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素朴な疑問

868ジャンノレン:2003/11/04(火) 10:03
活発な御意見参考になります。独歩さんが光玉の事を学会の書物で見られたというのは恐らく、「仏法と宇宙を語る」であった
と思います。ページ数まではもう手元にありませんので、記憶違いかも知れませんが、御宗門よりその箇所の科学的解釈にクレ
ームが有ったと思います。私なりに此の御妙判は興味があって調べた時期がありましたので記させて頂きます。

種々御振舞御書(建治2年/身延嘗存)はかつて、身延に真跡断簡が伝わっていたそうですが、どの部分に真跡が残り、どの部分
が真跡の欠落しているか詳しいところは今となっては明治八年の身延山の火災で消失したようです。
身延山の聖教目録の日乾師目録がなかったら、この御書の真蹟問題は恐らく偽書扱いだった事と思います。
日乾師目録には、「種々御振舞御書」の最初の句と終わりの句を記し、「已上十九紙 整足セリ 何モ御筆前後ノ紙ニカカレリ 」
とあり、「佐渡御勘気御書」は「廿一紙 整足」と記してあります。「日蓮の行法観」の著者茂田井先生はこの「整足」について
「後から書き込まれた御筆が前後の紙に入れられ、内容が整えられていると云う事である。日蓮聖人自身が整えられた、というよ
りも、むしろ聖人が亡くなった後に弟子達によって整えられたものもあろう。しかし、この整足するときに他人の筆が入ると云っ
て内容を疑問視し偽書扱いする学者もいるが、整足されて他筆が入れば、日乾は″他人の筆でこれこれの書き込みがある″というこ
とを述べており、私はそれを信じるのである(取意)」(日蓮の行法観・14頁)と説明しています。

乾師目録には別筆・他筆の箇所が有る場合は、きちんと、その事を記されているそうです。もしも頸の座や星下りの箇所が他筆で
あったり偽筆の疑いがあったとしたら、日乾師はきちんと、他筆であることを記したであろうと思われます。乾師目録の正確性を
を正とすれば「種々御振舞御書」を真蹟であったとすべきであると云うのが茂田井先生の見解です。また、小川泰堂居士の当御書
の講義書には、三書を一書に編した理由を述べている部分があります。「此の三章、定んで一編の書なるべしとは先師もすでに評
あり、我は延山に於いて三軸の真蹟を竝観して、まのあたり其の三すなわち一書なることを証知せり・・」(遺文録第廿巻)
とあり、合本の事実はあっても、偽筆の可能性は少ないのではないでしょうか。しかし、当御書の信憑性を生起させるのは、やは
り光り物の記述と、依智での星降り現象の記述でしょう。それは御書中の「これほどの悦びをわらえかし、いかにやくそくをばた
がへらるるぞと申せし時、江ノ島のかたより月のごとくひかりたる物、まりのようにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる」

さらに佐渡の依智という場所の本間六郎左右衛門邸にて「いかに月天いかに月天とせめしかば、其しるしにや天より明星の如くな
る大星下りて、前の梅の木の枝にかかりてありしかば、ものゝふども皆ゑんよりとびをり、或は大庭にひれふし或は家のうしろへ
にげぬ。」当御書の有名な頸の座と星降りのシーンです、当御書で宗祖は全体として流罪に至る経由を述べられ、そして六郎左右
衛門に謀反の出来を教えられ、身延に隠棲されるくだりで終わっています。此の御書のハイライトと言うべき箇所は、頸の座の部
分は「種々御振舞御書・19紙一巻」星下りの部分は「佐渡御勘気御書・21紙一巻」にあったことになっています。小川泰堂居
士がこの二書に「阿弥陀堂法印祈雨抄・10紙一巻断」とを併せて現在の「種々御振舞御書」にしたということ、らしいです。


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