ、これからは、つらいでしょうが、かなりの部分での「思考的な柔軟性、、」など、?が求められるようです、。
極端に申し上げれば「、、一夜が明けたならば、その人の思考〜判断力、、」などがガラリと正反対に移動するのも「、、やむなし、、」という、変節、、では無く、、柔軟性、、??のような見解、、??もある程度は、、必要、、??でしょうか、? この点から「、、現状打開のスタート、、」が発せられるような気がいたします、。期待します。 早々、、。
1149
:
犀角独歩
:2005/02/10(木) 18:43:18
れんさんにも、わたしはお詫び申し上げます。
「坊さん、しっかりしろよ。寺に籠もって研究もいいが、煮え湯を飲まされた俺達の苦悶を忘れないでくれ。一書の被害とは言わないくれ。なぜなら、あなた方は、俺たち、在家を教導するために頭を剃って、袈裟衣を着ているんだろう」という思いがあるからでした。
れんさんに、講義をしたわけではありませんが。直しても、すぐに鎌首を擡げる獰猛な性格、申し訳なき次第です。
1150
:
犀角独歩
:2005/02/10(木) 18:47:33
【1149の訂正】
誤)一書の被害
正)一緒の被害
誤)講義した
正)抗議した
失礼しました。
1151
:
れん
:2005/02/10(木) 21:08:48
1149 犀角独歩さん
私に対しては、お気になさらないで結構です。寧ろ、犀角独歩さんが1149に吐露されたところ、共感致しているところです。
1148 真実 探求者さんレス有難うございます。何分私人間的に未熟なもので、こちらの皆さんから沢山のことを学ばせてもらっている者の一人ですので、これからもご鞭撻の程お願い致します。
1152
:
犀角独歩
:2005/02/10(木) 21:26:25
れんさん、有り難うございます。
真実 探求者さん、種々レス有り難うございます。
1153
:
名無し@富士門流
:2005/02/11(金) 00:12:08
>1147
犀角独歩さん、今晩は。
そうですか、真正面からは戦えないのでしょうね。
安永弁哲教授の時は、どのくらいで「偽作論を破す」が出てのでしょうか?
私の手元にあるのは「大石寺の正体」なので、平成になってから出たものなので「板本尊偽作論」が何時初版出版されたかがわかりません。
恐らく創価学会や正信会であれば、「学会がついに大御本尊を否定!!」などの大見出しで機関紙の一面に出るものと思われますけど、犀角独歩さん相手では宗門側も戦う術が無いのでしょうね。
いずれにしましても、彫刻本尊からの覚醒には最良の一書ですね。
大石寺の信徒さんもさることながら、学会員や正信会の方にもどんどん読んでいただきたいですね。
1154
:
犀角独歩
:2005/02/11(金) 20:24:11
名無し@富士門流さん、過分なお言葉は恥ずかしいだけですので。
わたしは、こう考えているのですよ。つまり、わたしが解明したことは、昭和53年時点で、阿部さんも、河邊さんも、もっと、言えば、石山のその他かなりの人がわかっていた。まして、なおさら、難解な蓮師古文書を読む解く正信会(山口さんが知っていたなんて話出ましたっけ?)の、それも興風談所の諸師がわかっていないはずはないでしょうね。
生来の江戸っ子弁で「てめえら、ざけんじゃねえや、わかってんだろうが」と、啖呵の一つも切りたい気分だと言うことですよ。
まあ、そんななかで、いちばん善意と感じてきた興風に代表される正信会だから、尚更のこと、「何を惚けてるんでぇ」と言いたくなるわけです。たしかに、わたしが日教研で発表したとき、高橋さんをはじめ石山の若い坊さんはいましたよ。しかし、その後ろに…、まあ、名前を書くのはやめましょう…、正信会の坊さんも、たしかにいたわけです。それなりの研究をし、内外から古文書研究では尊敬も集めている人ですよ。となれば、『河邊メモ』の段階ではわかっていなくても、いまは少なくともその事実を認識しているわけです。
小乗・大乗なんていう考えは、わたしはまあ、あまり証憑しません。
しかし、富士門で言えば、大乗の気概は、坊さんにはあるんでしょう。それが研究で名を挙げた、古文書が読めた、だからと言って、それまで信者を騙くらかしてきた諸罪が贖えるわけじゃないですよ。衆生を救ってはじめて大乗菩薩。そうしなきゃ、名は蓮祖・興師に籍りても自坊に閉じ籠もって古文書の研鑽ばかり、過去の反省ゼロ、衆生済度なし、これじゃ、彼らが小乗と貶す僧侶より、悪いことになる。
わたしの憤りは以上のような形です。わたしは、怒っているんですよ。それも在家よりも坊さんに、坊さんのなかでも、殊に、わかって、惚けて、反省もしない連中にです。
さて、正信会の諸師が、どうなのか、それは、過去を清算するために、嘘出鱈目言って人々を先導するのに使った、彫刻と御肉にちゃんとした見解を述べ、謝罪の一言を吐け、坊さんとして認めるのは、そこからだと言いたいわけです。
独歩独りが喚いている? いやいや、わたし独りの言葉にしてはいけないのです。
この点を徹底して追及しなければならない、石山の坊さんは当然のこと、正信会と雖も例外ではありません。
いまだに本門戒壇がどうのこうのという亡霊を追っているアナクロニズムは論外にしろ、少なくても富士門の善意である僧侶が、なんですっとぼけているんだという憤慨が、わたしの正信会の坊さんに対する辛口発言であるわけです。わたしの駄文鑑別を読むより、自分でそんなことわかるだろうと言いたいわけです。なにせ、わたしなんかと違って、何回の古文書が読め、さんざん興師だ何だの漫荼羅を集めて解析して、写真集に、座配図までまとめて、「これは興師、これは道師だ、時師だ」と、やってきているわけですから。
わからないと思って在俗信者こけにしているのか?、仏教学会やら、学僧、知識人にちやほやされて、それですましている場合じゃないだろうと言いたいわけです。
ま、名無し@富士門流さんに怒っているのではありません。レスに肩を借りて申し訳ありません。
それと、れんさんを含めて、お願いしますが、わたしが憤懣を、よそにどうか彼らの学問的成果は、引き続き、ここで紹介してください。その点は、わたしを含めて、皆さん、勿論、興味を懐かれていることでしょうから。
しかし、どうか忌憚なく、名無し@富士門流さんも、れんさんもご叱正ください。
わたしの思い違い、目の届かないところもあるでしょう。
さらに言えば、問答名人さん、愚鈍凡夫さんのご意見も、頂戴したいと希望しています。
失礼しました。
1155
:
犀角独歩
:2005/02/11(金) 20:27:04
あっと、ご叱正は、わたしへの、という意味です。
下手な文章でわかりづらいと思い、補足です。
1156
:
名無し@富士門流
:2005/02/11(金) 21:31:22
犀角独歩さん、やはり創価学会も正信会も、急な方向転換は出来ないのが現状なんだと思いますよ。
それでも私の知る限りでも、学会では昭和40年代後半に民主音楽協会のM氏、昭和50年代には正信会の蓮華寺住職K師が、同じく昭和60年代初頭には当時興風談所所長であった関師が、彫刻本尊を否定しそれぞれの組織から離れています。
ま〜いずれにしましても、現状「彫刻本尊信仰圏」を覚醒させることができるのは独歩さんの著書しかないのは事実です。
1157
:
犀角独歩
:2005/02/11(金) 21:55:49
名無し@富士門流さん:
熱にうなされている病人に鞭打ってますね(笑)
昼間、エホバの鞭打ちの生々しい話を聞いてきたところです。
M氏、K師は伏せ字で、関師は先に話題が出たので実名ですか。
うん、そうですか。関師、それで、いまはどうなさっているのでしょうか。
ま、いいです。これは独り言。譫言でした。
1158
:
名無し@富士門流
:2005/02/11(金) 23:28:52
>1157
犀角独歩さん、そうですね。既に書籍も出版されていることですし、何も伏字にすることないですね。
現西山系の僧侶で松本師と、日蓮真宗の久保川師ですね。
松本師は学会員時代に、正本堂供養金の返還を求めて裁判まで起こしていますね。
司法系のテキストにも時々登場する、「板曼荼羅事件」です。宗教関連判例集にも出ています。
松本師が「蓮悟空」のペンネームで出版した、「変質した創価学会」は読ませていただきました。
師はご自身がはじめて、「万年救護本尊」が本当の大御本尊であると主張されたと書かれています。
万年救護本尊を前面に押し出し、彫刻本尊を偽物と主張した上で、裁判では彫刻本尊の鑑定を訴えています。
しかし学会は、妙本寺の本堂および客殿を次々と改修し、さらには盗聴行為まで行い、妙本寺の篭絡と監視を行ったわけです。
ついには松本師も妙本寺より離れ、日蓮宗から離脱した日郷門流で結成されている大日蓮宗の僧侶となり、現在は西山本門寺系の僧侶ですね。
しかし松本師の彫刻本尊批判も、決定的なものがなかったと思います。
しつこいようですが独歩さんの著作は、言い方は失礼ですが、字が読めなくとも目で見て「視覚」で判断できるのです。
これを決定的といわずになんといいましょうか。
1159
:
彰往考来
:2005/02/12(土) 07:26:57
>1153 名無し@富士門流さん、
安永弁哲氏の『板本尊偽作論』は昭和31(1956)年に東京の多磨書房というところから発刊されています。
http://opac.ndl.go.jp/Process?MODE_10100001=ON&SEARCH_WINDOW_INFO=01&THN=4&INDEX_POSITION=0&DB_HEAD=01&SORT_ORDER=01&SHRS=RUSR&QUERY_FILE=6445052252_7878924&TA_LIBRARY_DRP=99&DS=0&CID=000000955724&SS=01&SSI=0&SHN=4&SIP=1&LS=6445052252
なお、同書は平成元(1989)年に鹿砦社から再刊されています。
http://opac.ndl.go.jp/Process?MODE_10100001=ON&SEARCH_WINDOW_INFO=01&THN=4&INDEX_POSITION=1&DB_HEAD=01&SORT_ORDER=01&SHRS=RUSR&QUERY_FILE=6445074288_7878973&TA_LIBRARY_DRP=99&DS=0&CID=000002048379&SS=01&SSI=0&SHN=4&SIP=2&LS=6445074288
