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素朴な疑問
767
:
愚鈍凡夫
:2003/09/21(日) 22:19
小生もれんさんのような仮説を立てて見たことがあります。しかし、この仮説はすぐに捨てました。その理由は、
顕正居士さんが引用されていた、
「第一に生御影、即ち重須に在すなり」(当家三衣抄)
それから
「翌日重須本門寺に詣るに其の道廿余町是は興師御隠居の霊地なり当上人日健に謁す宿坊本行坊取次即日、正御影を拝し奉り朗師の落涙の流跡残りて今に見ゆ、其の外御形貌殊勝千万の躰たらく正身の聖人に値ひ奉る心地して感涙心肝に銘ず、暫く看経誦経し稍終て大坊に帰り振舞畢つて暮に大石寺に帰る。」(祖師伝)
「大聖仰に日く背脊甚た痛し云云仍之を相止む、今に以て御影後欽目高し故に生御影と号し奉る、又正御影と申す今重須に之在り云云、」(有師物語聴聞抄佳跡)
これらの文証がネックとなったからです。
個人的に、「万年救護本尊」は日郷師が、石山の「生御影」は日伝師が持ち去ったのだと思いますが、このことは、石山では誰でも知っているはずです。にもかかわらず、これらの文証が存在するのは何故か。納得のいく仮説は立てられませんでした。
故に、重須の「生御影」が日法師作であるとの結論に落ち着いたのです。
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