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素朴な疑問

826アネモネ:2003/09/25(木) 02:08
(つづき)
>わたくしがこの掲示板を好きなのは、はなはだ矛盾しているようなことを申しますが、すでに(大勢として)日蓮本仏論を否定していること、さらには日蓮信仰すら否定しかねない、もっと言えばあらゆる信仰ないし宗教そのものに対しても懐疑的である、といったところなのです。

私は今回、ガンコさんのこのレスを読んで、正直感動しました。富士門の信仰にある人が、なかなか書けるものではありません。だけど、私は言論の自由と解放を少しでも掴んだガンコさんに、個人的にはエールを送りたい気持ちでいます。
そもそも宗教とは、人間の精神の開放と自由を目標としたものではないかと私は思っているのです。自分の内心で思っていることが自由に言葉にできる。今の社会ではかなり当たり前のことですが、石山系組織の中では、まったく閉ざされています。
私も投稿したばかりの頃は、この掲示板を読むことだって謗法ではないかと思ったものです。罰が当たるんじゃないかと思いつめ、寝覚めの悪かった日もありました。また思い悩んで、眠れなかったりすれば、実際に体調も悪くなります。それこそ罰だろうか?と心配することもあったくらいです。
しかし、それは罰でもなんでもなくて、むしろ謗法ではないかと脅迫観念にとらわれている心が、自分を追い詰めている心身症に他ならなかったわけです。
戒壇本尊や本仏論への絶対的信仰の呪縛から精神が解放されていくに従って、脅迫観念は消え、今では掲示板に参加しても沈鬱な気分にさいなまれることもなく、爽快な気分で日々を送れるようにもなったわけです。
もちろん、一人の人間としての苦しみや悩みは、当然のこと抱えています。しかしそれは、罰というものではなくて、私自身がこの世に生きている証であり、そう思えば、生きていること自体が、かけがえのないことだと感じるときさえあります。

>つまり、妄想・幻想のたぐいではないのか? ・・・何のことはない、アネモネさんが追求されていることをわたくし自身も考えているわけです。

その疑問こそ大事なことですね。日蓮さんもお釈迦さんも、仏として立てる以前に、まず私たちと同じ人間だったということ。これは紛れもない事実なわけですね。これこそこの掲示板を通して気付かされたことです。
やはり日蓮さんは魅力あるお坊さんですが、しかしそれだけに固執せずに、広く一般仏教についての教養も深めてみることは、とても有意義なことだと思います。そうすると、広い仏教の体系的全体像の中での日蓮の位置づけも掴め、そうすると見方も変ってきます。
もちろん、そういうことは石山系では厳しく咎められるわけですが、私は、せめてそうしたことに対しての、意識くらいは解放すべきだと思うのです。罰などを恐れることなく、自由に学び、その結果、やっぱり石山が正しいと思えるならばそれでいいわけです。そういう時間や心の猶予があっていいはずですし、またその猶予を自らの意思で切り開いていくべきではないかと思っています。

>じっさい昨年末には、顕正会問題のひとつとして本尊疑惑がありますが、真相しだいによっては脱退すると宣言しました。

自分が教団で学んできた教義については、徹底的にこの掲示板を使って追求し直してみることは大事ですね。同じ疑問を抱いて取り組んできた人が多く参加しているわけですから、ひとりきりで取り組むよりは、思いの他、最短距離で答えが出ることが多いでしょう。
人と意見や議論を交わすこは、意識の活性化につながり、柔軟な考え方ができるようになりやすいといえるのではないでしょうか。

>そうなったら、わたくしは鑑定すべきだと思っています。

それこそが真の探究心ですね。私なりに言えば、日蓮門下が忘れてはならない教祖の精神かと思います。

>とわれわれが申し上げている開目抄などは、いちいち御文をあげたらキリがないくらい、もう情緒的ったらありゃしない、と思います。これは大聖人に失礼なもの言いかもしれませんけど、わたくしはそう拝しています。

あの過酷な佐渡の地で、あれだけの書を残されたというその筆力には、ただただ圧倒されるばかりです。仮に書いている内容がそのまま現代には通用しないものだとしても、私は、その思いとか精神力、忍耐力などには多いに学ばされるものだと思っています。


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