ついでにいうと日蓮正宗からの反論は昭和31(1956)年9月30日に『悪書「板本尊偽作論」を粉砕す』として大日蓮編集室から発行されています。この本の著者は日蓮正宗布教会で代表は細井精道師です。
彰往考来
1160
:
犀角独歩
:2005/02/12(土) 11:23:31
名無し@富士門流さん:
> 松本師…ご自身がはじめて、「万年救護本尊」が本当の大御本尊であると主張…
そんな馬鹿な。そもそも、「大本尊」とは蓮師直筆であって、はじめに、その主張をした人があるとすれば、蓮師その人となるでしょう。
また、たぶん、第16大本尊が「万年救護本尊」もしくは「上行始顕」と取り沙汰された昔から、この本尊は、そのように扱われてきたのではないでしょうか。いま、いちいちに資料を挙げる手間を億劫と感じますが、所謂「本門戒壇の大御本尊」究竟と言われるより、むしろ、歴史は古いのではないでしょうか。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/016.html
近くは山川師、山中師にしても、この「大本尊」を特別に扱っていますね。
「極めて重要な御内観を示しためえるもので、山川智應博士は『本因妙・本國土妙御顕発の御本尊』(「日蓮聖人研究」第2巻507頁取意)としている。即ち其の特一無比の御讃文に於て御自身の本地を顕発したまうと倶に、本國土妙の代表たる天照・八幡二神の本地を示されたのであって、斯くの如き儀相は他に全く拝することができない。尚、御讃文中『大本尊』と称されたのも此の一例のみ…」(『御本尊集目録』23頁)
「本当の大御本尊」も何も、蓮師が「大本尊」と認めたのに、それをはじめて自分が言ったとは、もはや暴言の部類に属するでしょう。
やや補足すれば、以上のような次第であれば、他の「漫荼羅」と図示されるところを、「大御本尊」と称することは聖意を黷すというのが、わたしの主張してきたことでした。
なお、拙書、ご評価いただいた点については、素直に感謝申し上げます。
有り難うございました。
1161
:
犀角独歩
:2005/02/12(土) 19:58:35
名無し@富士門流さん:
ちょっと、確認のためにお答えいただきたいのですが、松本さんが、万年救護=大御本尊を主張したのは、いつ頃ですか。
わたし、今、記憶を辿っているのですが、昭和50年頃でしたか、小野寺さんにはじめて会ったのです。まだ、「日了」と「法皇」なんてことまで言いだしていませんでした。宗派も立てておらず、実業家として、スーツ姿で、町中で会いました。
で、家まで、車で送ったことがあったのです。その時、「あなたは、大石寺の御本尊を本門戒壇の大御本尊だと思いますか?」と突然、尋ねられた。呆気にとられていると「それは、違うのです」とこう言い切ったわけです。この段階で「本因妙大本尊」を作っていたかどうか、また、第16大本尊をパクった何某かの本尊を戒壇本尊と言っていたかどうか定かではないのですが、松本さんと、小野寺さんの言い出し順は少し気になります。
時系列をご教示いただければ有り難く存じます。
1162
:
名無し@富士門流
:2005/02/12(土) 20:55:50
犀角独歩さん、今晩は。
>「本当の大御本尊」も何も、・・・
これは私の書込みの仕方が悪かったですね。
あくまでも主旨です。
松本師の御主張は、後ほど資料をもとに再度ご紹介致します。
時系につきましてもその際に書き込ませて戴きます。
チョッと出かけてきます。失礼します。
1163
:
名無し@富士門流
:2005/02/12(土) 23:51:05
犀角独歩さん、「変質した創価学会」の最後に「著者から読者へ」という頁があり、その最後の行は以下のようになっていました。
==================================
なお、万年救護の大本尊を、大聖人滅後(約七百年)始めて公に顕したのはこの本以外にないことをここに明記します。
昭和四十七年六月十六日
蓮 悟 空
==================================
以上、ご参考までにお知らせいたします。
1164
:
犀角独歩
:2005/02/13(日) 00:06:19
無し@富士門流さん:
これは勇み足でしょうね。
だいたい、万年救護という名自体、たぶん、要山系が付けた名称でしょうし、石山を含め、あちらこちらに第16大本尊のレプリカがあることは、それをかつて公にしたことがあったからでしょうね。そもそも、石山の大講堂にもこの模刻は奉安されているわけですから。
昭和47年6月16日、つまり、阿部さんが『国立戒壇の誤り』を刊行した四日後と言うことですね。まだ、小野寺さんは立宗していなかったでしょうね。
有り難うございました。
1165
:
名無し@富士門流
:2005/02/13(日) 00:39:02
犀角独歩さん、「宗教関係判例集成」7巻掲載の「板まんだら事件」の頁によれば、原告は松本師のほか16名がいるようです。
この16名が幻の法華講、万年講のメンバーであろうと推定されますが、小野寺さんや玉井さん又は高橋麦洲さん等もメンバーだったんでしょうか?
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_066.htm
1166
:
名無し@富士門流
:2005/02/13(日) 01:38:56
>1159
彰往考来さん、
ありがとう御座います。
とき既に遅かったようで、せっかくのリンク先が拝見できませんでした。
申し訳ありません。
1167
:
彰往考来
:2005/02/13(日) 08:23:24
>1166 名無し@富士門流さん
リンク先は国立国会図書館のNDL−OPAC(資料探索)
です。国会図書館のHPを開いて著者名で安永弁哲といれ
れば、拝見できるはずです。所蔵図書の書籍名、著者、出
版社などの情報です。
私は「板本尊偽作論」は平成元年に再版されたものしかもっ
ていいませんので。昭和31年本がいつ発刊されたかわか
りませんが、安永氏は昭和30年に脱稿されていますので
昭和31年の年始め、2月ごろの出版であろうと思います。
そうすると、日蓮正宗の反論は約7ヶ月後に出版されてい
ますので、かなり早い対応と思います。
犀角独歩さんの著書は昨年11月ごろでしたっけ。そうす
ると、そろそろ反論がでてくるのかなというところではな
いでしょうか。ネット上で反論していただくと、早いだけ
でなく我々も自由に拝見できるのでありがたいのですけど
ね。
1168
:
犀角独歩
:2005/02/13(日) 10:26:35
彰往考来さん:
わたしも、石山から反論を楽しみに待っております。
「図解」に対しては「図解」を持って、という条件を付してあります。
それにしても細井精道師主筆なる『悪書板本尊偽作論を粉砕す』は、歴代住職への弁明は、まあ、当然としても、彫刻本尊に係る本論はまるで駄目でしたね。「どうやって言い逃れるのか」という詭弁の参考書でしかなかったというのが、いまの印象です。
同じ轍を、わたしへの反論で石山が繰り返さないことを希望するばかりですが、まあ、高望みはしません。「体質」というのは変わらないし、その集団の構成員に伝染しているものですから。
1169
:
犀角独歩
:2005/02/13(日) 14:52:19
1165 名無し@富士門流さん
> 「宗教関係判例集成」7巻掲載の「板まんだら事件」
思い起こしてみれば、ご呈示の資料を真面目に読み直していないことに気付きました。
ご呈示、有り難うございます。
また、ご紹介の現宗研・所報第31号:6頁文に就き、重箱の隅をつつくようですが
> 西山本門寺が興門の正嫡
> 現在伝統宗門…貫首から直接師資相承
と、さりげなく記された件は、実に気になりました。
1170
:
犀角独歩
:2005/02/19(土) 14:34:07
> 1167
安永弁哲著『板本尊偽作論』は『冨士年表』に拠れば、昭和31年6月10日となっていますね。
1171
:
彰往考来
:2005/02/20(日) 20:26:01
禅師授与漫荼羅の動向について〔12〕
1124-1126、1131の続きです。
禅師授与漫荼羅の動向について〔11〕で、“このころ大石寺は興門派からの離脱を画作中で、明治33年9月18日に分離独立が認可(『富士年表』383頁)されているように当時の興門派である北山本門寺とは敵対関係であった”と記しましたが、この記載内容に疑義が生じましたので、ここで撤回いたします。また同〔11〕で禅師授与御本尊が法道院に奉納されたのが明治43年と記しましたが、明治41年6月1日の誤りです。併せてお詫びするとともに訂正いたします。
富士大石寺の大石日応師は、明治24(1891)年に興門派の管長になっています。この前後の北山本門寺の興門派管長就任を『富士年表』でみてみますと、明治20(1887)年に天野日観師が、明治29(1896)年に芦(葦)名日善師が興門派管長に就任しています。この関係で富士大石寺の日応師は芦名日善師など北山関係者と懇意になったのではないかと思われます。このころ富士大石寺は興門派からの離脱を画作中であったのは事実で、明治29年には北山の釈勇道師が『大石寺分離獨立理由書辨妄』を出すなどの動きはありましたが上層部同士は通じていたのではないかと考えます。
大石日応師が富士大石寺管長時代(明治22〜41年)前後の北山本門寺歴代を『本門寺並本末寺院縁起』(昭和57年、大本山本門寺)で調べてみますと、(26,125頁)
明治15年 卅五世 天野日観就任(明治27年逝去)
明治21年 卅六世 榎田日達就任(明治37年逝去)
明治25年 卅七世 保田日忠就任(大正5年逝去)
明治26年 卅八世 泉 日啓就任(明治29年逝去)
明治29年 卅九世 葦名日善就任(大正9年逝去)
明治33年 四十世 泉 日仁就任(大正7年逝去)
明治36年 四十一世 榎田日達再任
明治37年 四十二世 保田日忠再任
明治39年 四十三世 斉藤日厚就任(昭和16年逝去)
明治43年 四十四世 丹治日梁就任(大正11年逝去) (引用者注:敬称略)
『本門寺並本末寺院縁起』は「このように廿三年の間に九人の交代 (中略) 明治廿一年から四十三年にかけては宗門並本山にとって教団の胎動期であり樹立の時でもあった。それ故不安定と同揺をかくしきれぬ一面があった。」(128頁)と記しています。奥歯に物が挟まったような書き方ですが要は疲弊し混乱していたということなのでしょう。片や富士大石寺では日応師が20年近く長期政権を樹立していたのと対称的で興味深いことです。
