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素朴な疑問
683
:
犀角独歩
:2003/09/16(火) 14:12
愚鈍凡夫さん:
678を読み返して誤解があるといけないので、補足です。
わたしが「笑う」と言ったのは阪神タイガース優勝の件とそれに続く絵文字です。
あと、ほとんど富士門のなかでパロディー化している小野寺さんの件を単に提示されているから、ブラックユーモアが効いている、そんな意味でした。好感を持ってのことです。
もちろん、愚鈍さんご本人のお人柄と見識を笑うという意味ではありません。
そんな穿った見方をされる方でないと百も承知していますが、万全を期して補足しました。
ガンコさん:
> 手元にある御書には該当する御文を見つけることができません。どういうわけでしょうか?
理由は簡単です。編集されて都合の悪いところはカットしてしまってあるからです。わたしの引用は『富士宗学要集』創価学会発行 第1巻 昭和53年5月19日第5刷 P22 からのものです。
亨師の編註に拠ると
「日辰上人・日我上人等古写本に依って之を写し一校を加へ、又後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促す便とせり」(P25)
と言います。ここでいう疑義というのは写本で見て後人の書き込みとわかり、さらに富士義に合わないものということでしょう。後人の書き込みで義が都合が悪くなければ一本の傍線、都合が悪ければ二重の傍線となっています。わたしが引用した所は、もちろん、二重線となっています。戦後の編集本、神本仏迹を窺わせれば、自分たちと違うと言いたいわけでしょう。
なお、以上のような「添削」は各所に見られます。重書とする寛師文段に著しく、富士一跡門徒存知事では富士戒壇の主張が興師であるのに、それを蓮師のものと書き添えたり、御義口伝では六老僧と註法華経に関する記述は削られています。こんな例は枚挙に暇がありません。
御書の真・偽・未決どころか、編集によって、都合よく書き換えられている事実、この点を見落とすと、また騙されることになります。
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