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素朴な疑問
701
:
犀角独歩
:2003/09/17(水) 01:38
> 695
愚鈍凡夫さん、これは園城寺申状ではないでしょう。
これはなんでしょうか。
以下の申状をご覧ください。
「日蓮聖人の弟子駿河の国富士山住日興誠惶誠恐庭中に言上す。殊に天恩を蒙り且つは三時弘経の次第に任せ且つは第五百歳の金言に依り永く爾前迹門を停止し法華本門を尊敬せられんと請ふ子細の状。
副へ進ず、一巻、立正安国論文応元年の勘文並に三時弘経の図等。
右謹んで案内を検へたるに仏法は王法の崇重に依りて威を増し王法は仏法の擁護に依りて基を闢く、是を以て大覚世尊未来の時機を鑒みて世を三時に分ち法を四依に付して以来、正法千年の内迦葉阿難等の聖者先に小を弘め大を畢し竜樹天親等の論師次に小を破し大を立つ、像法千年の間異域には則ち陳惰両主の明時に智者十師の邪義を破し、本朝には亦桓武天皇の聖代に伝教六宗の僻論を改む。
今末法に入つては上行出世の境本門流布の時なり、正像巳に過ぎぬ何ぞ爾前迹門を以つて強ちに御帰依有るべけんや、料り知んぬ讎侫叡聞を隔て邪義正法を妨ぐ如来得道の昔尚魔障有り何に況んや末代をや、然るに聖主御字の今や時機巳に又至れり弘通の期幾日ぞや、中ん就く天台伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末代の代を迎へて恢弘す、彼れは薬王の後身此れは上行の最誕なり、経文に載する所解釈に炳焉なる者なり。
凡そ一代教迹の濫觴は法華の中道を説かんが為なり、三国伝持の流布盍ぞ真実の本門を先とせざらんや、若し瓦礫を貴んで珠玉を棄て燭影を捧げて日光を哢せば只風俗の迷妄に趁つて世尊の化導を謗ずるに似たるか、華中に優雲有り木中に栴檀有り凡慮覃び難し併ら冥鑑に任す、偏に��舜の道を嗜み揚墨の門に立たず、今適ま聖代に逢ふ早く下情を達し将に上聴を驚かさんとす、天裁を望み請ふ且は仏意を察せられ且は皇徳を施され、速に爾前迹門の邪教を退け法華本門の妙理を弘められば海内静謐にして天下泰平ならん、日興誠惶誠恐謹んで言す。
喜暦二年八月日」
亨師はこの状に就き「興師申状の三、祖滅四十六年、写本要山等に在り、五人所破抄に引用せるものにして公家上奏の分なり」としています。
「日興」とあるところを、「日目」に差し替えたものを目師が提出されるはずはないと思います。第一、園城寺ではなく、「公家」と亨師は注しています。
第一、園城寺申状、弘安4年蓮師の案ではありませんか。
御下文は、「弘安五年の御下し文」と成句化しています。なのに、なぜ、元亨3年の目師案が園城寺申状なのですか。
> 696
この申状の日付、「元弘三年十一月」とは、目師が美濃の垂井に、天奏を遂げずに寂した日時です。つまり、我師『申状見聞』に「此の申状奏せず終に臨終す」と言われる状と思われます。園城寺申状との脈絡はこちらもないものと思われます。
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