さて問題は北山本門寺が漫荼羅本尊までも売りに出す動機です。『本門寺並本末寺院縁起』では、「卅八世日啓上人は本山の実状を危惧し護持安泰を願い首頭檀越 総信徒に依嘱を発し「(中略)浄財を據集し用て維持の基本とせんとす」と述べ退山なされたのである。」(128頁)とあります。つまり「三十八代泉日啓師は護持のため浄財を集めることを願い退山している」わけです。(『道心12号』山口始「富士門流諸山の歴史と現状(一)」79頁) ここでのキーワードは “ お金 ” です。そして金集めを命ぜられた如き立場の三十九代に葦名日善師が明治29年に就任し、同年に興門派管長にも就任しているというわけです。葦名日善師は4年で四十代を泉日仁師に譲り、そのあと2代再任が続きますが葦名日善師自身は再任されることなく大正九年に亡くなっています。興門派管長に就任したこともある葦名日善師が大石寺の日応師と関係があった最有力の北山歴代であると考えます。日善師の了解のもと日応師は種々の御本尊を購入したのではないでしょうか。しかし善師が禅師授与御本尊を売ったでは洒落にもなりませんね。
1172
:
彰往考来
:2005/02/20(日) 20:26:29
禅師授与漫荼羅の動向について〔13〕
平成11(1999)年11月17日付けの『創価新報』は、法道院が禅師授与御本尊を入手した経緯について、日蓮正宗内の老僧の証言を紹介しています。この老僧とは『続・法主詐称』(2004年、鳳書院)121頁記載の類似内容から故山口範道師と判断します。山口範道師の逝去により『続・法主詐称』では名前を公表したものと思われます。それはともかく『創価新報』によれば、「明治になって北山が金に困って日禅授与の御本尊をブローカーを通じて売りに出した。それを法道院の開基である五十六世日応上人が買った。応師が買う際、ブローカーから北山から買ったとは言わないでくれと口止めされたという」とあります。この記事の信憑性はわかりませんが、重宝を売るとすれば経済問題であるのは納得できる理由です。
口止めの件は北山関係者が石山関係者に販売したとバレたくなかったのかも知れませんし、落ちぶれた華族が先祖代々の家宝を売る時のように、世間体やプライドから出処を秘匿するのと同じ理由のどちらかなのかわかりませんが、いずれにせよ口止めは有り得ることです。プライドが高い人たちでしょうから“金に困って売った”というのではみっともないということなのでしょう。
ではこのころ、北山本門寺は金に困っていたのでしょうか。調べてみるとそのような事実がありました。「明治卅二年宮内庁告示上地林野特売規定公布」です。もちろんこれは経済的な問題の一例にすぎませんが、『本門寺並本末寺院縁起』によれば、
「上野林野の払下げは明治卅九年から同四十四年にかけ行なわれ、(中略)合計 四十七町八反七畝二十五歩(以上払下げ面積)」(129頁)とされています。
同様の事例が大石寺にもあります。『法道院百年史』(平成10年、法道院)36頁に「明治三十三年四月、『山林下戻法』が施行され、翌三十四年三月、大石寺は上地の払い下げを出願した。また明治三十四年十二月に十五日、大石原、千居、向原、塔原等の林野合計三十七町三反八畝十四歩にわたる御料林払い下げを出願、翌三十五年五月二十六日、御料局に御料地払下願を提出した。明治三十九年九月二十五日、ようやく許可が下り、出願以来六年の歳月を経て土地の有料払い下げ受けることができた。払い下げ金額は土地、立木合計三万二千百六十六円九十銭であった」とあります。このケースの場合、同時期同案件で隣接する場所でしょうから富士大石寺の払い下げ金額から北山本門寺の払い下げ金額を類推できます。北山本門寺の払い下げられた土地は富士大石寺の払い下げられた土地の1.28倍の広さですから、払い下げ金額はおよそ4万1千円程度と推定されます。
『法道院百年史』77頁に明治33年の頃は「三円五十銭はそのころの白米半俵(三十キロ)ほどの値段である。現在の金額に換算すれば一万四、五千円くらいであろうか」とあり、この換算係数で計算しますと払い下げ金額の4万1千円は現在の価格で1億7500万円程度となります。当時とは生活水準が異なりますので現在の貨幣感覚ではこの十から百倍程度ではないでしょうか。もちろん、北山本門寺では御料林払い下げだけではなく諸堂の修復、梵鐘の改鋳などもあり(『本門寺並本末寺院縁起』129頁)大金が必要とされていたことが分かります。
by 彰往考来
1173
:
彰往考来
:2005/02/20(日) 20:31:54
犀角独歩さん、
上記1171,1172の投稿で貴1134,1139のご質問への回答とします。
1174
:
犀角独歩
:2005/02/20(日) 20:49:23
彰往考来さん、ゆっくりと検討させていただきます。
しかし、当時の石山、北山に比して、そんなに金に余裕があったのでしょうか。
1175
:
彰往考来
:2005/02/21(月) 07:46:50
>1174 犀角独歩さん
>ゆっくりと検討
お手柔らかにお願いしますよ。
当時の石山も金には余裕があったとは考えられません。
応師もかなり有力信徒に借金をしています。そのあたりの事情
で、石山が漫荼羅を購入せず(というよりできず)応師は有力
信徒に販売したと考えています。
色々な資料を読んでいますと、応師は経済感覚がすぐれていた
ようで、“経営者”ともいえるほどです。それが20年近くに
わたる長期政権の樹立できた理由でしょう。すべて“金”。
そういねば、現在の日蓮正宗も長期政権ですね。
1176
:
彰往考来
:2005/02/21(月) 07:47:49
>1175
訂正
誤:そういねば
正:そういえば
1177
:
彰往考来
:2005/02/24(木) 12:46:09
>1170 犀角独歩さん、
先日、国会図書館で確認しましたが安永弁哲著『板本尊偽作論』はたしかに
昭和31年6月10日の発行でした。
1178
:
犀角独歩
:2005/02/25(金) 13:28:55
彰往考来さんの応師分析を通読して思うこと。
「金に困った北山」という側面(その実否派別として)はわかるものの、では、何故、そんなに躍起になって禅師授与漫荼羅を石山方が買いに走ったのか、その理由が今一つ明瞭になっていないと思えます。
石山独立と禅師授与漫荼羅の購入の因果関係はどんなものでしょうか。あるかないか、どうでしょうか。仮に「あり」とすれば、独立していくのに、別派になる北山のお宝を買い取って何の得があるのか。敢えて、短絡すれば、やはり彫刻の原図であったからとしか考えようがありません。
1179
:
彰往考来
:2005/02/26(土) 09:38:30
>1178 犀角独歩さん、
>何故、そんなに躍起になって禅師授与漫荼羅を石山方が買いに走ったのか、
その理由が今一つ明瞭になっていない
これは資料調査からの考察では限界がありますね。犯人は証拠を隠匿するも
のですからねえ。とはいっても鑑識では指紋やら遺留品やら足跡などを総合
して、犯人を追っかけていくものですが。なかなか刑事コロンボや名探偵コ
ナンのようにうまくはいきませんね。う〜ん。
>石山独立と禅師授与漫荼羅の購入の因果関係
これは何とも申し上げられないですね。一言でいえば私には判らないという
ことになりましょうか。応師が御本尊を買い漁ったのは、石山としてではな
く、法道会での動きであったと考えています。もちろん応師は法主ですから
応師=石山という図式もありでしょうが、応師が購入した御本尊はすべて在
家信徒などにばらまかれているわけです。一幅として当時石山に入ったもの
はありません。(昭和年代に奉納されたものはあります)
禅師授与漫荼羅も当初は法道会で所有されていたわけです。(法道会は昭和
35年に法道院と改称しています)この点が問題を解く鍵であろうと思うの
ですが、まだまだそこまで調査考察が進んでいないのが実情です。
ただ、石山独立のために“焼失した”戒壇御本尊を再建するために見本とい
うか下書きが必要だったと考えるなら因果関係は有りということになるので
しょうね。でもそこまで言いきるには資料、考察が少ないですね。否定はで
きませんが。ただひとつ言えることは
明治41年 応師禅師授与漫荼羅を入手
明治44年 熊田葦城著『日蓮上人』で戒壇御本尊の写真公開
明治45年 日蓮宗富士派から日蓮正宗と改称
という時系列になっているということです。そして大正の初めに姉崎博士
や山川智応師などの他門徒に戒壇御本尊をみせているのです。
これをどう考えるかでしょうね。
>短絡すれば、やはり彫刻の原図であったから
そうなんですよね。最初はそうではないと考えていたのですが、調べれば調
べるほどそこに近づいていく気がします。最近は「さてはそうだったか」と思
っているんですよ。
今、犀角独歩さんが以前おっしゃっていた、種々ある戒壇本尊図と石山の火
事の件をまとめていて、ミニ発表会オフででも申し上げたいと考えているん
ですけどね。できる限り出席して発表させていただきたいですね。日程調整
できればいいなあと願っています。
1180
:
犀角独歩
:2005/02/26(土) 17:58:48
1179 彰往考来さん:
>> 彫刻の原図
> 「さてはそうだったか」と思っている
ようやくとコンセンサスが近づいてきたと。嬉しいですね。
ところで、明治41年から45年までを挙げていらっしゃいますが、これは既に言われてきたことですね。考証をされるのであれば、さらに荒木清雄の動向を追ったほうがよろしいでしょう。
たとえば、
明治30(1897) 9.20 佐藤慈一〔日昇〕荒木清雄を同伴し大石寺分離独立の件につき内務省久米社寺局長に面談(院65)(富士年表 P380)
大正4(1915)11.11 荒木英一著 聖教の正義刊(刊記)(同 P396)
など。まあ、この点は、彫刻本尊の歴史・教学考証という鑑別書の続刊で書こうと思っている点ですが、発表いただけるのであれば、頼もしい思いがあります。
ということで、是非、発表オフ会の件、お願いしたいと思います。
本日、三学無縁さんとも、そんな話で一頃盛り上がって帰ってきたところです。
オフ会の開催曜日。この前は、最終組はけっきょく朝まで、大激論で始発で帰る始末。
これだったら、どこか一泊できるところでやったほうがよかった思ったぐらいです。
そんなこともあって、次の日が休みのほうが…、そうなると、やはり、土曜日のほうが良いと(笑)
会議室があり、さらにそのまま泊まる人は泊まれるような場所を探すのも一考か、などと考えています。
発表は、お1人30分の予定、出来たら火事の件に絞っていただけると有り難く思います。
