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素朴な疑問
829
:
ドプチェク</b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>
:2003/09/26(金) 01:10
こんばんわ。
昨年秋以来、久々に書き込みをさせていただきます。
いきなりおかしな事を申しますけど、富士門流の各宗派・教団、それに、日蓮系の他門流・他教団の信徒は、ほとんど同じ相貌の曼荼羅本尊を拝んでいても、当然、所属している宗派・教団が違うわけなのですし、それぞれの曼荼羅は違う人により書写される事になりますよね。
それら各宗派・教団の曼荼羅が、基本的に日蓮聖人真筆どおりの形式を用いて書写されている場合、それぞれの曼荼羅の間に、功徳とか罰とかいったようなものにおける優劣は存在しているのでしょうか?
私は、21年前、創価学会に入った時には(現在は、所属こそしていても、学会に対して相当に批判的な為、一定の距離を置いています)、日顕上人が書写された曼荼羅を拝んでいたのですけど、12年前に起きた宗創戦争により、9年前に創価学会員用の曼荼羅(栃木県の浄圓寺に現存するという、第二十六世日寛上人が書写された曼荼羅のコピー)に代えてもらったのです。
少し前、ある掲示板において、元学会員で現在は法華講に所属している人の書き込みによれば、創価学会員用の曼荼羅は偽物で、拝んでいたら不幸になるというお話なのでした。
私は前々から、その手のお話を迷信だと思っていたのですけど、でも、ここ最近、実際のところはどうなのか?といった疑念が生じて来ました。
それと、出版社名も執筆者名も覚えていないのですが、もうずいぶん前、「創価学会員は、なぜ功徳が失ったか?」というようなタイトルの書籍を書店で目にした事があります。
現在の創価学会がやっている事は、目を覆わんばかりのあまりのひどさですけど、それと曼荼羅とは、果たして無関係なのでしょうか?
これは、もしかすると私の単なる思い込みに過ぎないのかもしれませんが、私自身は、どうも現在拝んでいる創価学会員用の曼荼羅よりも、以前拝んでいた日蓮正宗の曼荼羅の方が、何故か?ピタッと来るとでも言うのでしょうか、同じ拝んでいても、以前の曼荼羅と現在の曼荼羅とでは、自分なりに感じる何か?が異なっているような気がするのです(自分でも、それがいったい何なのかはわかりませんけど)。
そんな私とは正反対に、私の知っている創価学会員の中には、あまりにも一方的な思い込みが強すぎるせいなのか、以前拝んでいた日顕上人書写の曼荼羅よりも、現在の日寛上人の曼荼羅の方が、拝んでいると、実にさわやかな気分になれるとか何とか言っていた者がいましたけど、正直、私には、そんな彼らの気持ちが前々から到底理解できませんでした(そういった人たちは、創価学会によるマインドコントロールの弊害を大いに被っているのではないかと思われます)。
ちなみに、創価学会員用の多くが拝んでいる日寛上人の曼荼羅は、相貌が日蓮正宗の曼荼羅に比べ、菩薩・諸天善神の名称がかなり省かれている、いわゆる略式のそれです。
また、この1年位の間で、信仰というものが次第にわからなくなって来て、今現在、色々と迷っている状態の私なのです。
いきなりおかしな事を申しまして、すいませんでした。
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