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素朴な疑問
676
:
愚鈍凡夫
:2003/09/15(月) 23:23
犀角独歩さん、再び今晩は(阪神タイガース優勝でかなり酔ってます)。
/^^)/\(^^\チャンチャカチャン。
本門正宗のHPにこんな記述があります。
「謹上 民部公御房 白蓮(花押) 御返事
つまり、日目上人の元亨の申状(園城寺申状)は、この時、日盛師が比叡山で書写された奏状を書式手本として日興上人に依って文案され、日目上人に依って奏上されたのであります。この奏上の結果、嘉暦三年の秋、富士に後醍醐天皇の論旨が下されたのであります。後醍醐天皇の叡慮に接した日興上人は日蓮大聖人の御遺命の「大本門寺』勅許の確信を深められ、日蓮大聖人が富士門の門下に授与された各々の「大曼荼羅」に嘉暦四年に「但可為大本門寺重宝也」或は「懸本門寺、可為末代重宝也」「可為本門寺重宝也」の文言を加筆されたのであります」(※注1)
「日目上人は大聖人の御予言の「一国二王」即ち、弘安十年(一二八七)九月、幕府の横車に依って後嵯峨上皇の遺詔に叛した後深草上皇(持明院統)の治世が成立して後嵯峨上皇の遺詔を受けた亀山天皇(大覚寺統)との二統に分れ対立しました。
こうした情勢の中で大覚寺統の後醍醐天皇は討幕を志され元亨三年(一三二三)の秋、廷臣、日野資朝を東国に下し味方をつのったのであります。当然、日蓮大聖人の「王仏冥合」の教えを信奉していた新田小野寺一党は日目上人に進め、日目上人は時至れりと国諌の書を認めて上洛し天奏を果たされました。この[国家諌暁』の奏上文は世に「園城寺申状」と云われ、伝えられております。その認められた内容は次の如くでありました。」(※注2)
※注1
http://www.namaki.com/hedit539.htm
※注2
http://www.namaki.com/hedit537.htm
犀角独歩さんの投稿とは直接関係ないですが、早坂鳳城氏がこんな論文を書いていますので紹介します。
「天皇本尊論について」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho29/s29_138.htm
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