彰往考来さんが、彫刻本尊図に触れてくださるのであれば、わたしも、件の持国「天玉」に関して簡単に説明しましょうか。まあ、わたしは4月を控え、現段階では発表を控えようとは思っているのです、そろそろ、五月蠅いことになってきていますので。しかし、黙りを決める気は毛頭ありません(笑)
3月の19日(土)・20日(日)、26日(土)・27日(日)の4日間のどれか。
19日でしたら、ご都合は如何ですか。
なお、ご都合のレスは『オフ会開催案内』スレッドでお願いいたします。
1182
:
犀角独歩
:2005/03/09(水) 13:00:15
>「『おにくげ』について教えてください。」54 一談家さん
> …板曼荼羅…蓮祖が建立……ほとんど無い
ええ、わたしも当然そのように思います。
少なくとも、明治44年の段階で撮影された彫刻本尊は、その中央題目・四大天玉・愛染/不動の一部など、禅師授与漫荼羅の原本に臨模・作為したことは明白です。
また、全体のレイアウト(全体の大きさから中央題目が占める割合)は弘安2年10月時点ではなく、間違いなく弘安3年5月を模しています。弘安2年10月図示では、中央題目は宙に浮く如く、小さく書されています。しかし、弘安3年5月時点ではずっしりと地に付けたように大きく書される変化があります。また、「經」旁は、弘安2年10月の時点では [一/一/乙]で、これが弘安3年5月の時点では [一/ツ/乙]と、[くくく]と楷書体で示される部分の崩し方に変化があります。彫刻本尊の筆法は弘安3年5月に同じ「ツ」となっています。 それにもかかわらず、弘安2年10月12日の日付を刻んだのは、ひとえにこの造立当時、『御本尊集』に類するものがなく、漫荼羅図示に変遷があることを制作者は気付かなかったからでしょう。また、禅師所漫荼羅では、この点はさらに特異性を示し、この点を補正して原本していることが窺えます。しかし、弘安2年10月時点と筆法が変遷していることを、これまた制作者は気付けなかったのでしょう。
> 歴史上に書き止められた戒壇板曼荼羅に書かれている内容に変遷が有る
そのとおりですね。憲師、完則、量師、院師、それぞれ違いますね。
なにより、以前は板であるとというのに、達師に至っては丸太板であるというわけですから、この違いは決定的です。
> 日顕上人様
この人は、一切、ご存じでしょう。
わたしの書いたことを読み、「おお、いいところまで、感づいてやがるなぁ」と、持ち前の早口、べらんめぇで呟く姿が目に浮かびます。
1183
:
一談家
:2005/03/09(水) 23:44:09
犀角独歩さん
>また、禅師所漫荼羅では、この点はさらに特異性を示し、この点を補正して原本していることが窺えます。しかし、弘安2年10月時点と筆法が変遷していることを、これまた制作者は気付けなかったのでしょう。
どういう意味でしょうか、意味が取れません。そのまま読んだら、禅師授与曼陀羅も偽物であると?
1184
:
犀角独歩
:2005/03/10(木) 16:36:02
1183 一談家さん:
まず、打ち間違いの訂正。「禅師所漫荼羅」は禅師授与漫荼羅です。
ここで記したことは、禅師授与漫荼羅の「經」旁は [一/ソ/乙] となっています。しかし、これが蓮師の通常の筆法とは違うと気付きはした。故に [一/ツ/乙] と訂した。ところが[ツ] 部位は弘安2年10月の時点の筆法では横棒一本 [一] と書されていることまでには気付けなかったという意味です。
> 禅師授与曼陀羅も偽物
さて、この点はどうでしょうか。ただし、はっきりと言えることは、糸扁を含めた「經」の筆法、また、この次の研究発表会で時間があれば述べようと思っている大持国天玉の「天玉」の筆法は、他に例を見ない書き方となっているのは事実です。
1185
:
一談家
:2005/03/10(木) 17:12:01
犀角独歩さん
仰っておられること自体は判りました。しかし、私のますます疑念は深まりました。蓮祖の真筆曼陀羅なら、訂正する事は有りえないと思うからです。変だと思ったから訂正した。薄々は少なくとも、この禅師曼陀羅自体が偽物では無いかと気づいていたと私は思います。
1186
:
犀角独歩
:2005/03/10(木) 23:24:13
1185 一談家さん:
禅師授与漫荼羅を真筆扱いしているのは、富要ぐらいなもんですからね。
さてしかし、この点は、どうでしょうか。
次回の研究発表会で、彰往考来さんのご賢察も参考にさせていただくのを楽しみにしております。
1187
:
犀角独歩
:2005/03/29(火) 23:44:19
石山彫刻本尊は禅師授与漫荼羅の臨模・作為、わたしのこの説で、石山は揺れているようですね(笑)
1189
:
犀角独歩
:2005/03/30(水) 00:05:27
わたしと実際に面識のある未だ石山下にある方々、「魔女狩り」にはご注意を。
すべての裏は取って置いてください。来るべき、事実隠しに愚行に喘ぐ断末魔の逆襲に共に備えましょう。しかし、事実は、何があっても動じません。
石山彫刻本尊は禅師授与漫荼羅の臨模・作為、場合によっては、テレビ報道その他にも訴えていく所存です。
もう、こんな咒物崇拝の土俗信仰にはピリオドを打ちましょう。
また、創価学会その他有志の皆さん、かつて騙された彫刻本尊から、一日も早く卒業してください。蓮師の遺志は、こんな彫刻にはありません。そんなものに執着しなくても、信仰は成り立ちます。
1190
:
れん
:2005/03/30(水) 07:13:35
切り文チックな引用になりますが、四信五品抄に「荊谿の云く『一念信解とは即ち是れ本門立行の首なり』と云々、其の中に現在の四信の初の一念信解と滅後の五品の第一の初随喜と此の二処は一同に百界千如・一念三千の宝篋・十方三世の諸仏の出る門なり」「一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり」と蓮師が述べてますから、石山彫刻本尊を卒業しても、充分蓮師の指向された‘法華信仰’は成り立つでしょう。三宝義も日蓮本仏を捨てて時師撰の「日興上人御伝草案」に記された「本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫常住不滅我本行菩薩道所成寿命今猶未盡復倍上数の本仏也。法を云へば妙法華経の涌出、寿量以下の十四品本極微妙諸仏内証八万聖教の肝心一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経也。弘通を申せば後五百歳中末法一万年導師也」に回帰すれば、蓮師の祖意に一歩近づいたものとなるでしょうね。
1191
:
犀角独歩
:2005/03/30(水) 09:34:38
「…我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏…仏、既に過去にも滅せず未来にも生ぜず…」
と『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』に云う以上、れんさんが引用される時師文献は、その意を受けたものであり、つまり、蓮師ばかりではなく、興門上古では、当然のこととして、釈尊本仏は至極であったことが窺われますね。
1192
:
吉祥仙人
:2005/03/31(木) 05:45:48
犀角独歩さんへ
>1189
正直言って、私は恐ろしいのです。
例えば、今まで親だと思っていた男が、実の親を殺した敵だった、ただの養父だった。と言うような。
三大秘法の中の一大秘法「本門戒壇の大御本尊」を否定すると。過去の大部分を否定せざるを
えないと思うのです。
弱さと言ってしまえばそれまでですが、創価学会が本説を認めず、阿部管長を非難しているのも
単なる戦術ではなく、大多数の会員の気持ちを慮ってのことではないでしょうか。
1193
:
犀角独歩
:2005/03/31(木) 07:31:32
1192 吉祥仙人さん:
> 創価学会が本説を認めず、阿部管長を非難…大多数の会員の気持ちを慮ってのこと
これはまったく、そのとおりでしょう。
しかし、事実とは違うことが、事実です。
お気持ちはよくわかります。というか、かつて自分が歩いてきた道です。
わたしは生まれながらの「日蓮正宗創価学会」員でした。それも親は熱心な活動家。
ですから、わたしにとって、蓮師が本仏であることも、「本門戒壇の大御本尊」が究竟の本尊であることも、太陽が東から昇るのと同じ必然的な出来事でした。
しかし、太陽は東から昇っていたのではありませんでした。
わたしの尊敬する故セーガン博士は「この科学の時代に未だに太陽が昇ると言っている」と慨嘆したものでした。そうですよね。太陽が昇るのではなく、地球のほうが廻っていたのです。このことに人類が気が付くのに、どれほどの時間がかかったことか。しかもそれをよくよく理解したあとでも「太陽が昇る」という慣用表現は生き続けています。しかし、事実は動きません。
結局のところ、わたしが辿り着いた「事実」は、残念ながら、けっして動きません。
ただ、かつてわたしも日蓮本仏(人)・戒壇漫荼羅(法)という本尊なき信仰など、思いもよらなかったのです。しかし、れんさんもお記しのように、では、蓮師の真の教えとは遡源していったとき、そこには日蓮本仏も究竟の戒壇漫荼羅もありませんでした。
つまるところ、日蓮の教えにあらざるものを日蓮の教えと信じていたという自画像だけが、陽炎に揺れていただけでした。
真実を受け入れることは、苦悶の選択です。しかし、その道程を経ない限り、真実に至れないのです。
1194
:
大勇者
:2005/03/31(木) 11:44:00
>1192 吉祥仙人さん
私は、大石寺板曼荼羅に対しての思い入れというのはほとんどありませんでした。
実は一度も見た事が無いんです。大石寺には行ったことはあるのですが正本堂には入れてもらえませんでした。
末寺で頭に「しゃもじ」をのせられた思い出が幽かにあります(笑
私を折伏した学会員が「しょうがない。寺で入会するしか方法ないな」と言っていました。
多分、破門直後だったのでしょう。
それ以来一度も末寺に入った事も無いんです。
其の為か、不謹慎かも知れませんが、
偽作論には「真実探求のロマン」のようなものを感じながら読ませて頂いております。
余分なレスでした。すみません。
1195
:
犀角独歩
:2005/03/31(木) 12:15:47
横レスとなりましょうか。
1194 大勇者さん:
> 「しゃもじ」
受戒のことですか?
