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素朴な疑問

534アネモネ:2002/10/03(木) 10:36
孤独な迷子さんお久しぶりです。

>私など家庭訪問はおろか、電話の一本も掛かって来なくなりました。有り難いような、寂しいような。

こういってはなんですが、お寺の近くに住んでいる私の家には、活動してますという既成事実のために立ち寄っていらっしゃる方が多いような‥そんなところかと思います。それも、30万登山が一応締め切りとなってからはほとんどないですよ。静かになりました。
孤独な迷子さんは、心無い振る舞いをされた方たちであっても、そのように懐かしくも思っていらっしゃるのですね。そういう優しい心持ちこそ、大事だと思います。

>だいたい組織に出られなくなるのはそれなりの理由(原因)があってのことだと思いますが、その原因に対してはほとんど議論されずに、とにかく「出ない」ことへの批判、

そうなんですよ。問題の根本を解決しようとしない。問題の根本は、因縁ということになっているんですものね。でも、かつて私が気にとめていた問題とは、コミニティとしての法華講組織のあり方だったんですね。でも、それ以前に、そのコミュニティ形成の目的を裏付ける理論そのものが、崩れてしまい、もはやその問題を考えること自体が無意味になってしまいました。信心歴の浅い私も、多少の虚脱感はありましたが、気をとりなおして自分の信仰観を求めていこうと思ってます。

>これはしばらく続く後遺症のようなものかも知れません。

そうですよねぇ。かく言う、私も実はそうです(笑)

>「それは自分の宿業だ」とか「罪障だ」とか、よく耳にした言葉です。だいたい最後はこの言葉に帰着されてしまうのですね。それで納得する人はそれこそ信心強盛にやっていけるのかなーと思いますが。私は納得できませんでした。

罪証だとか宿業だとかは、要するに「過去世」のことを言っているわけですが、誰も見てきたこともないことを、確信をもって方ってそして納得するんですよね。自分のことについてはそんな納得も自由ですが、でも人のことまで、確証のないことを確信をもって言って惑わしてほしくないものです。

>アネモネさんはこの時期には既に信心をなさっていたのですか。

あっ、いえいえ、私が特記したこの時期は、まだ日蓮正宗の信心ではないですね。その前の宗教ですが‥。でも私はこのことについては、いずれの宗教にも、きっとそのようなはたらきがあるのではないかと、それこそ信じてるんですよ。

>とこのような質問をすること自体、これまでの信心に拘っているのですね。

全然、そんなことないです。これまでの信心の全てを否定することはないですよね。
私は、宗教の恐ろしさにはしっかり目を向けるようにしてますが、それでもやっぱり人生において信仰を持つということは、生きる喜びを感じる素晴らしいものであるに違いないと思ってるんです。いちりんさんも書かれてましたが、学びはあるということですよね。孤独な迷子さんも、これまでの信心の中できっと何か掴んでいらっしゃることがあり、それがこの掲示板への書き込みにも繋がっていることと思います。


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