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素朴な疑問

700犀角独歩:2003/09/17(水) 01:14

空き缶さん:

> 弘安4,5年に大石寺がなかったことと「御下文と園城寺申状」が信用できないのとどのように関係があるのでしょうか?

既述でわたしは主に石山の文献を紹介しました。つまりは、石山の言い分を挙げたわけです。その意味で、「大石寺」の名称を挙げたわけです。

> これらにまつわる古事の中に「大石寺」という固有名詞がでてくるのですか?

出てきません。出てこないので、関係がないと言っているわけです。

> 富士山麓=大石寺との見解でしょうか。

というのが、石山の見解でしょう。上に挙げるごとくです。

せっかく、ご質問いただきましたので、次いでわたしのほうからも質問させていただきます。

空き缶さんは「富士山麗」とはどこを指すとお考えですか。

御下文と園城寺申状、もし、その全文すら伝わらないとしたら、あるのは伝説ばかりとなります。
そもそも、あの謹厳実直な興師が蓮師述の申状、また下賜された下文が実在していたら、それを書写し遺さないわけがありません。
その意味から、『日興上人御遺跡事』の信憑性自体をわたしは疑っています。

なお、これは空き缶さんとは関係ありませんが、小野寺さんがいうところのストーリーの脈絡からは何も記していません。わたしは事実関係を問題にしているのであって、彼のいうところはまるで問題にしていません。


愚鈍凡夫さん:

有難うございます。仰るとおりです。
富士五山というより、弘安5年の段階では石山はおろか、富士に係る脈絡は何も存在しないということを言いたかったわけです。
それより何より、本弟子六人すらまだ決まっていない段階です。五一相対はおろか、興門派もなければ、富士門もありません。
そもそも蓮師において、富士に対する特定の思い入れすら窺えません。
天皇は、身延に返信するのに、なぜ「富士山麗」と言ったかということです。むしろ、当時すでに久遠寺の名称が用いられていたとしたら、この固有名詞を挙げるほうが自然でしょう。
まさか「身延山は富士山麗のうち」などと言い出す人はいないと思います。


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