あれはしゃもじではなく、巻いた漫荼羅本尊でしょう。
日蓮宗の、「持(たも)ち奉るや否や」と僧侶が経巻を差し出し、それを信者が「持ち奉るべし」と受け取る経巻頂戴儀式を模倣し、妙法華経典の代わりに漫荼羅本尊を、それも手ではなく頭(こうべ)で頂戴して、受戒の儀としたものと観察しています。
> 偽作論には「真実探求のロマン」
はあ、そんな偽作論というのものがあるのでしょうか。
わたしからすれば、学会を含む石山の、信仰全般にわたる楽観的観測と思い入れ、(いや、思いこみ)、殊に「世界平和」だなんだという大騒ぎのほうがロマンと映じます。
1196
:
彰往考来
:2005/03/31(木) 12:28:57
>1194 大勇者さん
「真実探求のロマン」というより「名探偵コナン」の謎ときですね。
私にとっては。
1197
:
大勇者
:2005/03/31(木) 17:19:28
>1195 独歩さん
真剣に研鑽なさっている方々を茶化す様な表現になってしまいました。すみません。
「ロマンチック」の意味で用いたのではないのですが、日本語は難しい(汗
浪漫より「ナチュラリズム」の方が適切ですね。
独歩さんのHPやこのスレッドを読んで、私は意外とすんなりと偽作の事実を受け入れられましたし、納得してしまいました。
分かってしまうと、私にとって「板曼荼羅」に対する想いはあとにのこされる「探求心」だけになってしまったような気がします。というより本当は「板曼荼羅」に対して信仰心を持っていたのかどうかさえ自分自身疑心暗鬼なのですが、一度でも手を合わせた事があれば違ったのかもしれません。
>巻いた漫荼羅本尊でしょう
自分は事情があって、本尊授与しなかったのです。
PS、皆様の研鑽に感謝いたしております。
1198
:
犀角独歩
:2005/03/31(木) 17:51:00
1197 大勇者さん
「茶化された」とは思っていませんから、謝罪には及びません。
> 「板曼荼羅」…「探求心」だけ…信仰心…自分自身疑心暗鬼
これはけっこうなことであると思います。
わたしは、創価学会総体がはやく彫刻本尊から卒業してほしいと思っているからです。
ただ、かつて800万人から500億円以上の集金をし、正本堂を建てる際に、何故、その真偽を糾明しなかったのかは、悔やまれます。
>>> しゃもじ
>> 巻いた漫荼羅本尊でしょう
> …本尊授与しなかった
これはまだ誤解があるようなので、重ねて申し上げますが、「しゃもじ」のように見えた頭に載せられたのが受戒用の巻いた形の漫荼羅本尊で、和紙でくるまれてさらに熨斗が付いて横に広がっているから、そう見えたのではないかという意味です。(わかりますか? このような点が通じないと言うのは微笑ましいというか、時代が変わった実感が本当にします)
1199
:
パンナコッタ
:2005/03/31(木) 21:23:23
> しゃもじ・・ エンマ大王様のシャクですよ(ウソ)
一応巻いた曼陀羅ですよね。ウチの方の末寺の受戒ではよく分かりましたよ。
昨日、 犀角独歩さんに縮尺を補正した曼陀羅主題のOHPフィルムを見せて
いただき、「ホントそのまんまじゃないか・・」としか言いようのない物でした。
1200
:
犀角独歩
:2005/03/31(木) 23:33:45
パンナコッタさん、昨日は遠路、有り難うございました。
> 「ホントそのまんまじゃないか・・」
率直なご感想、有り難うございます。
仰るとおり、石山彫刻本尊の大字と禅師授与漫荼羅のそれは仰るとおりですね。
1201
:
吉祥仙人
:2005/04/01(金) 05:29:38
犀角独歩さんへ
>1193
故カールセーガン博士の遺作というべき「科学と悪霊を語る」の中に、中世ヨーロッパでの
魔女狩りを「イカサマ」と断じた勇気ある本、トーマスアディ著「暗闇の中のろうそく」が
紹介されています。ロンドンの一聖職者が魔女狩りが横行する時代に著したそうですが、
セーガン博士は「ろうそくの炎は、今も無知の強風に揺らいでいる。」と嘆いておられました。
「無知」と「無疑」の違いはどこにあるのでしょうか。
全てを知って信仰を貫くことは可能でしょうか。
犀角独歩さんは今、何を本尊とされていらっしゃるのでしょうか。・・・・・・
1202
:
犀角独歩
:2005/04/01(金) 09:40:03
1201 吉祥仙人さん:
> 「無知」と「無疑」の違い
「無知」は、哲学における知の帰結でしょうね。「無知の知」です。
しかし、セーガン師等が言われるところは、雖念さんもご指摘された「確証バイアス」、また、ハッサン師が言う「思考停止の技術」と言った、自分の信念大系を揺らがす事実の前で、「考えることを放棄する心理プログラム」でしょうね。
しかし、無知の自覚は知の帰結です。四弘誓願の一つ、「法門無尽誓願智」は、そんな態度と親和性があります。無知の自覚は止むことのない探求心の源泉でしょう。
いっぽう、「無疑」は、つまり「以信得入」「無疑曰信」という、妙法華ドグマとも言うべきバカバットギータの影響を受けた「大乗仏教」のバクティ汚染以降の在り方でしょう。信から疑を排除する姿勢に、わたしは仏道を見ません。
ただし、「無疑」は、その解釈次第で意味を持つところはあります。
「疑い無く」では上述の批判に当たります。「疑わず」ならば「不疑」であって意義を異にします。わたしは、「疑いを無くしていく」という進行形でこの二字を見たい。自分の心のなかにある疑問点を次々と論証しながら無くしていくということです。しかし、この方法は「○○は絶対である」という演繹的な立論からははじめれば、必ず失敗します。
疑いを無くしていくことは、旧来の自分の信念大系を、知った事実に従って日々書き換える勇気と換言したい。疑えない事実こそ、信に値するものです。
> 全てを知って信仰を貫くことは可能でしょうか。
それまでの、自分が信じていたことであれば、もちろん、不可能でしょう。
また、そのようなものに執着する必要もないでしょう。
何より元来、仏道と信仰とは別意であるというのが、わたしの結論です。
仏道の有様は、信仰一本槍ではなく、結局のところ八正道と言われる如く心身の行動規範にあります。絶対者へ信仰隷属する心身の解放こそ、実は仏道の本来的有様ではないでしょうか。
> 犀角独歩…何を本尊
結論から申し上げれば、わたしは、本尊という考え方自体は仏道に馴染まないと考えています。儒仏一致、もしくは顕密一致で生じた後代の添加であると考えます。蓮師もその影響下にあったということでしょう。また、唯一絶対を選択していく、いわば消去勝劣選択は差別の言い訳を提供する以上の意味を今日的には持たないと悲観的に見ます。
では、なにを灯明とするかといえば、それは正しく教「法」です。
そして正道にある「自」である故に、集団・指導者・絶対者に縛らず、「独り歩く」ということです。(学会初期の言い方を使えば「一人立つ」でもけっこうです。組織・指導者に追従せず、一人立つ精神というのであれば、意を同じくします)
標榜するところは八正道であり、四聖諦です。
さらに付加するところがあれば、自利利他であり、法華で見れば衣座室の三軌です。
そして、あるべき姿勢は、あくことの無き真実の探求であり、知り得た事実を正直に受け入れることであり、そこで生じる苦の克服でしょう。利他面で言えば、自身が知り得たことを秘密とせず、万人に与え、「信仰」に囚われる狭量な閉じた心を開いていくことです。
1203
:
吉祥仙人
:2005/04/02(土) 05:52:16
犀角独歩さんへ
>なにを灯明と〜正しく教(何と読むのでしょうか)「法」です。
「法によって人によらざれ」ということでしょうか。そうすると法を説く人(僧と言ってもいいでしょう)は
釈尊も含めて、尊崇する対象ではないのでしょうか。
私がこちらにお邪魔した最初の疑念は「池田名誉会長は指導者であって、本仏などではない」
と言うことでした。それは確認できたと思っております。
ある程度、対話の成果が得られたことを嬉しく思います。
1204
:
犀角独歩
:2005/04/02(土) 07:54:17
> 法を説く人…僧…釈尊…尊崇する対象
譬えを挙げましょうか。日本国憲法を説くから、裁判官を尊崇し、弁護士を尊崇するのか?というと、別段、そんなことはないでしょう。
釈尊は教法(きょうほう)を生涯実践し続けた先覚の修行者でした。しかし、死んでいまはいらっしゃらない。そこで、自分の死後は、教法を灯明とせよと遺言されたわけです。僧も、その後の実践者も、そのように生きてきたわけです。死者に敬意を払い、生きる実践者に敬意を払うことは別段、否定されることではありません。しかし、それは実践の手本としてであって、しかし、実践する法がその上にあるということです。
> 池田名誉会長は指導者であって、本仏などではない
この言葉を、あたかも創価学会員が考え出したと思っていらっしゃいますか。
このように最初に言ったのは、正信会の僧侶たちであり、何より、そう主張し、創価学会を弾劾したのは故「日達上人」でした。いわく
「最近ある所では新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります」
その後、池田さんは、反省して、「会長本仏論」にピリオドを打ったのが、以下の文章でした。
『恩師の二十三回忌に思う』創価学会名誉会長 池田大作
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html
