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素朴な疑問

742アネモネ:2003/09/19(金) 23:12
ガンコさん

>顕正会の問題は頭が痛いのですが、まあ、あまり言い訳がましいことは言えませんし・・・おそらく顕正新聞を詳細に検討していけば、さまざまの問題を惹起せざるを得ない要素がふんだんに読み取れるのだろうと、考えています。学会に対して、あるいは御宗門に対して、過剰ともいえる攻撃的言動は否定できません。

これは、顕正会だけの問題ではないですね。
顕正会も法華講も、そして創価学会も、思考と行動パターンは同じでしょう。
ただ、法華講にはいわゆる権威の象徴である板曼荼羅があるという点において、なりふり構わぬ行動にまでは迫られないということにおいて、大きく目立った反社会的行動が表沙汰になることがないということがいえるかもしれません。しかし、考え方は基本的に同じです。もしもその権威そのものが虚構であるとしたならば…ということは絶対有り得ない、いやあってはならないことだという思いは、いずれの組織も同じものでしょう。つまり、そこから身動きがとれないところでの、宗史の考証や検証ですから、どうしても限界がありますね。信じ込まされている人にしか通用しない話に終わってしまうわけです。

>ようするに、日目上人にとっては、日興上人が控えていて下さることがどれほど心強いことであったか、計り知れないものがあります。けっして、日興上人に対して、穏やかならざる気持ちを懐かれるとは思えません。

わからなくもないところですが、でも、どうでしょうね。確かに、教団ではそのように教えられましたが、今となってはそんなご教示も私にとってはまるで信用できないところです。教団にとって、ただ都合よく美談に仕立てて語り継がれてきただけのことではないかと、私などは穿った見方をしてしまうところです。
そもそも、人の心の内面までは、誰にもわかりません。その内心とは別に、振舞わなければならない、それぞれの立場というものはあったといえるでしょう。
ただ、少なくともいえることは、本門寺を建てるということが日蓮聖人の御遺命だったとしても、お寺を建てるには、お寺なり土地なりの寄進が必要なわけです。また、お寺が建立されれば、それが継承されていかなければならないわけで、覇権争いの火種になるのは目に見えていることでしょう。そのようなお寺の権威と、その所有権という、いかにも生臭い人間の奥深い欲望的な側面には目を背けて、ただ宗教的建前の清廉な部分のみだけを見ようとするのでは、どこまでいっても本質や真実は見えないものと思われます。
もちろん、私のこの穿った見方が、全面的に本質であるとは、一概にはいえません。何れにしても証明されてこそのことです。
しかし、私が敢えてガンコさんに申し上げたいと思うことは、信仰上の強い思いだけでもって宗史を見ていたのでは、まあどんなに時間と労力を費やしたところで、結局は手前味噌に終始するだけだろうということです。
耳の痛いことと思われますが、しかし私のように、ひねくれた見方にも堪えうるだけの論考や論証が示されて、はじめて正当性が証明されるものでしょう。
信心のない者にはわからないとよく言いますが、史実的なことはむしろ、信心が邪魔をして本質が見えないことのほうが多いのではないでしょうか。

>また、御二人が同じ年に御遷化あそばしていることからも、わたくしはその思いを強くするところです。

因縁的に日目上人は、日興上人の後を追って亡くなられたとでも考えておられるのでしょうか。だとしたら、それはおかしくありませんか。だって、日目上人は、天奏の途中といういわば志半ばの死であり、本当ならば死にたくなかったはずです。生まれ変わってでも天奏を成し遂げるとまで言われる伝説さえ残っているくらいですから、相当に無念の死だったのではないでしょうか。そんな天奏よりも、日興上人と同じ年に亡くなることのほうが仏法上意味深いことということなのでしょうか。こじつけにしか思えません。
そんな御法門上、最も大事な勤めを目前にして、日興上人がお迎えにでも来られたということなのでしょうか。
同じ年に亡くなられたことを、情緒的に捉えることも、信仰のうちかもしれませんが、史実的考証に堪えうる観測とは言い難いですね。
むしろ、そのような思いが足枷となって、そこから一歩も前へ進めないでいるのではないかと感じるところです。


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