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素朴な疑問

647犀角独歩:2003/09/10(水) 07:10

眠りの小五郎さん:

> …反論を試みましたね。

反論を試みたのではありません。
あなたが考えているようなことを、ここに真摯に投稿する人間が考えたこともないと思う浅はかな観察を嗤ったのです。

あなたは真偽未決云々を言うことを間抜けであると言います。
では以下の言はどうでしょうか。

「新古各種の刊本中に“真偽未決”の問題となるものも信行に資するものを之を取る」

これは御書全集『凡例』(P5)に載るたぶん亨師の言でしょう。
平成新編で

「真偽の検討
 <真偽> 本御書の編纂会に真偽検討委員会を設け、過去に疑義ありとされた御書147篇について、55回に亘る審議によって厳正な検討を加え、真書・偽書・真偽未決書に判別し、たとえば行学増進に役立つと思われる書でも偽書は不収録とした」(P8)

と襟度を示しています。
あなたがどのような信仰集団に属するかは存じ上げませんが、真書・偽書・真偽未決書の判別は石山においても当然、行われていることです。ただ、当掲示板ではさらに襟度を保ち、その厳正を極めているに過ぎません。

> わたしが、なぜ『「現代に真蹟が残ってない」という理由だけで、「真偽未決」とか「偽書」とか言うのは、単純で間抜けな考えだ』と言ったのか、その理由を教えましょう。
自分がどれ程過信しているのか存じませんが、もとより、浅慮に留まるあなたに“教え”を請うほど、わたしは落ちぶれておりません。ただ、あなたの浅慮を弾劾するばかりです。

> 「現代に真蹟が残ってない」という、たったそれだけの理由で、真偽を怪しんだり、偽書と断定したりすることは早計

いつ、誰が真跡不在の真偽を怪しんだり、偽書と断定しましたか。
なんとも浅はかな観察です。

> しかも、ややもすれば、自他の信仰を破壊しかねない、たいへん危険な行為だからですよ。

むしろ、逆でしょう。偽書をもって人に勧めるのであれば、その好意こそ、自他の信仰を破壊する大変危険な行為です。
真跡主義に基づかないのであれば、以下の伝蓮師聖訓は引用できます。

「私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし」

もし万が一、蓮師の言でないことを蓮師の言といって、その人に勧めるのであれば、それはまさに「私」蓮師の法門でないものを連枝の法門といって人に語ってしまうことでしょう。それを怖れればこそ、真摯な信行学者は真・偽・未決を真剣に考えるのでしょう。
また、富士門であるというのであれば、伝興師の言とする

「「偽書を造って御書と号し・修行を致す者は獅子身中の虫と心得べきな事」

との言をどう採りますか。
また、『摧邪立正抄』の

「偽書を構へて恣に聖筆と云はば富山の立義・貴賤上下信仰憑み無し」

との弾訶を如何に心得ますか。

> そもそも、貴方がたは、「なぜ、いくつもの御書が、現在真蹟不在になってしまったのか?」という観点からは、決して見ようとしないじゃないですか。

では、その点をここに主張してください。
真跡不在になった理由とは何でしょうか。

> 直線的に、「真蹟不在」=「真偽未決」or「偽書」としているでしょう。

ですから、誰がそんなことを記しているのですか。
まったく勝手に思い込んでいるに過ぎません。


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