このなかで、「“会長本仏論”について、重ねて申し上げておきたい。…代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第3代会長の任に就きましたが私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです」(『聖教新聞』昭和55年4月2日1面)といい、創価学会内部において、会長本仏論が言われてきたことを認め、それを否定しています。
それ以降の指導に基づいて、いまの若い学会員たちは、吉祥仙人さんのように「池田名誉会長は指導者であって、本仏などではない」と考えるようになったのでしょう。
これが経緯であり、実際の歴史です。
そのような歴史を知らないと、あたかも学会を批判するために「会長本仏」が論われ、それを否定するのが学会員というまったく転倒した思いに駆られることになるでしょう。
ところで、指導者である池田さんは、では、何を指導しているのでしょうか?
1205
:
犀角独歩
:2005/04/02(土) 09:27:11
わたしたちが「池田本仏論」の是正のために、宛われた資料がネットにアップされていました。ご参考に。
特別学習会テキスト
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/gakuindex.htm
1206
:
犀角独歩
:2005/04/02(土) 10:41:48
「山友が捏造した虚偽であり、学会にはそんな考えはまるでなかった。
それにも拘わらず、それを真に受けた日達師が騒いだのが宗創第一次紛争だった」
いま、創価学会では以上のような筋で「会長本仏論」を山崎氏が正信会と結託して、捏造したとされるのでしょうか?
まるで、山崎氏など庇い立てする気はありませんが、しかし、実際のところ、会長本仏については昭和40年代にはすでに語られていました。
「大聖人様以外に本仏があると言ったら、これは大変なことである。どうかそういうことを耳にしたならばどうぞ‘それは間違っている’ということを言って頂きたい」(御法主日達上人猊下お言葉集 P154/蓮華37号/昭和49年4月25日/法華講春季総登山会お目通り)
それでもいったんは終息を見たのは、1205に挙げた『特別学習会テキスト』で是正をし、11・7お詫び登山があったからでした。また、『恩師の二十三回忌に思う』での謝罪があったからでしょう。しかし、やはり、終わりませんでした。
その後、昭和53年に『ある信者からの手紙』が達師にもたらされたといいます。
この手紙は山崎氏の捏造であったと言いますが、「会長本仏」に関する以下の記述までが捏造であったということにはならないでしょう。
「池田会長の側近、及び直系と云われる弟子達の間には、次の二点は 自明の理であり 端的に云うならば、この為にこそ学会首脳部の団結は維持されていると断言出来る。第一点は、池田会長は仏であり、なかんずく末法の御本仏の再誕である、と云うことである。
このことは、種々の点から次第に表面化してきたが、今にはじまったことではなく 例えば 昭和四十五年以前のあかずの門を開く者についての言及とか 御義口伝講義の際の言葉、学会内での扱い等で昔からはっきりしていた。池田会長のやり方の巧妙さは、自分から云わずに、側近に云わせ、そしてそれを云う側近を大いに用いることによって皆にそれを習わせると云う点にある。
福島源次郎や野崎勲はその典型である。
ちなみに学会内では、あらゆることが報告書となって会長のもとに届き会長みずから決裁するシステムになっている。
一寸した頂物の御礼まで、必ず会長直に目を通す。
従ってどんな行為も、会長が知らないで行われると云う事はあり得ない。まして学会にとって一番神経をとがらせている本山や寺院のことは、ことこまかに会長が指示してやらせている。たいていは はじめ青年部や副部長にかみつかせあとで自分が出て おうように許す、と云う芝居の筋書を自分でつくるのである。
従って、会長本仏論は 全くの自作自演である」
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/tegami.htm
1207
:
犀角独歩
:2005/04/02(土) 10:42:42
―1206からつづく―
結局のところ、宗創は離間したわけで、その意味では、以下のように書かれた点は、まるでそのままとなったことになります。
「池田会長はその源泉を歴代会長の権威に求めた。
即ち牧口、戸田、池田とつづく会長の系図に本山の相伝の形式をだぶらせて会員に浸透させた」(同)
つまり、これは新『創価学会会則』の
「第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の『三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」
という点と一致しています。また、
「学会側のスケジュールでは、あと三年(昭和56年)で経済力もととのい、会員も学会独自路線につかせてしまうことが出来墓地や会館等の施設によって固定化出来ると云っており 猊下の在位もその頃までとみて それから チャンスと云っている。
又与党との連合にせよ、国家権力に関 するようになれば 社会からの圧力は弱まり遂に権力をもって 宗門を押えることが出来ると云っている。
一千万世帯をこえれば本尊下府はなくとも良い。国の法律で本尊を国有化することも出来るのではないか、宗教法人法の改正も出来よう」(ある信者から手紙)
という点も、その後の学会動向とほぼ軌を一にしています。
「一千万世帯をこえれば本尊下府はなくとも良い」とは、その後の動向から記せば、「一千万世帯をこえれば本尊下付は‘大石寺からしてもらわ’なくとも良い。自分たちで独自でやる」ということで、1000万世帯達成以前に実現されました。(実際のところ、公明党・1000万票の集票もままならないわけですから、1000万世帯達成は、実現することはないでしょう)
新しい学会員からすれば、漫荼羅本尊が学会本部から授与されることに、何の抵抗もないでしょうが、わたしのような昭和30年代から創価学会を知るものにとっては驚天動地の恐怖を覚えた路線変更でした。しかし、そのことを山崎氏は作文し、その内容がその後の動向と一致したということは、すでに昭和53年の段階で、実際に学会内部で囁かれていたことを物語るようにわたしには読めます。
以上のような経緯がある故に、吉祥仙人さんが「池田本仏論はない」と言われても、俄には鞘に収める気になれないわけです。
1208
:
大盛
:2005/04/02(土) 18:56:19
独歩さんは考えが変わったんですね。確か以前は法勝人劣には反対の立場でしたよね。
1209
:
愚鈍凡夫
:2005/04/02(土) 21:15:15
横レス失礼します。
参議院大阪選挙区得票数の推移
2004*********795256
2001*********864154
1998*********872294
1995********1015919
1992*********753205
1989*********775935
得票は減っても、一応は常勝関西のようです。
ただ、少なくとも大阪は、確実に創価学会員が減っていっています。 ビクッ((・・;ユ。。。((;^^)
あれれっ、スレ違いだったような気がする・・・・・。 (^^ゞ
1210
:
犀角独歩
:2005/04/02(土) 22:24:12
大盛さん
> 独歩…変わった…以前は法勝人劣には反対の立場
鋭いご指摘、有り難うございます。
この件については、以前、問答さんと議論したことがあったと記憶します。
その時点で問答さんは、たしか法勝人劣を主張されてお出ででした。一方、わたしは仏勝法劣と言った立場を採ったと思います。
まず、この点について、総括すれば、確実な蓮師資料から見る限り、この軍配は、問答さんに上がると思います。つまり、蓮師は法を仏の師とし、また法華原典でも、法華経によって仏になることが主張される以上、問答さんのご見解の法が正しかったと、いまは考えております。まさにその意味では、仰るとおり、わたしは考えを改めました。
以上は蓮師・法華の範疇です。いまのわたしは、そもそも久遠仏信仰自体を卒業していますから、殊の外、「本尊」に対する拘りはないということです。ただし、棄てたということではありません。漫荼羅があれば手も合わせますし、釈迦像にも手を合わせます。しかし、阿弥陀、大日等の像に手を合わせることはありませんが、これは信仰信念というより、気分の問題といったほうが的確かもしれません。
わたしの尊敬する方の一人に「行明上人」という方がいらっしゃいます。
インド、26年の布教、寺院を3宇建立もされた方です。
「何故、仏教を選ばれたのですか」と尋ねたことがありました。
すると「仏教だけが、かつて生きた人間に基づく教えだからです」と答えられました。
それを聞いて、わたしも、ポンと手を打ったわけです。「なるほど」と。
シャキャムニは、かつて生き、呻吟し、修行し、そして、多くの示唆と、修行の在り方を後世の人々に遺した実在の人物でした。その生きていたシャキャムニを遠く仰いでいます。しかし、それは「信仰」とはやや違い、先に記したとおり、「敬意」に近い感情であると言うことです。
1211
:
犀角独歩
:2005/04/03(日) 22:03:32
ファリオンさん、では、こちらで「偶像崇拝」について、発題をお願いします。
1212
:
ファリオン
:2005/04/03(日) 22:29:06
では、改めまして。皆さん宜しくお願いします。
つぶやきスレッドでの、大勇者さんとの話の中で「偶像崇拝」に関する話が出ました。
