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素朴な疑問

777犀角独歩:2003/09/22(月) 12:53

れんさん:

いくつか質問させてください。

(1)郷師、石山退出の理由
わたしは唯授一人相承は上古にはなかったと類推します。
ですから、道郷の法統争いはあまり考えていません。
しかし、東坊地の争い、郷師とは無縁であれば、郷師の石山退出はどのような理由が考えられるのでしょうか。

(2)戒壇本尊
文献考証の雄としてわたしはれんさんのご投稿に着目しています。
さて、文献的な立場からするとき、記される「戒壇本尊」を板漫荼羅、あるいはそこに「流れる法」というのは何を意味するのでしょうか。
本門戒壇と言えば、蓮師法門に違いありませんが、戒壇本尊なるものは文献的にどう考えられるわけですか。

わたしは戒壇本尊とは勝手な造語である。そう思います。
理由は当掲示板で何度か書きました。
「本門戒壇願主弥四郎国重法華講衆等敬白 造立如件」
とは弥四郎国重が造立したという意味にしか読めません。
また、「本門戒壇」の四字は蓮師の字ではなく、さらに文脈からすれば弥四郎の筆と言うことになります。つまり、この本尊を本門戒壇と蓮師は言っていないということです。それはつまり、漫荼羅諸尊が蓮師の筆であるとしても、戒壇本尊とはまったく言えないことを意味します。本門戒壇の願い主弥四郎が彫刻した漫荼羅以上の意味はありません。
文献的に考えて、蓮師法門に「本門戒壇」の成句はあっても、「戒壇本尊」という成句はありません。

「戒壇本尊」の起源を れんさん はどこに求められるのでしょうか。

(3)身延沢で立て申した仏は蓮祖御影
これはいかなる根拠に拠るのでしょうか。
同じ解釈をわたしは石山教学文書で読んだことがあります。
しかし、身延に立てた仏とは蓮師随身の「釈迦一体像」のほか、考えられないのではないではないでしょうか。
御影を「仏像」に凝らすのは教師の文献に初めて見られるとわたしは認識していますが、これは間違っていますか。

(4)持仏堂
持仏堂とは、仏像を安置する堂宇を言いますね。
漫荼羅本尊を持仏堂に懸けるとしてもその前には仏像が置かれていたと考えるのはごく自然なことと思えます。

漫荼羅中、妙法蓮華経を本尊と見做すことは本尊問答抄に既に見られますが、漫荼羅を持仏堂の“仏”と見做すことが興目両師の文献から窺えるものでしょうか。

むしろ、持仏堂という堂宇が建立される段階では釈迦仏像、あるいは一尊四士という仏像が用いられていて、その後の推移で撤廃されたと考えるほうが自然なのではないでしょうか。興師が一尊四士を「我義」とされ、澄師がそれを盗んだとする事例が伝わりますが、これは興門初期に置いては一尊四士の仏像奉安様式があり、それが持仏堂に安置されていたと考えるほうが自然と見えます。実際、現在の日蓮宗寺院では本堂(持仏堂)には釈迦像、御影堂には御影像という伽藍形式は一般です。

ご投稿を拝見する限り、持仏堂には漫荼羅しか安置されていないようなお考えと見えますが、仏なしの持仏堂、あるいは漫荼羅を仏と見做す持仏堂という考えはいったい如何なる文献的な根拠に基づくのでしょうか。

ご教示をいただければ有り難く存じます。


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