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素朴な疑問

728愚鈍凡夫:2003/09/19(金) 00:05

ずっと「生御影」のことを調べていたんですが、石山の「生御影」に関して、こんな説があるんですね。石山の「生御影」を奪ったのは日伝師ではなく、日郷師であるといった。

日目師遷化後に戻った日郷師が東坊地の所有権で日道師と対立し、結局、南条家の後ろ盾を受けた日道師が優勢になり、形勢不利となった日郷師一派が御影堂安置の尊像・什宝を持ち去った。小泉久遠寺に移動させ、後に保田妙本寺に移動。

有師物語聴聞抄佳跡にこういう記述を見つけました。石山の等身大の御影の作者については分かりません。

「大聖仰に日く背脊甚た痛し云云仍之を相止む、今に以て御影後欽目高し故に生御影と号し奉る、又正御影と申す今重須に之在り云云、今御生仏の寸尺を記せん御長金さし弐尺六寸五分、御ひざ両の御そでまず壱尺八寸五分余、又横ふかさ御うしろより御ひざのまへまで弐尺弐寸余あり、又御耳の長さ三寸、御つむりの丸さ御耳の上まで弐尺八寸、又御つむりのたけ・ぼんのくぼより御鼻筋の通りより御あごまで弐尺、又両御眼の長さ壱寸四分、又御衣の袖八寸宛両方へ出るなり、又御ひざのあつさ五寸弐分已上、古筆之有り、今之を書写し奉るなり次に最初仏長け弐寸弐分なり、此最初亦造初御影とも六坪の御影とも看経所の御影とも号するなた、当山に之有り日奉の作なり」(有師物語聴聞抄佳跡上)


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