私の考えは「偶像=媒体」であり、御本尊もその範疇に含まれるのではと思っています。
私のような部外者から見ると、御本尊は単なる掛け軸(失礼)という認識ですが、皆さんの議論を見ていると、信仰する方にとってかなり重要な物であると思います。
そこでお聞きしたいのですが、日蓮師を信仰されてる皆さんにとって、御本尊はどういった位置付けなのでしょうか。
御本尊に対する思いを、お教え願います。
1213
:
犀角独歩
:2005/04/03(日) 22:36:42
ファリオンさん、ちょっと、最初にご見解をお聞きします。
わたしから見れば、紙に書いたものであろうが、こしらえたものであろうが、頭の中で考えたものであろうが、偶像は偶像だろうと思うわけです。
それが頭の中に浮かぶイメージだとよくて、作ったものだと偶像だというのが「目糞鼻糞を笑う」議論と思うわけです。
また、関西はどうか知りませんが、東京の教会は十字架がかかっていて、キリストの絵なんかもあります。カソリックとなると、マリア像がありますね。そういうものは偶像ではなくて、仏教の絵像仏像の類は偶像であるという、ここら辺の線引きは、キリスト者の頭のなかではどうなっているのでしょうか。レクチャー願えませんでしょうか。
1214
:
パンナコッタ
:2005/04/03(日) 22:45:23
創価学会二代会長の戸田さんは、掛け軸は紙だけど紙には力があることを力説していました。
「お札は紙だろう。借金の証文も紙だろう。紙には力がある。書いてあることが大事なんだ」と。
これを聞いて単純に「そうなんだ〜」と、思っていました。今聞くと、強引なコジつけですねぇ。
1215
:
問答迷人
:2005/04/03(日) 23:00:43
ファリオンさん はじめまして。
>御本尊に対する思い
僕が捉えている蓮師の教えは、南無妙法蓮華経と唱える事に尽きています。その『唱題』する我が一念に仏国土が具わる、と言うのが蓮師の教えであると捉えています。
ですから、僕は、ご本尊と呼ばれている蓮師の曼荼羅は、このお題目を唱える我が一念に仏の国土が具わる様を図示したものであると捉えています。
中央の『南無妙法蓮華経』が唱題を表し、『日蓮』が唱えるわが身を表し、『釈迦多宝以下の十界』がわが身に具わる仏国土を表していると。
結局、唱題の方軌を指し示した物であると。
1216
:
ファリオン
:2005/04/03(日) 23:10:11
犀角独歩さん
私も詳しい訳では無いのですが、基本的には、偶像とは主に人物を表現したものを指すと思います。
キリスト教の場合は、関係有る人物以外(異教徒)を指しているようで、聖書の一場面を表した絵などは、教会の方が積極的に描かせています。
また、ご存知の様に多くの宗派に別れているので、細かいところは解りません。
私自身は、一般的な認識(仏像や絵画)に加えて、それに類するもの(十字架そのものなど)も含めてよいのでは、と思っています。
1217
:
ファリオン
:2005/04/03(日) 23:23:30
>>1215
問答迷人さん
宜しくお願い致します。
ご返答、有難う御座います。
信仰の指針と捉えて宜しいでしょうか。(間違っていたら御免なさい)
そう言われると、なぜ種字曼荼羅に近い形なのか解るような気がします。(皆さんの思っている理解とはほど遠いかもしれませんが)
1218
:
愚鈍凡夫
:2005/04/03(日) 23:27:16
>>1214
:パンナコッタさん
でも、なんですよね。
ソ連が崩壊せんとするとき、札束が紙屑同然になったことを思い出しました。
一国が崩壊せんとする時、その国家の信用の下に発行される紙幣が、大幅に額面割れして二束三文になることがありました。
結局、紙に書いた文字が効力を発揮するのは、多数の人々がその効力を是認しているからであり、信用が人々に安心感を与えているかに他ならないのではないでしょうか。紙に書かれた文章や印章に、直接そのような力があるのではないと言えるのではないでしょうか。むしろ、紙に書かれた文字や印章に力を与えているのは、法律といった社会ルールではないでしょうか。それさえも、時として意味を成さなくなりますが・・・・・。
だから、紙に何が書かれていようと、ただの紙屑になることもありえます。もし、戸田さんがこういうふうに突っ込まれたら、どう答えるのでしょうね。
1219
:
パンナコッタ
:2005/04/04(月) 00:02:03
愚鈍凡夫さん、どうなんでしょうかねぇ。
「家庭にあるご本尊は線香の煙などでお取り替えになるかもしれないが、本門
戒壇の大御本尊は厳然としてお山にある。だから二束三文になるなどのことは
絶対にない!!!」(勝手に想像)などと言って切り返したでしょう。
とにかくこうゆう事に関しては天才的な才能の持ち主ですよ、戸田さんは。
戸田さんは終始ソ連のことをロシアといってましたし
1220
:
パンナコッタ
:2005/04/04(月) 00:32:33
尻切れトンボになっちゃった。すんません。
戸田さんは終始ソ連のことをロシアといってましたし、「その親方」とか「人気のネルーさん」
とかの言い回しも含めて、とにかく会話が魅力的なんです。
だから難解な仏教用語や理論が解らなくても「先生に付いていけば・・」と
思わしてしまう話術の持ち主なので簡単に切り返すでしょうね。
唯、歴史的・学術的に正しいかどうかは別ですけど。
1221
:
愚鈍凡夫
:2005/04/04(月) 00:32:45
>>1219
:パンナコッタさん、どうもです。
単なる呟きのつもりだったんですが、戸田さんに成り代わってお答え下さり、有り難うございました。 (^O^)
でも、紙幣や証券は価値が変動するものですから、漫荼羅をこの紙幣や証券に譬えた時点で論理破綻しますよね。まぁ、屁理屈で逃げるしかないように思います。
ただ、譬えの善し悪しは別として、教団運営を経済化した戸田さんらしい譬えだと思います。
1222
:
吉祥仙人
:2005/04/04(月) 04:45:06
よこからゴメンナサイ
1980年代、創価学会では身延系を破釈する時、「日蓮正宗のご本尊は本物の
1万円札、他の日蓮宗は精巧に作られた偽1万円札。諸々の邪宗より罪が重い。」
と言っておりました。
まあ、私は他の日蓮宗の信者の方を折伏する機会はありませんでしたが。
当時、ある学生部の先輩幹部から、「ご本尊はあくまでも『対境』であって、
本来は『胸中の肉弾におわします』だ。」と指導されました。
私自身、ご本尊を荘厳しているつもりで、線香の煙でいぶしていて、それが
原因かどうかはわかりませんが、装丁がおかしくなったので、指導を受けたのでした。
「対境」なら、その発行元の正邪が問題なのであって、歴史ではない。
と、今は思っております。
1223
:
問答迷人
:2005/04/04(月) 06:28:10
ファリオンさん
>信仰の指針
そのように僕は捉えています。真蹟遺文の「太田殿女房御返事」には、「即身成仏の手本たる法華経をば指しをいて」(弘安三年 平成版御書1473頁)とあります。修行のお手本であると捉えています。
1224
:
犀角独歩
:2005/04/04(月) 09:03:06
なかなか、活発な議論になっていますね。
偶像というところから、話が発展したわけですが、要は、大乗仏教というのは、蓮師の教えを含めて、紙に書いた尊像(字であれ、神仏であれ、人であれ)に神秘的な霊力が具わり、祈願を成就させたりするかどうかというのが仏教的な課題。それに対して、キリスト者が言う偶像崇拝は異教の神の否定であるけれど、自分たちの尊敬対象ならOKということ。まあ、そんなところなのでしょうか。
漫荼羅本尊に向かって蓮師は題目を唱えたかどうかというのは、わたし自身、結論が出ていません。これはのちに譲ります。
ところで、仮に紙に書いた文字が本尊である場合、それを祀り、拝むことは是としても、それを処分する点が、埒外におかれる点にわたしは疑問を持ちます。
先にも紹介したことがありましたが『富士の清流』に載った元坊さんの記事によれば、石山には返却された印刷本尊を燃やす焼却炉があるといいます。それまで、仏同様に扱われていたものを燃やしてしまうということは、いったい、どうなのでしょうか。
このような事情は、創価学会でも曖昧模糊としていますね。石山から離反後、自前で頒布をはじめ、それまでの石山本尊と積極的に取り替えさせた。では、それで回収した元の本尊はどうしたのでしょうか。この点は闇に葬られています。
もし、紙に書いた尊像が、それが墨であれ、印刷であれ、仏に等しいものというのであれば、この最終段階の扱いこそ、信仰の真価を分けるところでしょう。
ちなみに他宗では、形式的であるにせよ、入魂・脱魂という儀式があり、魂を入れた段階から仏、修繕したり・廃棄する場合は魂を脱いてからするという一定のルールがあります。
石山は、この点は杜撰ですが、「御開眼」というのはやるようで、その後、信者が手で触れたり、勝手に移動すると、仏ではなくなるというのが、いちおうの言いようです。しかし、脱魂に当たる形式はないわけですから、仏のまんま、火にくべていることになる。これが、(彼らが言う)謗法に当たらないのか?という疑問がわたしにはあります。
学会は、この点は、まるでないわけですね。「多くの仏」を、どう処分し、それが教利的に、どう説明されてきたか、という点が言われなければ、不十分であると、わたしは思います。
1225
:
藤川一郎
:2005/04/04(月) 09:20:24
横レスですが、石山では「開眼」に対して「閉眼」はありますよね。
これが「脱魂」に当たると思っておりますが・・・!
