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素朴な疑問

678犀角独歩:2003/09/16(火) 05:42

愚鈍凡夫さん:

まったくユーモアに富んでいますね、愚鈍さんは。笑わせてくれますね。小野寺直さんですか。彼のことについては、ここでもけっこう書きました。四半世紀前のわたしの知り合いです。彼の言うことはみんな作り話ですよ。まあ、作り物は話だけではなく、漫荼羅から何からそうですが(笑)

いずれにしても、引用のものは石山で言うところとまったく史観を異にしていますね。こちらとは別の作り話なのでしょう。わたしは「御下文」というのは元々筺しかなかったのであろうと推測しています。つまり、こちらも作り話であろうと。

「作り話」と記すと、では「作り話である証拠を示せ」と言われそうですが、なくなったと主張されるものが元々なかった証明なんかできませんよね。なかったんですから(笑)

なお、早坂師の「天皇本尊論」、要するに神本仏迹論といいますか、これらは日蓮系の尊皇形態の典型でした。狸祭事件で川に投げ込まれた石山の、例の坊さんもこの同轍の考えであったのでしょうね。

そもそも『日蓮二字の事』に「故に妙法、釈尊、蓮祖、天照大神は一体の異名なり」というところと、清水師がいう天皇本尊論とは同轍なのであって、この早坂師の批判は、ただちに戦前までの石山教義そのものを批判するものとなります。

もっとも伝尊門『百六箇抄』では広宣流布の暁の天皇は興師であるとしています。

以下、ここのところまでの流れと関係ありませんが、日目再来説をいう、顕正会、あるいは石山の広宣流布観が、その基とするところとも違ったことを説明したわたしの小文です。

□日目再誕説

石山では保田と要山の伝承を自山のものの如く扱い、日目再誕説を捏造しました。
これは以下の保田文献に、まず根拠が求められます。我師『申状見聞』に

「目上御遺言に曰く此の申状奏せず終に臨終す此の土の生を受ける所用無しと雖も今一度人間に生れ此の状を奏す可し、若し此の状奏聞の人未来に於て之れ有らば日目が再来と知る可し」

これは実は、保田・要師が実際に行ったことで、この人物こそ、目師の再来人であるという伝説が保田で次に生じるのですが、大石寺では、この遺言だけを採って自山向けにアレンジし直します。この場合、『日興跡条々事』という大石寺文書の「本門寺建立の時は日目を座主と為し、日本乃至一閻浮提の山寺等に於いて半分は日目嫡子分として管領せしむべし」という件と連合されます。

なお、尊門に代表される富士門における広宣流布観は上述の日目再来説より更に強固です。広宣流布の暁には日目のみならず、蓮師、興師、そして、朗師の4人を四菩薩に凝らし、以下のように言われます。

「日興先をかくれば無辺行菩薩か・日朗後をひかうれば安立行菩薩か・日蓮大将なれば上行菩薩か・日目は幡さしなれば浄行菩薩か…上行菩薩は大賢臣と成り・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師となり・安立行菩薩大関白或は大国母と成り、日本乃至一閻浮提の内一同四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ、四大菩薩同心して六万塔を建立せしめよ、何れの在所為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可きなり時を待つ可きのみ」(百六箇抄)

やや煩雑な記述なので整理すれば

日蓮−上行菩薩−大賢臣(実質的為政者)
日興−無辺行菩薩−大賢王(天皇)
日目−浄行菩薩−大導師(本門寺法主)
日朗−安立行菩薩−大関白/大国母(天皇の補佐、あるいは皇后)

であると言うわけです。そして、広宣流布の時はこの4人は、それぞれ以上のような役柄で再来して、「日本乃至一閻浮提の内一同四衆悉く南無妙法蓮華経と唱」えさせるばかりであるといい、そして、この四菩薩の変化、日蓮・日興・日目・日朗の四人が心を合わせて六万坊を建立すると言います。極めつけは「何れの在所為りとも」ともいい、本門寺の建つべき場所に特定がありません。蓮師が臣であることを前提に、天皇(興師)・関白/皇后(朗師)・本門寺住職(目師)で六万坊、戒壇建立で、その結果、万民に題目を唱えさせるという筋書きになっています。

いやはや、すごい。これを現在で軋轢のない形に書き換えたのが目師再誕説であって、どこぞの会の言う「御遺命守護」など、この相伝に比べれば、実に矮小です。天皇本尊論とはまた違う富士門の尊皇思想と言うところでしょうか。


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