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素朴な疑問
673
:
愚鈍凡夫
:2003/09/15(月) 20:58
犀角独歩さん、今晩は。
むむっ・・・・・。ガンコさんから逆襲があるかと思ったら、犀角独歩さんでしたか(読みが浅かった)。(^◇^;)
「日蓮聖人はもともと天台宗の僧侶でした。青年期、その根本道場である比叡山をはじめ各地で研鑚を積んだ後、これも比叡山横川系の天台宗寺院であった故郷安房の出家寺・清澄寺に戻り、ここで聖人は初めて法華経の優位性を主張し、当時の天台を席巻していた浄土教を厳しく批判します。この時をもって日蓮宗の立教開宗としているわけですが、必ずしもそう断じ切っていいものかどうか。すなわち日蓮聖人はこの時、中国天台宗の祖である天台大師智邈から日本天台宗祖の伝教大師最澄へと連なる系譜において法華経こそが最も重要な経典なのだと、当時の天台宗で主流となっていた密教や浄土教に対し、その法華経回帰を主張されたとみられるからです。
その後もしばらくの間は自らを「天台沙門」と称され、正統天台の正嫡であるとの姿勢を明確に打ち出されます。そして続々と日蓮聖人のもとに集まってくる弟子たちにもまた天台出身の僧が多く、有名な高弟6人(六老僧)のうち日朗・日頂両師を除く4人までが天台宗から馳せ参じたのでした。ちなみに日蓮聖人の遺文および曼荼羅授与書その他の文献から名前が確認できる弟子66人中20人が天台僧であったとされています。しかも教団形成の重要な時期であった身延入山後の晩年や滅後に至っても、各地の天台宗寺院に寄住していた弟子たちがいたほどで、こうしたことからも日蓮聖人とその門下がいかに天台宗と関わりが深かったかが分かります。」(※註1)
確かにこの意味で言えば、蓮祖が「天台沙門」を名乗ったのは当然と言えると思います。
ただ、ここで面白いのは天台宗出身でないのにもかかわらず、日朗師・日頂師が「天台沙門」を名乗っていることです。確か、日朗師は日昭師と叔父甥の関係にあり、その縁故で蓮祖に帰依したのだったと思います。日順師は、聖滅後に「天台法華宗沙門」と名乗ったとのことですよね。このことから弘教の都合上、蓮祖の先例に習って「天台沙門」を名乗ったのではないかと思ったのです。
※註1 「日蓮宗の歴史・日蓮聖人在世当時の教団形成事情」
http://www.sattva.jp/menu2/hou-history.html
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