1226
:
パンナコッタ
:2005/04/04(月) 10:00:21
一般的には、閉眼の意味を込めての「御炊き上げ」というイベントがありますよねぇ。
石山にないのが逆に不思議のような気がします。
1227
:
犀角独歩
:2005/04/04(月) 10:01:34
藤川一郎さん、石山義で「閉眼」がありますか?
1228
:
犀角独歩
:2005/04/04(月) 10:07:46
パンナコッタさん、つまらないつっこみで恐縮ですが、「お炊き上げ」は「お焚き上げ」かと(笑)
護摩(ホーマ)の延長にある儀式ですね。
日蓮宗一般でも行われていますね。
仰るとおり、清浄な火で焼き清め滅することが閉眼・脱魂に当たると言うことでしょうか。焼却炉で燃やすのではその意義に当たりませんが、「火葬炉」で焼くとなると、その意義に当たることになりますか。荼毘というのも、そんな延長にあるんでしょうね。
1229
:
パンナコッタ
:2005/04/04(月) 13:14:22
ああ、すみません。これじゃ炊き出しですね。
1230
:
大勇者
:2005/04/04(月) 13:25:05
戸田氏がキリスト者と言う事は聞き及んでおりましたが、内村鑑三の影響があるとは知りませんでした。学会と無教会主義との共通点など何点か考察出来るかもしれませんね。
プロテスタントに於いての「偶像否定」はある程度徹底していると思っています。
私のドイツ改革派ルーツを持つ教会では、「十字架」こそ教会内にありましたが、マリア像や十字架のネックレスは一切排斥されておりましたし、「十字架」に対して祈るのではないと言う事を教育された記憶があります。内村鑑三の無教会主義に至っては十字架さえも据えないとの徹底ぶりと記憶しております。十字架を偶像と言って良いかどうかは解りませんが、何かしら「シンボル的」な拠所や物を差し引くと宗教に何が残るのだろうか?とも思います。
人道主義、人格主義、はたまた人間主義、生命主義の類でしょうか。
内村鑑三や戸田城聖はここに「教育」というものを見たのでは?と思います。
内村鑑三の弟子である松前重義の「教育の場」は現在大成功を収めたと言っても過言ではありません。然し宗教色は皆無になったと言ってよいでしょう。
対照的にもう一人の弟子の鈴木弼美の「教育を通して伝道しよう」とのスタイルは山奥での共同生活を行った事もありましょうが、弘めるまでには至っていません。
http://www.asahi-net.or.jp/~pv8m-smz/archieve/Gott_Mensch_Erde4.html
「本尊からの卒業」「偶像からの卒業」は弘布や教団維持を考えるとかなり困難な道であろうと思います。
1231
:
犀角独歩
:2005/04/04(月) 13:43:54
1230の大勇者さんのご投稿、頷けるところがありました。
「教育」ですか。なるほど。教育へ転化していくのは社会一般から見れば、安全な変化ですね。しかし、教育を宗教の道具にするとなると、とたんに事情が変わります。
戸田さんが大勇者さんが記されるような内村鑑三の考えにあったとして、ならば、なんでまた、彫刻本尊やら、「御肉牙」にあんなに感動していったのでしょうか。不思議ですね。
> …本尊…偶像からの卒業…困難な道
何度も引用している文章ですが、わたしは高橋師がいう「シンボルの病」という概念に賛成です。結局のところ、シャキャムニの目指したところは、この脱却であり、今のテーマで言えば、偶像から脱却であったと思えます。
「教祖の釈迦は、現代のカルト的宗教が説くような、「私を信じなければ不幸になる。地獄におちる」式の脅しの言説は一切していない。
とはいえ仏教が輪廻思想から自由でないのは、当時のバラモン(婆羅門)や沙門(シュラマナ)たちが共有していた文化的な枠組みのなかで釈迦が生きていたからだが、釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決であり、苦悩の原因が執着によっておきることを解き明かし、それらは正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたるという極めて常識的な教えを提示することだった。とすれば人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できることで、したがって釈迦は秘技伝授の超能力者でも霊能者でも、ましてや「最終解脱者」でもなく、もちろん「神」のような絶対者でもなかった。しかしカリスマを求める周囲の心情はいつの時代も変りがない。死後の釈迦は次第に神格化され、俗化される。たとえば釈迦の骨がフェティッシュな崇拝の対象となったり、、釈迦の言説とされる教典それ自体が信仰の対象となったりという、釈迦が最も忌避した「執着」へ人々は再び回帰したのである。そこにあるのは象徴(シンボル)の病である」(『超能力と霊能者』現代の宗教8 岩波書店1997年2月5日第1刷 P215)
要は、この問題を追及していくと、学会を含む石山の有様が仏教と言えるのか?という難題まで孕むことになるのでしょう。
1232
:
愚鈍凡夫
:2005/04/04(月) 14:33:49
それにしても、お札の束が現世利益をもたらしてくれるのは事実ですね。戸田さんの気持ちも分からないではないです。
その内、福沢諭吉の墓に詣でて現世利益を願う新興宗教が出来たりして。 (;^_^A アセアセ…
結局は、的がなければ自分の日々の信仰心を何処に向けていいのか分からない、といった事情が偶像を進化させてきたのでしょうね。
1233
:
藤川一郎
:2005/04/04(月) 18:39:54
>>1227
> 藤川一郎さん、石山義で「閉眼」がありますか?
独歩さん、本当は知ってて言ってないでしょうね(笑)?
古くなった御本尊を納めたときや、紙幅の御本尊の表装のお取り替えの時とか、板御本尊のお化粧直しとかをお寺に頼みますと、寺院の御寶前で閉眼をするじゃないですか?
1234
:
藤川一郎
:2005/04/04(月) 18:48:46
ちなみに・・・
その昔、未だ創価学会が石山内にいたころの話ですが、
ある創価学会員が引っ越すので、御本尊をお巻きしていたら、創価学会の一幹部が「勝手に巻いたらだめだよ。今から閉眼するから」と怒ったそうです。
そして、経文を読んで「ただいま閉眼が終了しました」等とやったそうです。
それを見ていた引っ越しを手伝っていた法華講員は何も言えずにいたそうです。
その方は引っ越し先まではついていかなかったそうですが、恐らくその幹部が「開眼」もしたのでしょう(笑)。
1235
:
ファリオン
:2005/04/04(月) 20:41:05
何だか、私の出る幕ではなさそうな……
ポイントとしては、愚鈍凡夫さんの「的がなければ……」だと思います。
出家された方はともかく、信者となれば、何がしかの祈る対象が無いとやりにくいのではないでしょうか。
あと、日本の場合は、神道における「依り代」の考え方も、信仰の根底として影響しているのでは、と愚考しております。
それなりの「物」を通じて、神仏の力を受ける、つまり、「物」に神仏の力が宿る訳ですね。その時点で、「物」は神仏と同等に扱われます。
このため、仏像やそれに類する物も、仏法の依り代・宗祖の魂の依り代として、考えること無しに祈りの対象になったのでは、と思います。
素人考えですが、日蓮師は、仏像を彫る・描くのと同じ意味で、先に少し書いた種字曼荼羅を参考にして、御本尊を表したのでは、と思います。
仏像と違うのは、教えの基となる仏に相当するものが「南無妙法蓮華経」であり、具象化出来ないことです。
そのため、仏像と同等の扱いをするのではないでしょうか。
ここまで来れば、「偶像崇拝」とは言えなくとも、極めて近い形になると思います。
未熟な論考ではありますが、ご批判の程、宜しくお願いします。(お手柔らかに……(^_^;)
1236
:
かわさき
:2005/04/05(火) 00:19:23
>1234、35
創価学会で開眼なんかやらないし、大石寺で閉眼なんかないですよ。
1237
:
犀角独歩
:2005/04/05(火) 17:39:39
藤川さん、わたしは石山の「閉眼」式なるものに参列した経験はありません。
こういうものがあるんですか。
しかし、言われてみれば、廃仏毀釈の折、「本門戒壇の大御本尊を閉眼し、紙幅に改めた」という話を聞いたことがあるわけで、そうなるとたしかにそんな儀式はあるのでしょうか。
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