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素朴な疑問
856
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 17:58
ケンさん:
はじめまして。
竜口の光物ですか。挙げられたご質問は多岐に亘り、詳細に答えられるものではありませんが、あるいは知識を蓄積されている方がおられ、開陳くださるかも知れません。それをわたしも期待します。
さて、最近、増補改訂して出版された高木豊師著『日蓮』では竜口法難については、以下のような記述になっていますね。お読みになっていたらご容赦ください。
*** 転載はじめ ***
…「内には頸を切る」ことを考えていたからであろう。
はたして、依智への途上、龍口(たつのくち)において、内意のとおり、日蓮はまさに頸を切られんとした。このとき、供をしてきた檀越四条頼基は日蓮の馬の口にとりついてなき悲しんだ。それは日蓮に「いかなる世にか忘(わすれ)なん」(『崇峻天皇御書』平遺694頁)といわせるほどの悲しみようであった。また日蓮のみならず、供奉(ぐぶ)していた弟子三位房も「同罪に被行れて頸をはねられるべき」であったという(『頼朝陳状』定遺1351頁)。しかし、幸いにもこの斬首は実現しなかった。「いかにしてやありけん、其の夜はのびて依智」についたのである(『報恩抄』平遺623〜4頁)
このように、斬首に処そうとする意図があったにもかかわらず、結局は死刑は免ぜられ、流罪に処せられたのは、北条時宗の妻の懐妊によると考えられる。事実、この歳、貞時が誕生している(辻善之助『日本仏教史』中世篇之一)。これに関連して、日蓮が「大がく(学)と申す人は普通の人ににず、日蓮が御かんきの時身を捨てゝかたうど(方人)して候(そうらい)人」(『大学三郎御書』平遺784頁)と、大学三郎の行為について述べていることに注目したい。大学三郎については、伝承を除けば、ほとんど未詳だが、ただわずかに、大学充(だいがくのじょう)という日蓮の檀越の子息であったろうこと、書に秀で、書を好んだ安達泰盛(あだちやすもり)と書を通じての交りをもっていたことがわかる程度である。ところで、大学三郎と親交があった泰盛はほかならぬ時宗の舅(しゅうと)、つまり、時宗の妻の父であり、懐妊した子(のちの貞時)の祖父に当たる人である。この関係と日蓮の大学三郎についての叙述を重ね合わせれば、大学三郎が泰盛に働きかけ、泰盛は婿(むこ)時宗に孫の懐妊中における日蓮の刎頸注視を進言したのではなかろうか。「身を捨ててかたうど」した意味を、右の関係のなかに置いてみることは十分に可能である(増補改訂『日蓮』高木豊著 株式会社太田出版 P90)
*** 転載おわり ***
良識派の学者であれば、光物を史実として論じる蛮勇を持ち合わせることはないと思えます。もっとも、かく言うわたしも極近年まで、これを事実としてとらえていた一人でした。
論文のご紹介でない点、失礼いたしました。
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