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素朴な疑問

836アネモネ:2003/09/28(日) 22:00
ガンコさん

>うああ、またまた、なが〜い文章ですねえ。これは脅威です。

本当に、皆さまごめんなさい…です。これは、私のビョーキですね。適当な長さに簡潔にまとめる能力に欠けています。しかも、自分で読み返すと、繰り返しの多い非常にくどい文章で、お恥ずかしい限りです。にも関わらず、また長くなってしまいました。
よく読んでくださいなどと厚かましいことは申しませんので、なんとかお付き合い願いたいと思います。

>この掲示板の参加者の多くはかつてどこかの教団に所属していて、そこではじめて仏法にめぐりあったわけですが、ようは、そういう人しか通じない話をわたくし達は論じているのだろうか? という疑問があって、

実は、宅間のスレッドで一番驚いたことがあるので、この際ですから、ここで打ち明けますと、宅間の高校生時代の自室の写真に、いわゆる石山の御本尊がありました。長年の信徒の方は、あの写真を一目見て日顕さんの本尊だとわかるらしいですね。私はそのことに、大変驚愕いたしました。写真一枚で、そこまでの目利きの鋭さを身につけるとは、改めてすごいことだと思ったのですが、これは信徒の中では普通のことらしいです。そういうことも自分の信仰上では、大変なこだわりであり、どうしても問題に出てくることなのでしょう。
ネットの掲示板とは、ある程度同じ土壌や認識の人が集まって意見交換や情報交換をするわけですから、ここでは仏法の入り口をほぼ同じくした人たちが多く集っているというわけですね。その分野におけるマニアックな話ということは、決して避けられない議論でしょう。

>けれどもアネモネさんはもっと普遍的な議論をしているとの自負をもっていらっしゃるように感じますし、

普遍的というか…根本的というか…原点というか…そこを見失いたくないという気持ちですね。そこを見失ったところで、ある意味マニアックな話ばかりに終始してしまうと、ふと何のための宗教なのだろうかと、虚しさを感じてしまうんです。そのような、ごく限られた人にだけ通じる狭い議論に終わってしまうと、じゃあその話は一体、宗教の目指す本来的な目的とどういう脈略や関係があるのだろうかとふと思ってしまうのです。
私は、かつて法華講組織の中でも、「釈尊は何のために教え(仏教)を説いたのですか?」ということをよく質問しました。成仏を目指すというなら、まずそこの部分をしっかり押さえてくべきではないかと思ったのです。ただしかし納得のいく答えを示してくれた人は、ただの一人もありませんでした。しかしいまでも私はこのことを、いつも自分に問い続けながら、掲示板に参加しています。

>そうすると、この信仰に縁をしていない人にも話が通じなければいけないと思うのですが、現実問題としてとてもついていける話ではないし

自分のこれまでの信仰のあり方と向き合うためにも、正しいと伝えられてきたことの検証や考証においても、非常にマニアックな議論は、当然のこと必要になってきます。なぜなら、700年間正しく仏法を伝えてきたという教団の言葉を信徒は信じて入信しているのですから、宗史の検証はその言葉の真偽を左右する上でも重要ですね。できるだけ退部にわたって、はっきりさせておかなければならない問題ともいえるでしょう。それはたとえ一般の人には通じない議論であっても、決して避けられない議論です。私にしても、そのような議論の一端から、現在に至っているわけです。
しかし、そこだけに留まっていては、やはり自己満足の話に終わってしまうのではないでしょうか。ですから、そのような議論のときも、常に原点の志が何であったかというこころに立ち返ることを忘れてはならないと思います。


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