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素朴な疑問

76犀角独歩:2002/07/19(金) 12:55

五月雨さんが引く話は、そもそも石山義に反します。
中興の祖・有師は紙一枚、半銭であっても、多額の供養であっても志を表すことに代わりはない、同じように仏様に取り次ぐことを石山の在り方としているわけです。

享師はこれを註するなかで、殊に多額の供養をする人に特別の表彰などを行って他を釣るような行為を厳重に誡めています。

達師もこれを略解して「供養の志は同じですありますから、そのまま平等に御本尊様にお供えすべきであります。もし僧が供養の物に、多少とか善悪の考えを持つと、すでに貪欲の心が生ずることになるから、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に墜ちることになります」と、しっかりと記しています。

この意を、私は供養の多少で人を計り、多額の斡旋をする心中が既に三悪道に墜ちている相(すがた)であると解します。つまり、今の石山の供養斡旋が五月雨さんが記す如くであれば、現代の法華講連合会は先師の遺誡に背き、三悪道の浅ましい相を曝しているわけですから、石山においても、まして仏教の本義においても、それに従うことは仏法に背くこととなるのでしょう。

Y沢などと名前を伏せる必要はありません、柳沢さんでしょう。連合会で集めた金で最高級車を兄貴を運転手に乗り回して、金集めの斡旋をやっているこの人の、この指導が三悪道に墜ちた醜態であるということでしょう。金集め、堂塔伽藍の整備、人集め、こんなことでしか、信仰を表現できないこの人を私は哀れに思うのです。

・以下、参考に

【有師・化儀抄】
一、人の志を仏け聖人へ取り次ぎ申さん心中大切なり、一紙半銭も
百貫千貫も多少ともに志の顕はし物なり、あらはす所の志は全く替
るべからず、然る間、同等に多少軽重の志を取り次ぎ申すべし、若
し軽重の心中あらば必ず三途に堕在すべし云云。

【享師・註解】
一紙半銭を上つる猶志の薄きにあらず・故に取次を為す
僧分にては物資の軽重多少と其供養主の貧富とを邪計して一には重
大な供養を取別け鄭重に取り扱ひ・叩頭百拝は無論の事特別の作法
まで設けて其篤志を表彰して密に他を釣るの方便に供し・能施の人
に衒名驕恣の念を起さしむ、此に引きかへて軽少の供養に対しては
懇の挨拶をも為さず此様な取次は面倒なりと云ひたらんやうの顔し
て、能施の人に信仰供養の志念の萎縮せしむるに至る、此れ决して
善き取次ぎ方にあらず、二には猥りに能施者の意中を推量して、彼
の家にして此の志の薄きは何事ぞ、彼人にして此志の厚きは怪しき
等と・能施者の貧富と其場合と其物資の厚薄とを連想し猥りに其志
の厚薄を断定して、或は懇に或は踈かに本仏の宝前に披露せん事亦
决して其人其場合全力を尽したる絶対無上の供養と見て懇に御披露
申すべき事なるが故に・能施の弟子檀那も其の場合出来得る限り絶
待無上の志を表はすべき事勿論の事なり、「同等に多少軽重の志」等
とは・此時取次の心中に能施の物資の多少・志の軽重に偏執するこ
となく・其儘数量の有の儘をのみ宝前に披露すべしと云ふ事なり、
「若し軽重の心中」等とは・取次の僧分が一念も軽重に偏執して或
は踈かにすることあらば、其罪に依りて三悪道に堕ちて永く信行権
を停止せられ浅間敷苦労を為すべしと告誡し給へり


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