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素朴な疑問
815
:
犀角独歩
:2003/09/24(水) 09:06
空き缶さん:
> 私の日興上人の御消息文の解釈でいけば、日興上人は日蓮聖人を仏様と同等の方と思っていた
空き缶さんが個人信条としてどのように解釈してどのように信じようがそれは内心の自由に属することですから、他人がとやかく言うことではないでしょう。しかし、その個人的な解釈を事実であると他人に提示するとなると、それは事情が変わります。
言われるところの消息とは、興師の許に御影供養を届けた弟子檀那への返状を主に言うと思われますが、その場合、御影を顕彰した形で述べるのは当然でしょう。しかし、それが直ちに興師の仏本尊観の全体であると即断するのは短絡ではないでしょうか。
だいたい、御影本尊でよければ、興師は漫荼羅書写は意味のないことになります。
また、漫荼羅を如何なる意志に基づいて書写されたかが問題になるわけです。
以下、執行海秀師の2論文は秀逸です。
熟読をお薦めします。
□興師の本尊観とその後の興門における本尊観の変遷については
『初期の興門教学に於ける本尊意識の展開』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_003.html
□興師の著述の真偽については
『日興の著作と真偽論』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_004.htm
ご自身の信じたい形状から遺文を拝するのではなく、遺文からその著者の本意を探り、そこから信仰をお考えになることもお薦めするものです。l
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