したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

749空き缶:2003/09/20(土) 11:24
「これは蓮師、興師、どちらの考えと言うことですか。
この根拠は何でしょうか。
石山が建ってる場所は南条家の領地ですね。
なぜ、そんな場所に朝廷が本門寺を建立するわけですか。」

「御下文」信者の私としましては朝廷の考え、もしくは「三時弘経次第」が日蓮聖人談・日興上人筆となっていますので、その辺の思想ではないでしょうかと思っています。
大石寺のある場所は日興上人有縁の地であり、日興上人が選んだ「本門寺予定地」だったと推察しています。そして予定地のまま終わってしまったにもかかわらず、後の世に「総本山」を名乗るようになってしまいました。

「記された既述は、所謂、譲座本尊の日付ですね。
なぜ、この日が本門寺構想を引き継いだ日といえるのでしょうか。
また、この日を以て引き継いだとすると、それ以前に本門寺構想があったことになりますが、確実な興師の文献で、これを示すものは何でしょうか。
さらに、これ以降は後継者育成に取り組み、目師にそれを譲ったということですが」

「譲座本尊」の日付、その通りです。この辺は私個人の「日興上人身延離山は本門寺建立のため」「御下文」「三時弘経次第」等にもとづくものであり、憶測の域を出ないものです。

嘉元元(1303)年11月1日(西山文書)
嘉元2(1304)年5月(西山文書)
嘉暦2(1327)年8月
元徳2(1330)年3月
これらは幕府への申状だったと記憶してますが、違ってましたらすみません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板