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素朴な疑問

746犀角独歩:2003/09/20(土) 06:11

空き缶さん:

> 大石寺→朝廷が法華をたもった時の本門寺建立の場所

これは蓮師、興師、どちらの考えと言うことですか。
この根拠は何でしょうか。
石山が建ってる場所は南条家の領地ですね。
なぜ、そんな場所に朝廷が本門寺を建立するわけですか。

> 日興上人は本門寺建立構想は正応3年10月13日を持って日目上人に引継ぎ…

記された既述は、所謂、譲座本尊の日付ですね。
なぜ、この日が本門寺構想を引き継いだ日といえるのでしょうか。
また、この日を以て引き継いだとすると、それ以前に本門寺構想があったことになりますが、確実な興師の文献で、これを示すものは何でしょうか。
さらに、これ以降は後継者育成に取り組み、目師にそれを譲ったということですが、例えば

嘉元元(1303)年11月1日(西山文書)
嘉元2(1304)年5月(西山文書)
嘉暦2(1327)年8月
元徳2(1330)年3月

などと、その後も申状が記されています。
このことから類すると、目師に譲ったと言えないとわたしには見えます。
譲ったとされる根拠は何でしょうか。

> 「日順阿闍梨血脈」

仰るとおりですね。

> これが本当に価値ある存在ならば、二箇相承は真撰ということでしょう。

この脈絡の意味は計りかねますが、二箇相承と日順阿闍梨血脈の両方が真書でかつ、目師相承もありとすれば、興師は複数相承主義者であることになるのだと思います。


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