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素朴な疑問

705愚鈍凡夫:2003/09/17(水) 12:36

昨夜の続きです。
富士年表から天奏の部分だけを抜き出してみました。

1281弘安 4 辛巳 後宇多 北条時宗 御歳 60歳
12月 ○日興園城寺申状を代奏す〔初度天奏〕(聖613)

1333元弘 3 癸酉 後醍醐 北条守時 正慶 2 光厳 滅後 52年 日道
2.7 二祖日興重須に入滅88(大過去帳・聖598) 2.8 日興葬送(宗全2-270) 2.13 日目等、日興の遺誡により大聖人御影並びに園城寺御下文守護につき違背なきよう誡む(聖586・石蔵) 11.15 三祖日目太夫阿日尊・宰相阿日郷を伴い天奏上洛の途美濃垂井に入滅、荼毘に付す74(聖661・大過去帳) ○日尊・日郷三祖日目の遺骨を奉して上洛天奏(聖662) ○日郷遺骨を奉じて大石寺に帰り下之坊に納む(聖662・下之坊寺誌・別統)

次に、『三時弘経次第』の最後の部分を抜き出してみました。

「編者曰く本山蔵一紙の古写本(筆者不明)に依つて之を写す、猶開山上人御正筆中に此と同義の本迹法門あり、今其の要文を録す。
日興上人正筆「本門弘通事」の中に在り。
迹門比叡山 日枝山 吾山 御社
本門富士山 蓮花山 大日山」

弘安4年(1281)の天奏の際に、上奏文・立正安国論と共に、他の高僧を差し置いて日興師の『三時弘経次第』を添えるというのはどうですかね。う〜ん、蓮祖がそれを許すでしょうか。
可能性は低いようですから、やはり、
「朕、他日法華を持たば必ず富士山麓に求めん」
との後宇多天皇の下文は不自然ですね。
それと、
「編者曰く本山蔵一紙の古写本(筆者不明)に依つて之を写す、猶開山上人御正筆中に此と同義の本迹法門あり、今其の要文を録す。日興上人正筆「本門弘通事」の中に在り。」
とありますが、筆者不明の古写本を写したのであって、これが必ずしも日興師の作とは限らないですよね。後世の誰かが日興師の『本門弘通事』を抜き書きした可能性を否定できないのではないでしょうか。日付がないのがその可能性を示唆していると思います。
むしろ、元弘3年(1333)の天奏の際、上奏文に添えるのであれば、『本門弘通事』ではないでしょうか(但し、拝見したことはありません)。

この天奏問題、クリアしなければならないハードルが高いですね。

ちなみに西山本門寺の寺宝に『園城寺申状』がありますが(ほんまかいなぁ。空箱のこと?)
【寺宝】紺紙金泥法華経等国宝 3点/方等三昧経等重美13点/日蓮聖人御舎利/日蓮聖人真筆 万年救護本尊/日興上人御舎利/日興上人真筆・本尊/園城寺申状/大柊(天然記念物)/その他多数あり
http://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/30ho28.htm


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