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素朴な疑問
666
:
愚鈍凡夫
:2003/09/14(日) 19:40
>>665
:空き缶さんへ
「日澄図する所の要集は実に後代の亀鏡たり、視聴共に貴重せしむ、末学必ず応さに流伝すべし、但し本師補任六人の内・五師は天台沙門と注進し日興独り先聖の遺弟と挙ぐ」(日順阿闍梨血脈)
「一、五人一同に云く、日蓮聖人の法門は天台宗なり、仍つて公所に捧ぐる状に云く天台沙門と云云」(富士一跡門徒存知の事)
とあり、日興師以外の五老僧が「天台沙門」と名乗ったことが記されています。
真偽問題を横に置いて、『富士一跡門徒存知の事』にある、「公所に捧ぐる状」がその根拠じゃありませんか。
これを富士門では、我が身の保身のために権力に迎合した、蓮祖の御心に背く恥ずべき行為であると五老僧を弾劾しています。
しかし、このことを逆に五老僧擁護の立場で考えると、『立正安国論』がカギになるのではないかと思います。
というのは、中山法華経寺蔵本には、「天台沙門日蓮勘之」との文があります。このことが五老僧が「天台沙門」を名乗る切っ掛けになったのではないでしょうか。
つまり、蓮祖は幕府を諌曉する時、敢えて「天台沙門」を名乗りました。このことに習ったのではないかという考えです。
蓮祖の御遷化後も幕府の厳しい弾圧は続いたと思われます。したがって、蓮祖亡き後の脆弱な教団を守るため、『立正安国論』執筆当時の蓮祖の法華弘通に習ったのではないでしょうか。これは飽くまでも、五老僧擁護の立場で考えた場合ですけどね。
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