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素朴な疑問
877
:
ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>
:2003/11/13(木) 22:50
御同感します、。 さん、続きです。
私は1ヶ月余り前から、創価学会経由で授与された日寛上人の御本尊をお巻きし、御本尊集の中で紹介されていました京都妙蓮寺に現存する聖人真筆御本尊をコピーして、仏壇に奉り拝んでいるのですが、すでに述べましたとおり、どうも私の場合、日寛上人の御本尊より、たとえコピーではあっても、聖人真筆の御本尊の方が、拝んでいると、何故か?感覚的にピタッと来るものがあるんですよねぇ。
それから、これは、もしかすると私自身の単なる思い込みに過ぎず、たまたま?だったのかもしれませんけど、5年前、ある出来事がきっかけで、その事に関する願懸けの祈りをコピー御本尊に向って真剣に行ったら、もしかすると自分の祈りが通じたのではないか?と思えるような結果が生じましたので(私の長い信仰歴においては、滅多にない珍しい事だったのですが)。
何か相性のようなものでもあるのかな?と、そんな風にも思ってみるんですがね。
ところで、他の何人かの人たちも御本尊に関して色々とご意見されていますけど、日蓮正宗は、何故、法主の開眼供養の有無をあんなにまで問題にしなければならないのか?と思いますし、ああいうのって現代的な視点考えてみたら、非常に非科学的な迷信の類と言うべきものではないのでしょうか。
日蓮正宗は、創価学会が会員へ授与している日寛上人の御本尊を否定する理由として、その事を持ち出しているようですが、私にはまるで説得力がないものとしか思えず、逆に創価学会側の日顕上人の御本尊を暗に否定していた発言と来れば、法主の素行等を取り上げてのそれであり、どちらの主張も、実際には何の根拠もない、自分たちに都合好く勝手な解釈をしているだけの単なる妄言ではないかと。
そう言えば、以前、どなたかがどこかのスレッドに、日蓮聖人がどこかの宗派・教団のお偉いさんか誰かと、御本尊の著作権を巡ってのお話をするといったジョークを書き込まれていましたよね。
鎌倉時代に日蓮聖人が心血を込められて顕わされた御本尊は、今現在、一部の?宗派・教団により、単なる商売道具として利用されているのが、現実なのではないでしょうか。
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